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終末医療の拡がりを期待し

追浜地域でガン終末医療実現化へ
尊厳ある死に方
 末期ガン患者が在宅で終末を迎える(家族としては看取る)意義は多く語られています。
 遺族の方の感想を聞いたところ「自宅で看取ることで夫婦や家族の愛情が深まり、死を迎えた時は辛かったが、満足感を持っている」と肯定的意見を数多く聞きます。また逝く人当人もガン患者の場合、意識はしっかりしています。家族から慈愛に満ちた面倒を見て貰っていることを日々実感しますので、感謝の気持ちも生まれます。ここが脳疾患で在宅介護する場合と違い、ガン患者の終末を自宅で看取る最大の効果と意義があります。
 特にここ25年はガン患者が急増しています。また女性の場合婦人科系ガンが急増し40代から50代の場合死亡率は5割を超える現状にあり、在宅ターミナルケアの充実は急務と感じています。 
全市的取り組みへ
 患者の権利と尊厳ある死の選択を求める「やすらぎの会」は治療が尽きた人のケア体制充実を求め、ここ3年、横須賀におけるガン患者の終末ケアを具体化するため多様な活動を展開しています。
 やすらぎの会と関連しつつ私は議員として3年半前のガン手術を終えた後から様々に質問していますが、2003年12月本会議で終末を何所で迎えたいかを市長と市民病院長に問い、市長からは「家族の元で」との答弁を得ました。
 この様な経過から昨年は終末在宅ケア問題を市民協働事業に取り上げて貰い、昨年8月末には3師会(医師会、歯科医師会、薬剤師会)及び看護協会それに、市とやすらぎの会で実行委員会を結成し、市初めての在宅終末ケアの意義を考えるシンポジウムを開催しました。医療団体、行政、そして市民団体が実行委員会を作りこの問題に取り組んだのは画期的であり大きな前進であり、その具体化に向け今年も継続しています。
 しかしまだ末期ガン患者の在宅ケアの実現には各団体や個人レベルでの温度差もあるため、昨秋からはやすらぎの会が患者の権利と、在宅終末医療の実現をめざして連続セミナーを開催しています(次回は3月24日テーマはガン告知を怖がらない)。
 昨年11月11日の「在宅死を考えるセミナー」でも明らかにしたところですが、末期ガン患者の在宅ケアを市内で行うには1行政センターに最低限一人の医師がいれば当面のニーズには対応できるということでした。しかし現在在宅終末ケアを積極的に行っている医師は市内で数人しか把握できていないと言う現実でした。
追浜地域で医師現われる
 こういう現実にある中で、市内全域で啓発活動に努める傍ら、私の住む追浜から医師を捜すことはできないかと情報収集した結果、今年40才になられる追浜の内科医と出会いました。
 年明け早々この方とお会いし、追浜地域で末期ガン患者の在宅終末ケアに携わって欲しい旨要請したところ、当方の意見に賛意を示され快諾して頂けました。そこで早速その方の紹介をします。
■大田医師紹介
 大田祥一 1965年生まれ(39才)。
 1992年 医師免許取得。2003年 追浜に開業。
プロフィール:横浜市立大学医学部卒業および同大学院卒業(免疫学専攻)。国立横須賀病院、衣笠病院を経て追浜に「大田クリニック」を開設。糖尿病などの生活習慣病、膠原病といった慢性疾患を中心に診療を行っている。
また「オオタ アロマヒーリングルーム」を併設し、西洋医学を補う目的でアロマテラピー、ハーブといった代替医療を実践中。
所属学会:日本内科学会、日本糖尿病学会、日本リウマチ学会、日本ホリスティック医学協会
大田クリニック 865-0865 (追浜町3-1-9 シブヤビル3F-追浜駅から船越方面へ徒歩3分)
連絡の取り方
 在宅終末医療については未だその意義が一般的に普及しておらず、大病院もなかなか「これ以上の投薬や治療は効果はなく緩和医療に移行した方が良い」とは言わないのが現状です。また現実を受け止め、情報を得て在宅でのケアを求める患者家族も少ないのも現実です。
 市内で末期ガン患者の在宅ケアを一番にしている野村医師によると野村クリニックに来た末期ガン患者の平均余命日数は28日で、最短は病院を出て2日後に亡くなったそうです。大病院の終末医療における配慮欠如を感じざるを得ません。しかし良いあんばいに横須賀市ではこの現状を変えようと思っていますし、医療機関も患者家族の希望を拒否できない時代です。扉を開くには市民のリクエストが必要です。追浜地域の方、是非お考え下さい。
なお現実に終末を診て貰うには、医師との十分な意思疎通が必要で、その医師に死亡診断書を書いて貰うことになる事から主治医の変更も必要です。ですから追浜や船越地域の方で大田先生に最後を診て貰いたい方は、
当面一柳か(866-4561又はメールでも結構)かやすらぎの会865-3381へ先ず連絡頂ければと思います。
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by ichiyanagi25 | 2005-01-17 00:00

成人式に思う

1月は各種団体の賀詞交歓会が目白押しだ。
 不思議に思うのは行政に関係する賀詞交歓にはオーバーラップして参加する人が多い。特に町内会役員や福祉団体及び警察/司法(防犯協会や保護司など)の関係者が多い。1週間に幾度も同じ顔と合う。もう少し整理したらと思うし、会費もバカにならない(何故か警察消防関係は会費が高めだ)。そう言うなら欠席すればいいじゃないと思われる方も多いだろう。しかし議員心理からすると呼ばれたら不義理はしにくいというのが本音だろう(出なければ悪く言われるし)。
 ところで35年前から整理すべきと考えている一月の式典がある。成人式である。
 35年前は20歳になる年だった。当時は1月15日までに満20歳に達しないものは「成人式」にお呼びがかからず翌年回しとされた。2月5日生まれの私は学年的には殆ど顔見知りがいない「成人式」に出なければならないのも癪の種だった(その後学年別に改正された)。
 しかし行政が20才を祝うのが論理的にもおかしいし、何よりお節介も甚だしいと思った。子供が二十歳まで育った事を喜び祝うのはまず親であり、そして兄弟親戚、次いで友人や恋人(配偶者)、また奇特な恩師や近所の人だろう。何で行政が他人の子に税金使って祝う義理があるのだ。納税者の観点からもおかしいと思う。その思いは今でも変わらない。
 だから自分の成人式には欠席し記念品も貰わなかった。その代わり1971年成人の日には朝日新聞に式典欠席代表として紙面座談会に出た覚えがある。議員となり毎年「成人式」に招待を受けているが、この思いから14年間一度たりとも出ていない。
 話は変わるが、行政のお仕着せ成人式に出かけ騒ぐ輩は言語道断だ。騒ぐのは目立ちたいからだろうが、人の集まるところでバカ騒ぎするのは暴走族と同じ心理構造だ。また騒ぎを期待し取材に行くマスコミはマスゴミと言った方がよいかも知れない。まあ目立ちたいなら行政丸抱えの式典でなく自主企画を立てて目立ちなさいよ。
 また騒がれるなのが嫌なので行政に従順な若者集めて実行委員会のような物を作らせ式典やる自治体も何をか況やだと思う。
もしものこういう小言式典なら歓迎
 もし行政が新成人を集めるなら、有権者として見識持った首長や議員を選ばないと「大変な損失となる」ことを市長や議長が縷々説明する。また警察署長が出て「これからは諸君らが犯罪を犯した時は、氏名と写真も公表するから親を泣かせぬ様自己責任でやれ」と言う。こういう内容なら行政開催の意義を認める。
 とにかく一人の子供が成人になったことを祝うのは個人的、家庭レベルの事である。兵隊検査の代わりに戦後こんな式典を考え出したのが間違いの元だった。
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by ichiyanagi25 | 2005-01-14 00:00