人気ブログランキング | 話題のタグを見る

慰安婦問題余りに度を超した読売新聞のやり方

余りに度を超した読売新聞に対抗する思想
 9月28日の朝、新聞折り込みを見て驚くというか恐ろしくなった。
 読売が朝日の慰安婦報道のミスを攻撃する冊子を作り折り込まれていた。
 冊子のタイトルは『朝日「慰安婦」報道は何が問題なのか』とあり、文章は冷静さを装っているものの「朝日新聞は国際的に日本の名誉を傷つけた」と神国日本を冒涜した朝日新聞は「国賊」と断じるレベルの冊子なのである。
 ここまでやるかである。
 文春や新潮の週刊誌がヒステリックなほどに朝日バッシングをしているが、冊子を新聞折り込みで配布して朝日攻撃をするというのはジャーナリズムのやることではない。
 「慰安婦」問題をここまで騒いで攻撃する読売や産経だが、アメリカにおもねている割には、戦勝五ヶ国の真意を知らない事になる。サンフンランシスコ講和条約の下、現状の日本支配である日米安保体制があるわけだ。これはポツダム宣言を受け入れ、日清戦争以降、勝ち得た領土を全て権利放棄して降伏した事につながる。
 倒錯右翼はこのアメリカによる現状(属国下である)日本支配を突かないで、戦前の日本政府や軍部の行為を評価して靖国英霊論をだしてアジアとりわけ中韓と緊張状況を作り上げている。
 戦時中、軍人の為に用意された慰安婦については連合国側は東京裁判で取りあげようとしたが「戦争犯罪」の範囲が広がりすぎるので、除外したという経緯がある。連合国は日本の慰安婦問題を不問にしたわけではない事を今回触れたい。
 だから慰安婦問題で当時の政府や軍部は植民値や占領した国での慰安婦にした者に「強制していない」と言うような報道や言い訳は国際社会では通用しないのである。
読売新聞と戦争の時代
 戦前の新聞は朝日を含め対中戦争である事変報道を過熱して行い、対米戦争にまでもって行ったのだが、この戦争をはさんで読売を三大全国紙の一つにしたのが公安警察上がりの正力松太郎だ。読売新聞は明治3年に横浜で発行され出した弱小紙であったが、大正12年の昭和天皇(当時は摂生)の暗殺未遂-虎ノ門事件-の責任で免職された正力は大正13年に読売新聞を買収している。警視庁警務部長上がりで懲戒処分(免職か辞職かは資料によって異なる)をうけた者がどうして新聞社の買収資金を調達したかが不明である(ここを明らかにした書物を読んだことがない)。
 しかし昭和の軍国主義の時代に読売の発行部数を伸ばしたのは軍部を鼓舞した結果であり、その任務を負わせる為に資金提供されたのであろう。
 時代は下って今の読売は独裁者ナベツネの元で安倍を持ち上げ、中韓敵視の報道をして、アジアの危機を煽り、だからアメリカ様助けてと、自衛隊を差し出して(集団自衛権行使)までアメリカにすり寄る姿勢は哀れである。これは勇ましいことを言いながら自主独立の気概のない植民値メディアでしかない。そして実質反米でもない朝日をここまで攻撃する意図は何なのか。単なる安倍擁護にしては常軌を逸している。
 正力とCIA、原発の関係はつまびらかにされているが、言論界に君臨するナベツネについてアメリカとの関係は生前は明らかにされるのは無理なのかも知れないが、国民は従米メディアの本質を知り、煽られないことである。
 慰安婦問題で強制的なものは無かったとするのが倒錯右翼連中(アメリカには従順)であるが、先ず以て認識せねばならないのは朝鮮半島は1910年から敗戦までの35年間日本の植民地であったこと言う事実だ(帝国主義の時代でありロシアによる占有よりまし、と考えた英米も、日本による韓国併合に反対していない)。
戦争と性処理そして慰安所
 なおこの問題で「従軍」慰安婦と表現するのは軍用である事への混乱を招いて倒錯右翼の術中にはまるから呼称は正しく使うべきだ。兵隊用と言うだけで従軍を使うのは呼称の取り違えであり、従軍とは記者とか看護婦など軍の為に公式に働くいわば軍属だ。
 人権感覚極めて乏しい旧軍もさすがに陸海軍直営で女郎屋運営をしようとは思っていなかった。但しこれは日中戦争が本格化する前の日本国内での話である。
 特に米英と先端を開いた時からは明確に占領地には軍専用の慰安所を開設した。
 海軍などはトラック島などの根拠地には士官用の料亭まで出したから当然、将兵用の慰安所も作った。こう言う場合内地からの支店であるから芸妓、酌婦、娼婦が海軍公認で輸送されたが、その他の占領地では日本から連れて行くのも感情や輸送問題があるので、現地調達を陸海軍共に行っている。これには命令や通達など公文書が残っており否定することは出来ない事実で、連合国側も当然資料は持っている。またオランダ人やオーストラリア人は捕虜或いは抑留された白人婦人を将校用の慰安婦にされているから、軍は関与していないなどとの言い逃れは絶対に許さないし、英連邦国家も許さない。
 占領地で軍専用の慰安所が作られたのは以下の国々や地域。
 中国 香港 マカオ インドシナ(ベトナム)フィリピン マレー シンガポール ボルネオ(からゆきさんでも有名)東インド ビルマ タイ 東部ニューギニア 沖縄(戦争末期) 小笠原 千島 樺太。南洋諸島ではトラック コロール、サイパン グアム ニューブリテン島(ラバウル)。慰安所総数は陸海合わせて約400と言われる。
 慰安婦は国内で既に娼婦としていた者を輸送しても居るが、広大な占領地に新たに日本人を慰安婦募集することは、軍不信を招くから植民値の朝鮮、台湾からの調達を意図した。また前記のように占領地に居た者を手っ取り早く慰安婦にした。
 外国人慰安婦で公文書で確認されているのは以下の国々の人。
 中国人 フィリピン人 インドネシア ベトナム オランダ人で、その他証言や日記、回想録に記載されている者としてはマレー人 ビルマ人 華人 インド人などが居る。
 以上 共同研究『日本軍慰安婦』(大月書店)より。
 また朝鮮や台湾でも募集は総督府や軍隊が関与して村に強制的に割り当てたり、女衒ブローカーに病院勤務、雑役婦などの名目で募集にし慰安所に送ったケースも多い。
 なお敗戦時これらの文書は大量に焼却処分されているが占領地が広範囲におよんだ事と、陸海軍や植民値の総督府や外務省、内務省や警察が絡んでおり、全てが処分しきれず残ったものである(外地では連合国に差し押さえられたものも相当ある)。
 これら客観的事実があるのだから「強制はなかった」との歴史のねじ曲げはいい加減にした方が良い。図に乗ってやるとアメリカを初めとする連合国にガツンとやられることになるだろう。
その当時の当たり前は通用しない
 一方慰安婦問題を理解する上で戦前日本の性意識を知っておく必要もある。敗戦によるマッカサー占領まで日本は公娼制度であったことだ。日本各地に遊郭があり、男の三大道楽の「飲む、うつ、買う」のうち、「買う」はまさに女郎買いのことだ。この当時の「当たり前」だが、だから軍が慰安所を作って何が悪いは通用しない。
 もちろん横須賀にも柏田とか皆ヶ作(銘酒屋)の遊郭があった。公娼制度ではない銘酒屋と呼ばれる店が揃う私娼街も各地にあった。だから臆面も無く慰安所を開設して強制させたのに罪悪感が少ないのである。
 しかしこれは国際的に見て通る話ではない。事実1910年日本は「醜業ヲ行ワシムル為ノ婦女売買取締ニ関スル」国際条約を承認している。この条約は売春目的で未成年者を勧誘、或いは誘拐した者は本人の承諾を得た場合でも罰せられる規定があった。
 また成人女性でも詐欺、暴行脅迫、権力乱用や強制によって売春を強要した者は罰せられた。但しこの条約は植民値には適用しない抜け道を考えた。この様な経緯があるから関与した政府機関や軍関係者は必死に否定するのであるが、往生際が悪すぎる。
 この様な明白な国際条約違反があるから連合国は東京裁判で軍用慰安婦問題を取り上げようとしたのである。れっきとした条約違反であり戦犯行為になる。
 また占領地にすぐさま慰安所を開設しているが、これは開戦前から準備していていなければできない芸当である。
 慰安所開設に血道を上げたのは日本軍は兵隊に対する人権感覚が極めて乏しい事と、長期総力戦に引き込まれアメリカのように将兵を半年ごとに前線から引き揚げさせて交代で休養をとらせるような事が出来ない。だから占領地で兵隊に短期外出を許した時には女をあてがうのが一番の慰安になると考えていた。
 また朝鮮台湾人を臣民としたのだが実際には差別意識は物凄いから植民地の婦女を慰安婦にすることは抵抗がなかったことも理解しておく必要がある。
それとどこの国の兵隊にも言えるが戦闘が終わり占領が始まると強姦暴行事件が多発する(横須賀占領の際にもその日のうちに米兵による6件の強姦事件が警察に届けられている)。シナ事変中多くの強姦陵虐事件があったので陸軍は占領した各地に慰安所を速やかに作ったが、強姦した将兵を軍法会議にかけることはしないから強姦掠奪は減らず、各地に抗日ゲリラが活動が起きる原因となった(解放者ではなかった)。特にフィリピンなどでは恨みを買い日本兵が降伏しても住民やゲリラに殺害されるケースが多かった。
被制圧国の人民は抵抗する
 慰安婦に限らず植民地にされた国民は制圧されているのだから日本政府や軍に反感を持つのは当然である。そして抗日運動が起きる。インドでもベトナムでもアジアの多くの被制圧国がそうだったが、韓国民は併合後も独立運動を起こして弾圧され多くが命を落としている事も知っておく必要がある。 
 スポーツでも日本支配に拒否を示した有名な例がある。1936年ベルリンオリンピックで、マラソンで1位、3位となったのは韓国の孫と南選手(明治大学生)だが表彰台では孫選手は日章旗を見ずにうつむき無言の抗議、韓国紙は胸の日章旗を消して写真掲載し弾圧を受けている(88ソウル五輪の時にテレビ報道された-孫氏は同五輪の聖火最終ランナーを務めた)。
 大東亜戦争は日本が大東亜共栄圏を主張した結果だが、緒戦の勝利はイギリス、フランス、オランダをアジアから追っ払って、主を日本に代えただけだから当初は日本軍を歓迎した国々で1年もたたずして抗日活動が起きるている。
 この歴史経過を概観して慰安婦問題を認識しないとセンセーショナルな排外的意識に煽られてしまう。全く恥ずかしい話で、教養を身につけ来年の戦後70年を冷静に迎え非戦を考えたい。

by ichiyanagi25 | 2014-09-30 10:50

<< 再生エネルギー買い取り見合わせ... ここまで支配が及ぶのか沖縄知事... >>