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今年8月の反戦・反権力映画上映

今年8月の反戦・反権力映画上映
 毎年8月になるとテレビはドキュメントや証言録、或いは戦争映画を放映し終戦記念日特集となる。
 今年、池袋の新文芸座では『映画を通して日本の歴史を振り返り、戦争の悲惨や軍隊の真実を考えたい』のコンセプトの元に8月10日から19日まで20本が上映された。
 今回はこれまで見たことがない『松川事件』と日活映画の『日本列島』を見た。
 『日本列島』は熊井啓監督の劇映画であり、GHQ時代のG2関係をヒントに占領下を解かれた60年代前半の日本が未だ占領状態であるとの映画であり、安保改訂直後の日本各地にまだ多くの米軍基地が残っていたことを思い出させてくれる映画だ。
 こう言う映画を見ると講和条約以降、日本は全くアメリカの属国状態に置かれており現在、基地の数は減ったが、重要基地は日本に貢がせて維持していることから、占領下から講和条約を経ても属国状態に変化なしで、63年が過ぎたことが映画から読み取れる。
 それを更に安倍政権は自衛隊まで差し出さないとアメリカ様は日本を守ってくれないと騒ぎ立て(安保条約違反だ)、集団自衛権行使を閣議決定し、海兵隊の為に辺野古の海を潰しを強行している。この人は戦後レジームの実態を本当に知っているのか?。
 出身大学の偏差値以下の単なるおバカで、操られているのか、或いは刷り込まれた思い込みで、総理として情報分析をせずに「ネトウヨ」感覚やっているかの二つに一つだろう。顔つき、言葉からして全く評価に値しない。
60年代の各界の抵抗運動の凄さ
 『松川事件』は朝鮮戦争前にGHQがまさに逆コース(占領政策の180度転換)を取り始め、左翼勢力をレッドパージを始め押しつぶしにかかる為に国鉄労組や東芝労組を狙いうちした「謀略事件」である事は間違いないだろう。松川事件は復員してきた元国鉄職員の為に戦時中採用した職員が余りだして国鉄職員の大量解雇問題に関連していることも間違いない。このほかには下山国鉄総裁怪死事件や電車が突然暴走し、三鷹駅に突っ込んで死者を出した三鷹事件などがあるがいずれも、お宮入りで60年代半ばに時効を迎えた。
 事実、講和条約後には占領軍もGHQも廃止されたので、この様な血なまぐさい事件は起きていない。これはなぜなのか?。 戦後の謀略事件の顛末はネットで参照を(松本清張の『日本の黒い霧』が有名)。
 この映画は、米軍或いは諜報機関が関与した疑惑濃厚な事件であるのを、権力末端機構である福島県警と地検が、「赤化運動激化」を止めるべくと先ずチンピラをやっていた未成年をありもしない、傷害と強姦容疑の別件でっち上げ逮捕して、後は過酷な取り調べで「自白」させその自白(警察のストーリー通り)に基づいて国労と東芝労組の地方役員を芋づる式に逮捕、起訴した、空前の冤罪事件であった。
 この事件では冤罪死刑を許すなの運動に持って行かれ、真犯人については警察、検察は真剣な捜査を行わず、真相をうやむやにした戦後の怪事件の一つとして残る。
 一審判決は今もさして変わらないように、裁判で無罪を主張する被告達に裁判官は自白調書の署名捺印をたてに検察側の言い分を全面的に認め、被告20人全員に有罪判決、そしてうち5人を死刑判決に処した、後は終身刑から15年以下の有期刑が下された。
 地裁審理のひどさから社会共産両党やメディア、労働組合、映画演劇文化人などが協力し広範な謀略冤罪事件糾弾運動へと全国展開する。
 支援者の顔ぶれを見て驚くが宇野浩二、吉川英治、川端康成、志賀直哉、武者小路実篤、松本清張、佐多稲子、壷井栄ら作家・知識人の支援運動が起こり、無実の国民を死刑にすることは許せないと、今では信じられないほどに、左右の思想や支持政党を超えた広範な全国的運動に広がった。
 そして映画演劇人が無罪判決を勝ち取る為に総評などをバックにして、この映画を作り、映画館だけでなく全国の組合、学校などで上映運動を組織して、後の最高裁の差し戻し審につながった象徴的な映画である。
 昔は良かった風になってしまうが、今と比べて権力の犯罪を許すなと言う広範な運動が起きる活力があった。更にこの映画の制作や出演陣が以下のように凄い。
映画、演劇界の社会的役割を果たす
 監督には山本薩夫、製作に伊藤武郎、絲屋寿雄、脚本に新藤兼人などそうそうたるスタッフが揃い、キャスティングでは、新劇、劇団舞芸座、劇団新人会、劇団汐、劇団青俳、劇団三期会、劇団東芸、劇団新演、劇団現代座(北沢彪らが創立)、俳優座養成所などから20人の被告役が選ばれ、更にベテラン俳優勢としては
岡林弁護人:宇野重吉
大塚弁護人:宇津井健
梨木弁護人:下元勉
上村弁護人:千田是也
吉田刑事部長:西村晃
司検事:多々良純
藤木裁判長:加藤嘉
玉田警視:永井智雄
守屋署長:殿山泰司
幸田牧師:織田政雄
園子の母タニ:岸輝子
武田の母シモ:北林谷栄
太田の妻抗子:岸旗江
斎藤の母すみ:沢村貞子
寺尾裁判長:鶴丸睦彦
原刑事:稲葉義男 ら映画全盛の時代に時間を都合して総勢約100名の著名俳優が出演した(リストはウィキペディアより)。
 普段善人役の多い永井智雄や織田政雄、加藤嘉などに悪人警察や無慈悲な裁判官役をやらせているのも興味深い
 自由法曹団の弁護士役、宇野重吉は出演料の全額を松川事件対策協議会にカンパしたとある。
 この映画は2審判決が一審判決を手直ししただけの判決(無罪が3人、死刑は2人減って3人となり、後の14名は有期刑が出た)に対して、映画演劇人の司法や国家権力への総反撃運動の映画とも言える。今はここまで行く熱気と組織力は完全に分断されてしまっている。何しろ当時はGHQ民政局の支援を受けて作られた総評系労組と社会党ががあり、社会党は衆院ではだいたい4分の1以上の議席を得ていた。
 広範な国民運動の成果により1959年(昭和34年)8月10日、最高裁は二審判決を破棄し、仙台高裁に差し戻した。
 差し戻し審では検察が隠していた「諏訪メモ」(労使交渉の出席者で被告達のアリバイを証明する証拠)の存在と、検察が犯行に使われたと主張した「自在スパナ」(松川駅の線路班倉庫に1丁あった-当初からこれではボルトは緩まないと弁護団は主張)ではレールのボルトを緩められないことが判明した。
 1961年(昭和36年)8月8日、差し戻し審で被告全員に無罪判決がでる。これに対して検察が今と同じで嫌がらせの抗告をした為、無罪が確定せず、更に審理の結果、2年後の1963年(昭和38年)9月12日、最高裁は検察側による再上告を棄却、被告全員の無罪が確定した。
松川事件と私
 1961年(昭和36年)8月当時私は小学校6年生であり、ちょうど夏休み中だったから無罪判決をテレビで見たのを覚えている。多分高裁前で実況中継が行われていたと思うが昼食時に家に戻りニュースを見たのかも知れない。周りの大人も良かったとしてみていたような感じで誰も文句は言っていなかった。53年前は冷房など無い時代だから、何処の家でも、みな開け放ってテレビを見ていた(雨戸を開けて蚊帳を吊って寝ていた時代だが当時テレビ普及率は深浦でも6割を超えていたろう)。
 この最高裁決定がでた時に「まだ最高裁がある」がキャッチフレーズになったが、今は最高裁判所が司法の番人ではなく一番悪いことが判明している。
 またこの冤罪事件で一番先に捕らわれたA被告(当時19才)はその後、神奈川県(横須賀から遠くない所)に移り、ご存命なら80代半ばと思われる。
 その後のエピソードを一つ。
 45年ほど前、母親の妹が遊びに来ていて雑談中に、妹の子供(甥)の話から、「あんたの子供の友達の名はA君と言ってるけど名前が珍しくて、親の年格好からして、その子は松川事件でのA被告の子じゃないの、聞いてみれば」と言って、その後「その通りだったそうだよ」と話してくれた。そして一言、母は「福島には居られなかったんだねえ」と言っていた。国家の犯罪は人の人生をその後も狂わす。
日本の独立は本当なのか
 ところで昨日、苫米地英人さんの『日本人の99%が知らない戦後洗脳史』(ヒカルランド)を読み終わった。この本の最終章にサンフランシスコ講和条約のことが書いてある。
 さてサンフランシスコ講和条約の正文は英語、仏語、スペイン語しか無く、独立を回復したはずの当事者である日本語版は準正文書扱いであり日本語版はないのである。そして英文(正文)には何処にも日本の独立を現すインデペンデントの文字がないとある。
 サ条約は読めば読むほど安保条約とセットであることは知っていたが、これは重要な指摘である。もしかするとあの講和条約では日本の本当の主権回復は無かったのかも知れないからだ。大変な問題だ。だとすれば属国関係は全てここから始まると言うことだ。
 これは26日の論議の中でも紹介して、辻さんなどの意見を聞こうと思う。

by ichiyanagi25 | 2014-08-23 23:15

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