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市長不出馬表明に思う


沢田市政の光と陰
 11月30日新聞各紙で報道されたとおり、沢田市長が来年4選出馬をしない旨を議員の質問に答える形で表明しました。
 私の考えからすれば権力が集中する首長は3期目で止めた方が良いと思います。しかし美術館を争点に市長選が行われるなら現役続投の方がわかりやすいと思っていました。
 市議初当選後から2年目の93年に市長になられたので3期12年沢田市長に議員として向き合ってきました。その12年を私なりに評価すると前半6年と後半6年で評価が大きく変わります。
 ハコモノラッシュで財政危機招いた前市長
 前半6年は横山市長の閉鎖性や放漫財政の改善に努めた点を評価しています。91年議員になった私は次々と立ちあがるハコモノにため息をつきました。いま改めて落成式で配られたテレカのファイルを見て当時のハコモノラッシュに感心しています。ヴェルク横須賀、追浜行政センター、総合芸術劇場、総合福祉会館、坂本斎場などなど。特に総合芸術劇場は今でも無駄な金をかけすぎ、時代遅れの設計者に設計させたことでの使いにくさを感じています。大ホールのせり上がりやスライド舞台は全く無駄でした。丹下先生のおかげでエレベーターは足りないし、産交プラザのタッパは低い等、使いにくさは未だに尾を引いています。
 この様な問題をチェックするのも議会、議員の役割です。私が議員になったときは総て決まっていた後でしたが、何ら改善できなかった事に未だに臍を噛んでいます(その後のウエルシティでは教訓からずいぶん意見を述べましたが)。
 確かに都市に必要な施設は多いのですが芸術劇場に見るように無駄も多く、その結果借金は膨らみ財政危機を招きました。沢田市長は市長就任直後から財政問題の情報公開に努めました。当時不支持勢力だった私達にも積極的に説明しました。また横山退陣の93年当時情報公開条例を持っていなかったのは県下19市中三浦、南足柄と本市の3市だけでした。当時の社会市民連合は情報公開条例を作るよう申し入れていましたが横山市長はやる気なしでした。
 情報公開、市民参加に道開き埋め立て撤回へ
 横山前市長は93年の市長選直前、港湾審議会を密室で開きポートフロンティア計画を決めました。これに対し私と市民団体は呉東弁護士と相談し、議会での追及では数の上で限界有りとして全国でも初めて「密室審議による港湾計画決定は無効」として横須賀簡易裁判所に調停を申し立てました。
 効果抜群でした。運輸省から叱られた港湾部担当者は私に翌朝「本省から怒られています言うことは何でも聞きますから調停を取り下げて下さい」と電話が来ました。
 そこで複数の議員と出かけ「ならば港湾計画を白紙に戻せ」としましたが『それは無理』と言うので「では港湾審の公開と資料開示及び情報公開条例作りにすぐ着手せよ」と求め約束させましたが、もっと上の担保が必要と思い井上助役に迫りました。井上助役は『この点は遅れてきました、すぐ着手します』 として事実条例化が促進されました。情報公開条例は本来議員立法したかったのですが、当時この提案は社共しか賛成が期待できませんでしたので市長提案を飲むことにしましたが、審査過程でこちらの意見を入れてくれたので8割がた満足いきました。
95年には各種審議会の公開と市民委員の公募を本会議で求めましたが2年ほどで総て実現してくれました。また長期委員を務めている人、8つの審議会の掛け持ちをしている人など「前市長のお気に入り」人事も改めてくれました。その結果当時の社民党は97年市長選挙では沢田支持に回りました。
ポートフロンティア計画は沢田市長は引き継いだときから取り組む気はなく今年度の港湾計画改定で正式に廃棄されます。
 奢りと、不透明行政の始まり
 しかし22期目半ばの99年から美術館建設が出てきて評価は変わっていきます。2001年には馬堀高潮対策事業で東部漁協大津走水支所に破格の見返りを与えた事が分かり不透明なことを裏で行っている事実も明らかになりました(新聞記事参照)。ココをクリクしてください。
 また中央駅南開発でも不明朗なことがあり私は建設常任委員会で鋭く追及しました。結果、担当部長は長期に休みを取り02年9月に図書館建設は白紙撤回になりましたが、市長は『責任は私にある』とは言わず、行政トップの責任もはっきりしない中、担当部長は定年を前にして同年暮れ退職しました。
 またIT化や入札の改善はよいですが、今の入札状態は異常で市民に冷たすぎます。また自然環境、海や魚を大事にしない事も距離感を感じる原因でした。
 自分の趣味が政策に-長期政権の弊害
 食も自分の好きなカレーはアピールする物の東西の魚を街の活性化にいかそうとはしません(随分提案しましたが)。東京湾汚染原因の下水道対策にも非常に消極的でした。海は景観としてあればよいので赤潮で泳ぐ気がしない海でも気にならないようです。2期目半ばまでは何度か会見し自然回復を提案をしましたがオペラや美術には関心があるが自然には興味がないことがわかりました。
 下水道にISO14001を先行取得させたのも「初物」好みによるもので、合流下水が海川を汚す事については「国策であり市の責任ではない」と除外するなど「羊頭狗肉」で環境汚染を懸念する職員からはUSO800と皮肉られています。ゆえに自然環境再生などでの環境行動自治体は看板倒れ、海へのアクセスなど市民をかけがえのない海へ誘導する事は自ら具体化されてませんでした。国際海の手文化都市は「海の手前で」文化停止ですが、幸いにも国の姿勢が変わり、かつ現場担当職員が理解してくれているので何とかなっている状態です。
 よく見ていると美術館にしてもカレーにしても自分の嗜好と趣味に深く結びついているようです。
 また行政改革も肝心の点では、やはり役人に甘いと感じています。結局官僚には厳しい行政改革は出来ないとつくづく思いました。
 3期目にして完全に横山市制末期とオーバーラップしてきたというのが私の感想です。議会の8割は市長支持派で緊張関係は弛緩し、幹部職員はイエスマンがしめる。そして市民の反論には耳を貸さない。まさに政権末期症状を感じていました。
 結果、四期不出馬宣言は市民のためかも知れません。しかし来年三代続いて自治省(現総務省)出身者を選ぶのでしょうか。もしそれしか選択肢がなかったら市民にとって全く「惨めな選択」になるでしょう。
本来辞めゆく人に(まだ7ヶ月あるが)は賛辞を贈るのが日本人の言霊感覚に合うのかも知れません。しかし、議員は市政のチェック役です。沢田市政11年半を振り返り是々非々で評価をさせて頂きました。

by ichiyanagi25 | 2004-12-02 00:00

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