選挙とは主権の行使を託す厳粛な行い

選挙とは主権の行使を託す厳粛な行い
国民主権の意味とその行使
 現日本国憲法の三大要点は、1,恒久平和、2,基本的人権3,国民主権である。
 今回は国民が持つ主権は、誰が行使するのか、という根源論を展開したい。
カルト安倍と従米右翼の改憲論を嗤う
 まくら的に言えば、現憲法は降伏した日本政府が国体護持(天皇主権維持)の点でグズグズしていたので、マッカーサーがGHQ民生局に命じて、新憲法原案を日本側に提示したのである。アメリカは降伏後の日本管理の点から、戦時中から憲法案を検討していたはずだ。
 現憲法は降伏後、アメリカの占領意図(政策)が掴めず、明治憲法を部分改修くらいですませたいと思っていた日本に対して、これで行くようにとGHQから指示されたものだ。これを改憲志向勢力は「米による」という主語を外して「押し付け」という。
 しかしポツダム宣言を受諾し、降伏した日本にGHQ案を拒否など出来はしない。また象徴制にされても、天皇制は残された訳だから、当時の主権者裕仁天皇はこれを了とした。
 それが気に入らないから、安倍を始めとするネトウヨ連中は「改憲だ」と言う。
 しかし国として独立を回復するという気概がない、改憲論は全くナンセンスであると指摘したい。日米安保体制とは、宗主国のアメリカと属国日本の従属関係なのに、この事実を暴き独立の回復も言わないで、改憲を騒ぐのは、まともな精神構造ではないのだ。
 従米右翼の言い分で一番の問題は、この一点にある。反論があれば聞きたい。
 サンフランシスコ講和条約のくびきを解き、かつ安保条約を廃棄して独立を回復する、こととセットで改憲をしなければ、真の独立国としての自主憲法とはならないし、宗主国に潰されるだけだ。安倍が急に持ち出した9条の1,2項の上に自衛隊を書き加えるというのは、独立を放棄した改憲である。憂国の士なら怒らねばいけないのである。
アメリカの為に戦争しないなら改憲は必要ない
 しかし国民の側から見ると、明治憲法で有無を言わさず徴兵され、天皇を頂く支配層のための領土獲得戦争に駆り立てられ、命は全く軽く扱われたのだから、「押しつけ」られようと、現憲法のほうが国民の利益にはかなう。
 但し現憲法が2度とアメリカには刃向かわないようにする、との目的があることはまぎれもない事実だ。
 それは初期占領政策が、日本を非武装とし、国連軍が日本の防衛を担当するつもりであったからだ。しかし冷戦が始まり、朝鮮戦争で国連軍の構成が上手くいかないことに気がついたアメリカは、米の単独占領とするために、サンフランシスコ講和条約(片面講和)を結ばせ、見せかけの独立をさせた。
 これで米以外の連合軍諸国を日本から撤退させ、そして吉田首相1人に日米安保条約にサインさせ日本の占領を、表向きは隠れて継続することにした(これが今に繋がる本当の姿である)。
 国民は、今の日本はアメリカの属国であり、独立を回復していないことをまず認識し、同時に国民の暮らしと命の保証には、現憲法は役に立っている。を認識する事である。
国民が持つ主権は誰が行使するのか
 前置きの憲法評価が長くなったが今回の話題は、憲法の三大要点の一つ、国民主権についてである。
 日本国憲法が保証する「国民主権」は、日本国籍を持つ全ての国民が対象になる。要するに今日生まれた赤ん坊から、百才を超えても死なない限り、主権者である。
 先の大戦で310万国民犠牲の上で、国民に与えられた重要な権利である。
 敗戦までは天皇が只一人の主権者であったから、交戦権の行使(開戦の詔勅を出す)も、先の大戦での敗戦受諾も天皇が御聖断として行った。
 権力の集中と批判を許さない制度は、支配層に取って非常に都合の良いことを先ず知ることだ。要するに簡単に戦争ができないようにするには、権力の分散をすることが良いのだ。
 そこでアメリカは上(かみ)一人のものであった主権を、国民主権として国民の数だけに分散したのである(1億2千数百万人分)。
 ではその権限を手にした国民は、主権者としてどのように立ち振る舞うのか?そして、自分が持つ主権はどのように行使できるのか?この最重要のところを、残念ながら小学校以来、一度も教わった事はないはずだ。
 これは占領下でも逆コースが始まった時期から、アメリカ(GHQ)も国民に普及させることはなく、そして何より、主権を国民が持つ意義を国民に知らせたくない、日本の支配層が、教えないことにしたのだろう。
 国民を利口にしないためである。
 このブログを読んでいる人でも、「国民が持つ主権の行使は誰がするのか」と問われて、すらすら答えられる人は居ないはずだ。
 誰からも教わっていないし、護憲野党もメディアも学者も言わないから、ここに気がつく人は自分自身で一生懸命考えた人か、希にこの点を指摘する識者に会わない限り、この国民主権の本当の価値を知りえないのだ。
 辛うじて思考力を有する国民は、一人一人が持つ主権は、勝手に行使できるのかと自問自答するだろう。そして自分が持つ主権行使の権限は、せいぜい、憲法が保証する請願権の行使くらいしか思い浮かばないだろう。
主権の行使は選挙で選ばれた人が行う
 では国民が持つ主権の行使は、誰がするのかの、答えは簡単である。
 選挙で選ばれた議員と首長が、主権の行使権を有するのである。国会では衆参両議員を各選挙区から選ぶ。衆院は多数を制した政党・会派が、与党となって内閣を組織する。
 現憲法は地方自治を制度化したから、都道府県知事や市町村長と、またそのチエック機関である地方議会を構成する議員を選ぶために統一地方選挙を定めたのである。
 だから有権者は地方政治では、行政権を持つ首長と、それをチエックし議決権をもつ議会の構成員である議員を、1人の主権者(有権者)が同時に選ぶ仕組みである。
 これを2元代表制及び(執行機関と議決機関の)機関対立主議という。しかしこの主権の行使を信託されたことに無自覚で、かつ機関対立主議の意味が分からないで、立候補し当選してくるから、地方議員の9割以上が勘違いで議会活動をして、簡単に長になびいてしまい、シナリオ議会とか学芸会議会に堕している。
 「主権の行使を任されている」を認識できないのは、国会議員も同様である。野党はこのことを国民に知らせることであるが、野党議員(共産党まで)にしても、その認識が希薄だから言う者がいない。
 要するに議員(地方・国会を問わず)は、投票してくれた主権者の思いを議会で、主に議決権として行使するのである。
 投票とは主権の行為を信託する極めて厳粛な行為なのだ。戦後72年、肝心のことを教えないから、国民も議員も主権の行使を託す、託されるの意義を知らずに選び、選ばれるから、まっとうな政治が行われないのだ。
 故に逆説的に言えば、自分の思いがない主権者は投票などしては行けないのである(主権の行使論を教えず、ただ投票にという選管も総務省もトンデモない本末転倒である)。
 また、多くの国民は主権者意識より有権者意識の方が強い。だが有権者とは主権者が投票で、その行使をしてくれる者(議員と首長)を選ぶ権利を得た者(有権者)という、重い意味を認識することである。
 今は18才以上の主権者である国民が平等公平に有権者となる。
主権者の思いを代位しない安倍政権に国民が解散を求める
 今の安倍政権は国民の7,8割の主権者の思いとは違う。要するに主権の行使を安倍なんかに、任せていないと言うことだ。
 だから野党は国民主権者の思いを実現するため、選挙で国民代表を選びなおすために、解散を求める必要がある。まともな野党なら当然、政権与党に内閣総辞職か解散を要求せねば、主権者の思いを実現する気がないことになる。
 この国民の思いを阻害しているのが、野党第一党の民進である。民進国会議員は、ここまで主権者国民から見放されていること、を深刻にとらえる必要がある。
 特に民進のまともな人達(対米従属でなく新自由主義者のしもべでない人達)は、支持政党なしと反安倍の自民支持者に選択肢(要するに受け皿)を示し、あなたの思いを国会で反映するとアピールする必要がある。
 そして自公と結びつく裏切り者が支配する民進を解党し、そいつらを裏で仕切る連合も自民組と非自民組に分けることだ。
 これをしないから、脱原発も大声で言えず、支持が回復しないのだ。
 繰り返すが、選挙とは国民1人1人が持つ主権を行使する人(委託する)を選ぶ、ことである。
 選挙とはまさに、主権を持つ国民が、主権者の思いを実現して貰うため、主権の行使を託せる人を選ぶ、唯一の機会なのであるし、主権者国民の思いを実現させるための、最重要な行為なのである。
 安倍を認めない国民と野党は、国民主権の重要さを認識して、解散を求める権利を有する。
 特に主権を行使を託された野党国会議員(特に民進)は今の体たらく状態を解消し、自民に代わり、政権交代できる野党を再編する責任がある。
 その為には野党は主権者の思いを受け入れる、統一政策を提示する必要がある。その行為が自公と安倍にノーの主権者らの受け皿になるのである。
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by ichiyanagi25 | 2017-07-26 19:33

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