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この頃感じる事、政府と市政に騙されないために

この頃感じる事、政府と市政に騙されないために
 この3日間は金環日食とスカイツリー開業で何処のテレビを見てもこればっかり。
 この20年、朝食時以降は頭が腐らないようテレビは殆ど見ないから、何時でもこんなバカ騒ぎぶりなのだろう。
 昨朝(23日)のニュースで21日の日食騒ぎで網膜に異常をきたしたのが全国で100名以上という。シニカルに嗤うしかない。
 スカイツリーを騒ぎまくるメディアに天が「まあ静まりなさい」と、この時期なのに氷雨を降らしまさに冷や水をかけた。そして視界をすこぶる悪くし、エレベーターまで止らせた。ある程度風が吹くと止まるエレベーターらしい。何事にも突っ込み不足のメデァイは風速何メートル吹くと止まるかと聞かないから、いきたい人は閉じ込め回避のために自分で確かめるしかないだろう。
 天の邪鬼な私はオープン記念日にスカイツリーとは無縁な岩波ホールに英豪合作映画『オレンジと太陽』を見に行った。今のハリウッド映画は正邪が明確(単純)でCGを多用し、破壊と殺人のワンパターンだから、この頃入りが悪いそうだ。スーパースターが現れないのと、分かりか切った筋書きでは飽きられても無理はない。
さてこの映画は
 映画『オレンジと太陽』ストーリー:
 1986年、マーガレット(主演女優エミリー・ワトソン)は、イギリスのノッティンガムでソーシャルワーカーとして働いていた。結婚して子どもにも恵まれた彼女は、ある晩の会議後の路上で豪州から来たという女性から衝撃的な告白を聞く。当時児童養護施設にいた4歳の彼女は、30年ほど前に何と船でノッティンガムからオーストラリアまで送られたというのだ。そして「私の本当の名は、家族は、本当の母は元気なのか知りたい」。また他からも児童養護施設から大量に豪州に送られた子供のことを調べて欲しいと言われる。彼女はそのことをきっかけに、本件に関して調査を進めていくと、ばく大な「児童移民」がいることを知る。そして、その陰には英豪政府と教会の重大な関与が……。
 ドキュメンタリ-ではなく、劇映画に仕立て、声高ではないが政府は何時もこの様な非人道的なことを下層国民にすること。親子の情、家族への思いは国家と教会という権力の圧力を穏やかに跳ね返してとのストーリー展開で、兎に角教会が子供を使い強制労働させ、性的おもちゃにさせられたり、更に成人になってからも年季奉公させたり、子供期の養育費として金を請求したりとの事実が出てくる。英豪政府がオーストラリア開発のために犠牲にしたのはアボリジニなど原住民だけではなく、自国民さえというのがこの映画である。
 我が国の財務省官僚がこの映画を見たら、我が国は「そこまでしないで増税だけにしてやるんだから有りがたく思え」とくらいにしか感じないかも知れない。
 何時も言うように政府や吉田市政に騙されないようにしないと、とんでもないババを引く。政府の酷さはもう言う必要もないだろうが、このブログをネガティブにチエックしている人はどうでもよいが、本ブログに好意的関心を持つ方は、NHK&民放テレビ、それと東京新聞以外の新聞には騙されず、自分が信用できるソースから情報を取って自己防衛に努めて欲しいと思う。
 真似下政経塾の人育ての真髄 
 ところで、この記事を書いていて、ふと思った。野田や前原など松下政経塾出の議員が総理や閣僚になってからの姿を見ると、松下翁がこの政経塾を作ったのは、つまるところ要職に就いたら「官僚と財界の言うことを聞く政治屋」を育てる機関だった、と理解すると納得できるのではないか、と。
 吉田市長も松下政経塾出の頭脳構造に似ている。こちらも副市長や市職員にとって「御輿は軽くてパーが良い」を体現している。昨年の質問で戦後の金融と経済を仕切ったブレトンウッズ体制を聞いた時ロクに答えられなかったから、政治経済の基礎知識がなっていない(一問一答方式は相手のレベルが確認出来るから良い)。
 今の市長は特段市民を騙す事(国と違い市では無理)はしていないが、市民の為になる事は自分から殆ど考え出していない。なぜならば思想哲学がなく決然とした思考の元にビジョンが作り出せない。前市長のネガティブ批判の選挙対策しかない。 だからデフレ下の経済対策や公共事業で活性化するというケインジアン的発想もない。要するにどうして良いか知恵が出ない頭脳構造なのだ。
 市の予算など投資的経費をぬけば、後は扶助費なり給与費なりの義務的経費しかない。義務経費はルールと制度のがんじがらめだから役人が淡々とこなすだけ。言い方を変えると「休まず遅れず働かず」で平均的公務員能力の「お役所仕事」で日常業務はこなせてしまう。
 そうなると信賞必罰で管理(沢田市長ばりの経験があり、睨みがきく)をしないと部下は仕事を全うしなくなる。さて若く未経験で底の浅い市長に仕える今の副市長は野田内閣の財務官僚並み気分ではないかと思ってしまう。市長を支えるなんて気が毛頭無いことが3月議会で表面化した。水ビジネスの答弁などもうバラバラだった。今の横須賀市は組織(行政機関)としては体をなしていないと当会派は見る。反論があれば是非伺いたいところだ。
 義務的経費について補足したい。扶助費は分権論に基づきナショナルミニマムとシビルミニマムの仕分けをきちっとして、権限、財源を自治体に渡した方が市民の為になるとの提起ができれば、がらっと変わる。しかし無理。これは議会勢力についても同様だ。
 なおこのブログは市政や国政に関心のある、玄人的な人に読んで欲しいと思っている。そのつもりでお読み頂けると、理解頂けるはずだ。
 取りあえず本日はこれまで。
 ところで5月18日に行った脱原発議連の第6回講座の城南信用金庫理事長、吉原 毅さんの話は等身大の話で非常に聞き応えがあった。地球温暖化論に基づいてゴアがノーベル平和賞(IPCCも)を取ったりしたときはCO2犯人説を信じて原発は良い物と思っていたがそれがすべて違う事。メデイァが如何に真実を伝えないかを経験に照らして述べられた。次回はその要点をアップしたい。
 また副島隆彦さんが予測する、次の衆院選挙では民主が大敗(これは誰もそう思う)の中、自・公とみんな、そして大阪維新の会の連合政権ができ、総理は石破、副総理に橋下との予測について、を考えてみたい。

by ichiyanagi25 | 2012-05-24 19:42

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