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資料館はハコモノという批判に答えます

資料館はハコモノという批判に答えます  
ハコモノの定義
 箱物(はこもの)とは、行政が設置する公共施設のうち、特に中身(住民の利用や運営に必要な専門スタッフなど)が追いつかない状態のものを、揶揄的に表現した言葉。概して(箱と呼ばれることのある)劇場などの建築物を指すことが多いことから、このように呼ばれる。行政の無駄遣いに対して批判的に用いることが基本となるため、基本的には民間の建築物は含まない。出典ウィキペディア

 ひろし通信や暮れの新聞折り込み(田浦・追浜地域に配布)で、横須賀を知る資料館作りの論議を起こそうと提案したところ8:2で多くの賛成意見を頂いている。今まで色々提案しているが、これほどの反応や激励を頂いたのは初めてなので、正直手応えを感じています。
 今回取り上げるのは批判的な2割の意見に対してです。意見批判のうちその殆ど(3通の意見)が一柳議員が批判していた「ハコモノに手を出すのか」という批判、意見です。
 そこで冒頭にハコモノ定義を掲載した訳(ネット百科のウィキペディアのコピペ)ですが、何処かのパクリ議員とは違うので、出典は明記しました。
本市のハコモノと官僚あがり市長 
 さて、ハコモノの定義からすれば、横須賀のハコモノの1番は横山市長が作った総合芸術劇場-オペラハウスでしょう。今は忘れた人が多いが、同劇場は本格オペラをやる為の6階分のせり上がり舞台と2面のスライド舞台があり、これが馬鹿高かったのです(数十億円かかっているはずだが詳細は明らかにしていないし、今まで本格オペラの上演など一度も無い)。2番目は沢田市長の美術館であり、3番目目は評価が分かれるかも知れないがソレイユの丘でしょう。この3つのハコモノ(吉田市長もハコモノ3姉弟として選挙戦で取り上げた)、3つとも議会のチエックが甘く、議決したことも忘れてなりません。議会がこれらを許した背景は、いずれの時代も市長「与党」と称する8割の議員が厳しいチエックをせず、二元代表制を忘れ、全て認めてきた責任があります。
 私はいずれも反対しましたが、1のオペラハウスは初当選の91年時、もう工事が始まっていました。なお2,3のハコモノでは反対署名や、厳格審査を求める直接請求などをしてきました(吉田市長もこれに加わっています)。
 さて、ここで皆さんにお聞きしたいのですが、長野市長が作った市立人文・自然博物館(深田台、その以前は久里浜にあった)はハコモノと言うでしょうか?。展示物と古色蒼然のあの建物を見れば、前述の3箱物と違うので、そうは言わないでしょう。
 私が12,3年前、美術館にお熱をあげる、沢田市長に美術館など何処にでもある陳腐なものだ。海軍航空隊と航空技術廠があった追浜に航空博物館を作れば美術館の10倍の客が来るから、日本版スミソニアン航空博物館を横須賀(追浜)に作ろうと言ったが、沢田さんはこれに全く興味を示さず、私にこう言った。
 「美術館は横山市長の総合芸術劇場(オペラハウス)の10分の1ですよ、それも許してくれないんですか」。と宣い、そして文化度の低い横須賀市民の為に美術館を作ってやるみたいな発言をしたので、この官僚あがりのヨソモン市長は、横須賀市民を馬鹿にしていると感じ、これが私の美術館反対の原点となりました。
 そして次なる市長蒲谷さんですが、この人のお父さんは渡戸光蔵さんと言い、深浦生まれで海軍叩き上げの職人になりました。昭和5年に海軍工廠の見習い工(それなりのエリートです)になり、昭和7年に航空技術廠が出来ると電気係として即、工廠から航空技術廠へと移ります。因みにこの蒲谷さんのお父さんは、うちの父と浦郷小と高等小学校の同級生でもありました。ただし頭の違いと聴力障害で、うちの父は工廠へは入れず漁師となりました(日中戦争激しくなると日本精工に入社し機関銃作りに従事)。
 蒲谷さんのお父さんは航空技術廠の技術者となり戦後は、ベースに務め、蒲谷さんを栄光、東大へと通わせました。ところが蒲谷前市長は父親が働いた航空技術廠の関心は殆ど無く、お父さんのことを話すと「一柳さん、私の知らないことを、何でそんなに知っているんですか」と言われる始末。この人から横須賀の歴史を共有しようとの意識は感じませんでした。軍港観光を提案し(初提案は沢田氏長時代)、議会で何をグズグズしていると問うと「仰る事は分かります」と言いながら、3年もかかって、08年9月原子力空母J・W入港後ようやく観光船を就航させました。蒲谷さんは優柔不断さと情の無さで吉田市長に負けたと言えるでしょう。
 この様に三代続いた官僚(あがり)市長は国から送り込まれたこともあり、横須賀の成り立つ歴史を、市民と共有しようとの思想に欠けていました。そこで海軍第1軍港であり、航空機という技術の塊である先端技術の研究をした航空技術廠や、日本で始めて作られた海軍航空隊について後世に伝えようという意識は無かったのです。ですから他の3軍港市に比べて何の資料展示も無いわけですし、議論さえ起こさないで来たのです(吉田市長も関心興味の無さでは同様)。
 400億円もかけた総合芸術劇場や、40数億円のインフラ投資の回収が全く期待できず、更に毎年4億円代の赤字を出す美術館など、こう言うのをハコモノと言います。
資料館はハコモノではない
 では資料館はどうでしょう。海上自衛隊と協力連携を考究すれば国費の投入も有り、全額市負担にはなりません。また大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)は初年度入館者数は170万人(本市美術館の10倍)を超え、2年で300万人を突破、今でも年100万人以上の入館者があります。ですから魅力ある資料館をつくれば、銀行から金を借りても15年20年で償還出来るでしょう。これなら民間手法導入でも出来るわけですし、美術館と違い年俸1千万円の学芸員を何人もおく必要もありません。
 資料館には一人1時間500円程度の有料ガイドを置けば十分です(私は役人が市民を只働きさせる「ボランティアガイド」には基本的に反対です)。これが沢田さん個人がこだわり突っ走った美術館や、オペラも知らない横山さんがバブル景気に浮かれて、良いわ良いわで作った総合芸術劇場(ハコモノ)とは全く違います。
 また私は自衛艦を臨海公園に置き、三笠と対置し戦後版記念艦として、そこを当座は仮展示場所にしても良いと思っています。なお呉には潜水艦を陸揚げした自衛隊の広報施設「鉄のクジラ館」があります。第1軍港の横須賀は水上艦艇を記念艦にすればよいのです。
 そして沢田元市長が市民の反対意見を無視して作った美術館の教訓から、広く論議を起こし、市民と話し合いながら資料館作りをしていきます。選挙が終わった、この夏にはシンポジウム開催も考えています。今、歴史研究家の山本詔一さんを代表に自衛隊OBや関係者で準備会を作っていますので、この会が広く論議を起こして行きます。
 資料館がハコモノとの誤解は、以上で是非解いて頂くようお願いします。

by ichiyanagi25 | 2011-01-23 08:16

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