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神奈川新聞記事と教科書検定 -旧軍による沖縄住民自決強要削除問題 (その2)

深浦漁民を土民と呼び殴りつけた憲兵
旧軍がまさに国民の命など鴻毛のごとく扱っていたのは、我が家の話しを聞くだけで合点がいきます。我が家の体験を披露して当時の軍の実態を特に若い世代に知って頂ければと思います。
 私の家は大正の始めから昭和26年まで祖父、父が漁業を営んでいました。
 父は高等小学校を卒業した昭和6年頃から10年頃までは10代後半の漁師として網船に乗り組んでいましたが、軍港内の操業禁止区域内に入った容疑で2,3回検挙されたことがあります。(なお深浦漁師の漁場は殆ど軍港区域に入る)。
 海軍の警備艇に捕まると憲兵に引き渡され逸見から米が浜の憲兵隊迄歩かされ、取り調べを受けたそうです。取調は少しでも言葉遣いが悪いと殴られたそうで、取調官の言う通りの供述をさせられたと言っていました(証言録のテープもあります)。その上起訴され裁判にかけられ船頭何十円、ひろのり(のり子)幾らと罰金刑に処せられたと言います(さすがに実刑はないそうです)。
 また太平洋戦争が起きた年の1941年3月には憲兵が深浦に来て「国家非常時海軍第1軍港に漁師が出入りするのは都合が悪い、漁業権を放棄して欲しいと」頼みに来ました。「頼み」と言っても実際は強要に近かったと、その時の寄り合いに出た親戚の漁師は証言しています。
 戦後に1期だけ横須賀市長もした地元県議の石渡直治さんなどに頼み「漁業権放棄をしたら漁師は路頭に迷う、どうか継続をと」願い出ました。結論は「では土民だけは認めるが他所のも者の使用はまかり成らぬ」となりました。当時は櫨漕ぎから網の上げ下ろしまで全て人力ですから人手が要ります。そのため網元は千葉などから冬は乗り子を季節労働者として傭っていましたが、この年から人を傭うことが出来なくなり親戚の網元は廃業となります(二昔前まで深浦で菓子屋を営んでいた、おけやさんのことです-廃業により万屋をしたわけです)。
 自分たちの食料を取る自国民たる漁師を「土民」と呼び捨て、取調べでは殴る蹴る、仲間を守るため黙秘でもしようものなら拷問も辞さない軍隊が、戦時沖縄で非人道的な態度を取るのは想像に難くありません。
神奈川新聞記事と教科書検定 -旧軍による沖縄住民自決強要削除問題 (その2)_f0165519_10213897.jpg
追浜から横須賀港にかけて停泊する帝国海軍の軍艦空母から戦艦、巡洋艦、が集結。ここが深浦漁師の漁場であった。
昭和18年5月中下旬頃の撮影 丸スペシャル 北方作戦より(1985年刊行)


 また戦争当初から国民に死ね死ねと毎日すり込んでおり、レイテ敗戦から特攻や、玉砕を強要した軍部が民間人に自決を強要したのはむしろ当然と思います。当時の国民が、アメリカが上陸して来たら死ぬもんだと誰でも思いこまされていたことは、80以上の人に聞けば分かると思います。私の母(89才)も敗戦間近には親戚から「青酸カリを分けて貰い持っていた」と以前語っていましたから。
 当時の狂気を思い致し2度とこの過ちを繰り返さぬ決意こそ後生に生きる者の努めではないでしょうか。 
 チェック&バランスが重要
 旧軍の国民の命を徹底的に軽んじた体質と蛮行は糾弾し続けなければなりません。
 時がたち生き証人が段々いなくなるのをみ計らっての、今回のような策動を起こす勢力には常に注意を払う必要があります。またそのような思考を持つ議員は国会地方を問わず当選させないことです。
 幸い今回は参院選での自民敗北とこれを実質命じた安倍の無責任さが露呈したので早期な再見直しが行われました。また沖縄での超党派の抗議、野党の勢力増が効果を発揮しました。政治は常に国民の命を最大に思わなければいけないこと。また暴走を許さぬバランスを取る必要があることを学びたいと思います。

by ichiyanagi25 | 2007-10-07 00:00

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