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神奈川新聞記事と教科書検定 -旧軍による沖縄住民自決強要削除問題 (その1)

水害対策を約束しなかった市長
 10月2日付け神奈川新聞で9月28日に行われた本会議、一般質問の要約記事が載りました。私の質問が、見出しとなっていましたが、「市長にやらせるようにしたんですね」と昨日聞かれました。この記事は要約されすぎ誤解を招くのではと思っていましたが、やはりそうなので、議会質疑の肝心なところ取り急ぎ報告します。
 水害対策の為の雨水管敷設ですが、市長は確かに「努力したい」とは答弁しました。新聞を読む限りやってくれると取られると思います。しかし政治では「努力したい」というのと実際にスケジュール通り行うかは別問題です。蒲谷さんはこの問題に限らず、「やるつもり」とか「努力する」とかは言いますが、何時までにこう実現するとはまず言いません。ゆえに暖簾に腕押し市長などと巷から評価されるのでしょうが、27ミリの降雨でも溢水してしまう鷹取では早く抜本対策をして欲しいと思っています。
 予見可能性は調査で分かったならば結果回避義務を果たすのが行政であるとも指摘したところです。
 「努力したい」という答弁に対し、2問目で「上下水道局が地元で説明した年次計画とおり実施してくれるのか」と問うたところ「必ずやるとは財政の関係もあり、保証するとは申してません」と早速トーダウンしました。詳しくはひろし通信で(10/19発行予定)報告しますが、努力は(見せる)するが保証はしないというのが答弁なのです。 また環境組織の一元化も何時までに行うと言わないので「せめて2年後をめどにとか言えないのか」と再質問したところ「言われるとおり2年後くらいにはと思っている」と答弁したのであり、みずから積極的に2年目と言ったわけではありません。
 特に水害対策は30億円もの事業費を必要としますから、私一人の追求では埒があきあせん。地元が一丸となって取り組み要請しないと財政不足を理由に延ばされる可能性は十分あると思います。
市議会高校教科書軍関与削除の検定見直しを求める意見書、否決す
 9月28日の本会議では請願の評決のほか意見書についても評決が行われました。
 今報道されている、昭和20年沖縄戦でおきた日本軍による住民の集団自決強要記述削除の高校教科書検定について、横須賀市議会にも政府に意見書を提出するよう求める請願が「かながわ歴史教育を考える市民の会」(横浜磯子区-照井代表)から出されました。
 委員会では少数賛成で否決されたので、本会議では原案について採決が行われました。結果は16対26の賛成少数で否決されてしまいました。賛成したのは私たち無会派4、ニューウイング2、共産3、研政よこすか7です。反対に回ったのは保守の新政会9(議長を引いた数)自民8と創明ク2そして公明7の26です。 
理解に苦しむのは公明が反対に回ったことです。連立政権の為自民に気を遣って党本部の意向がハッキリしないからと思いましたが、報道では公明党本部はこの問題について検定結果には批判的で軍関与の記述復活を求める意向のようです。
 また29日の沖縄で行われた超党派の抗議集会では11万人もの沖縄県民が集まったことから、当然沖縄の公明党も参加していたはずです。
 28日、本会議は抗議集会前とはいえ、横須賀公明党議員は党本部や沖縄県本部意向を確認しないで反対に回ったのでしょうか、誠に残念でした。平和と福祉を標榜しているのに何でと思いましたが皆様も如何思われますか?
 また賛成討論に研政の原田氏と共産の井坂氏が立ちました。賛成討論とは採決の前に自らの所信を述べ賛同を募る意味があります。公明が賛成に回ればこの意見書は23対19で逆転勝利となり意見書は政府に送られたのです。賛成討論をした交渉会派は公明の説得をしたのでしょうか?公明はその要請をけったのでしょうか?、皆様も関心あるところではないでしょうか。
 なお今回は登壇したのは賛成討論者だけでした。本来討論は反対討論から行われるのが、言論の府としての「筋」ですが、横須賀市議会の場合まず基地や平和、旧軍問題では保守は反論しません。ダンマリで数でつぶすだけです。保守としてなぜ反対なのか、真性保守の論理を聞きたいのですがまず聞けません。これだけ反論しないと言論の府の構成員(議員)たる職責について問われるのではないかと思ってしまいます。これは横須賀ならではの特異性でしょうか?
安倍無責任内閣の置きみやげ
 しかし政権放り投げで国民を呆れさせた安倍晋三亡国前総理の影響で今回の問題は起きました。弱虫が強面を見せたいが為か、またA級戦犯の祖父岸伸介を敬愛するあまりか観念的逆コース政策をとり、旧軍の蛮行を無かったごとく教科書検定において事実を曲げました。腰抜けの極みであった安倍氏が権力を振りかざしこの様なことをさせたのです。改めて権力機構の恐ろしさを感じてしまいます。福田内閣は、国民的批判の前に代表質問に答え修正を文科大臣に命じました。無責任前総理の置きみやげを朝令暮改で改めることになったわけです。
 これも参院での与野党逆転があったればこそです。国民は自らの投票行為で歴史のねじ曲げを止めたことを評価、確認する必要があるでしょう。(但し教科書検定は覆りますが、高校で本当の歴史教育が行われるとは思いません)。

その2に続く
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by ichiyanagi25 | 2007-10-07 00:00

神奈川新聞記事と教科書検定 -旧軍による沖縄住民自決強要削除問題 (その2)

深浦漁民を土民と呼び殴りつけた憲兵
旧軍がまさに国民の命など鴻毛のごとく扱っていたのは、我が家の話しを聞くだけで合点がいきます。我が家の体験を披露して当時の軍の実態を特に若い世代に知って頂ければと思います。
 私の家は大正の始めから昭和26年まで祖父、父が漁業を営んでいました。
 父は高等小学校を卒業した昭和6年頃から10年頃までは10代後半の漁師として網船に乗り組んでいましたが、軍港内の操業禁止区域内に入った容疑で2,3回検挙されたことがあります。(なお深浦漁師の漁場は殆ど軍港区域に入る)。
 海軍の警備艇に捕まると憲兵に引き渡され逸見から米が浜の憲兵隊迄歩かされ、取り調べを受けたそうです。取調は少しでも言葉遣いが悪いと殴られたそうで、取調官の言う通りの供述をさせられたと言っていました(証言録のテープもあります)。その上起訴され裁判にかけられ船頭何十円、ひろのり(のり子)幾らと罰金刑に処せられたと言います(さすがに実刑はないそうです)。
 また太平洋戦争が起きた年の1941年3月には憲兵が深浦に来て「国家非常時海軍第1軍港に漁師が出入りするのは都合が悪い、漁業権を放棄して欲しいと」頼みに来ました。「頼み」と言っても実際は強要に近かったと、その時の寄り合いに出た親戚の漁師は証言しています。
 戦後に1期だけ横須賀市長もした地元県議の石渡直治さんなどに頼み「漁業権放棄をしたら漁師は路頭に迷う、どうか継続をと」願い出ました。結論は「では土民だけは認めるが他所のも者の使用はまかり成らぬ」となりました。当時は櫨漕ぎから網の上げ下ろしまで全て人力ですから人手が要ります。そのため網元は千葉などから冬は乗り子を季節労働者として傭っていましたが、この年から人を傭うことが出来なくなり親戚の網元は廃業となります(二昔前まで深浦で菓子屋を営んでいた、おけやさんのことです-廃業により万屋をしたわけです)。
 自分たちの食料を取る自国民たる漁師を「土民」と呼び捨て、取調べでは殴る蹴る、仲間を守るため黙秘でもしようものなら拷問も辞さない軍隊が、戦時沖縄で非人道的な態度を取るのは想像に難くありません。
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追浜から横須賀港にかけて停泊する帝国海軍の軍艦空母から戦艦、巡洋艦、が集結。ここが深浦漁師の漁場であった。
昭和18年5月中下旬頃の撮影 丸スペシャル 北方作戦より(1985年刊行)


 また戦争当初から国民に死ね死ねと毎日すり込んでおり、レイテ敗戦から特攻や、玉砕を強要した軍部が民間人に自決を強要したのはむしろ当然と思います。当時の国民が、アメリカが上陸して来たら死ぬもんだと誰でも思いこまされていたことは、80以上の人に聞けば分かると思います。私の母(89才)も敗戦間近には親戚から「青酸カリを分けて貰い持っていた」と以前語っていましたから。
 当時の狂気を思い致し2度とこの過ちを繰り返さぬ決意こそ後生に生きる者の努めではないでしょうか。 
 チェック&バランスが重要
 旧軍の国民の命を徹底的に軽んじた体質と蛮行は糾弾し続けなければなりません。
 時がたち生き証人が段々いなくなるのをみ計らっての、今回のような策動を起こす勢力には常に注意を払う必要があります。またそのような思考を持つ議員は国会地方を問わず当選させないことです。
 幸い今回は参院選での自民敗北とこれを実質命じた安倍の無責任さが露呈したので早期な再見直しが行われました。また沖縄での超党派の抗議、野党の勢力増が効果を発揮しました。政治は常に国民の命を最大に思わなければいけないこと。また暴走を許さぬバランスを取る必要があることを学びたいと思います。
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by ichiyanagi25 | 2007-10-07 00:00