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2010年予算議会 代表質問始まる

代表質問始まる 
市長が考えを改めれば済む話
 26日から代表質問が始まり吉田市長初編成の当初予算への質問が始まった。
 マスコミも書いているように、代表質問(予算関連質疑)1日目の特筆事項はマニュフェストにあった目玉項目、現救急医療センター居抜き改築の事実上の放棄である。
 吉田マニュフェストの実態は選挙用のものだったから、打ち出した根拠も希薄で、百万人といえども我一人のこだわりもないから、またも戦わずに軌道修正である。
 これは副市長の助言や医師会や議会の意向を含んでの答弁だろうが、今までの経過からして早晩、「持論」は引っ込め新港地区への新築となるのは間違いない。昨日は質問者が優しく厳しい突っ込みを入れなかったが、救急センターの件は吉田市長だけが現場の居抜き改修を主張していたのだから本人が撤回すればそれで済む話だ。
 要するに市長のメンツで、22年度中の早い時期に結論を出すと言わざるを得ない状況に追い込まれたのだ。普天間移転でもあるまいしメンツにこだわり結論を来年度中に出すとするのは市民的には迷惑なだけだ。本人にすればこれで折れればマニュフェストに書いてあった重要事項は全て放棄となるから拘りたい気持ちは分かる。しかしそれは本人の軽さから出たのであって市民や議会は「知った事ではない」。むしろ救急センターは市民への医療保障だから早急に行う事だ。
 私達はこの観点で予算議会に臨む。また新港地区への新築は8億円と言われているが、少しでもコストダウンする方法を考究したい。吉田市長もそのように舵を切った方が市民の為だ。

アマモ提案が一柳対策とはお笑いだ
 他会派議員やら何やらから、「アマモは一チャン対策なんでしょ」と言われている。これにはいろいろな面で呆れている。吉田市長の環境問題に対する理解は理科の成績が悪い中学生並みと判断しているから、もう余り怒らないで対応する事にしているが、こういう事を言われると議員も余り変わらないレベルだと思う。双方の劣化だ。
 まあこれは市民団体も手段と目的を本末転倒しているところも多いのでそれも原因していると思うし、マスコミも環境問題の本質が分からないから情緒的記事を流している。これらが原因してのアマモを植えていれば環境問題に取り組んでいると誤解する。これまで浅い海の必要性は何度も書いているし、昨年暮れに当ブログで『夢のある「新」環境基本計画を』として海域再生論は詳述しているから理屈はそちらを読んで欲しい。
 市民運動が今やる事はアマモを植える事だけではなく、湾岸自治体と国に東京湾再生の為にアマモが自然に生える浅い砂地の海を作らせる事なのである。
 これを多くの市民団体が誤解して取り組んでいる。誤解していないまでも政治の本丸に迫る行動を起こしていない。議員の使い方も凄く下手だし議員と連携するのは行けない事だと勘違いしている。議員は市民から選ばれた代表で、だからこそ議会で発言や提案ができるのだ。行政には脚繁く通ったり、または市長に擦り寄ったりするが、議会はまるで眼中にないところが多い。
 浅海域の再生には億単位の金が要るから行政、要するに政治が動かねば予算も付かないし、議会が承認しなければ予算は成立しないことを主権者として理解して欲しい。
 本丸に迫るリアルな感覚、言い方を変えればプラグマチズムで動く必要があるのだ。
 科学的理解 
 それと受験勉強だけで終わるこの国は科学や理科(生物学)の理解が本当に乏しい。
 温暖化論が科学論でなく政治経済論で行われている事に無知が多いのも同様理由からだと思う。
 私は高校までは理科は余り得意科目でなかった。しかし自然保護運動に係わるようになってからは本を読み現場に出て海に潜り、また学者、研究者らとの付き合いで自然環境の肝を学んできたが、その努力をしている人が行政にも、市民運動にも、また議員に恐ろしく少ない事に驚きガッカリしている。なぜなら、この様な状況では議会でまともに論議できないからだ。
 中国に「一専多能」という言葉があるという。一つの事に精通する者は多くの事に対する理解能力を持つとの意味だそうだ。議員は2つ3つの専門職を持つべきだが私の持論であるが、一つ二つの課題については役人が束になってきても論破するくらいの議員が10人もいれば市政は凄く良くなるだろう。
 結論はこんな事は沢田市政下で既に実現している事で目新しくも何でもない。68万円の安っぽい(ちんけ)提案は私の所属するNPOが全て出来る事なのであり、深浦のアマモ植なんて成功率は50%以下と判断している。それでも港湾部に手伝うから取り組みなさいとしたのは、「壊した自然を再生する事は如何に大変かを市民と行政が知る事」といって失敗を恐れずやる事にしたのだ。
 なお7年前からアマモを手段に啓発事業をしているが、その対象は半分が市民向け、そして半分が市長以下行政に気がついて貰う為にやっていたのだが、少なくとも対行政には啓発効果を及ぼしていなかったと評価できる今回の予算案である。
 詳しくは当会派の代表質問原稿に書かれているので週明けにアップする。
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by ichiyanagi25 | 2010-02-27 12:12

緑の基本計画「見直し」提案2

緑の基本計画「見直し」について
 大分前に緑の基本計画の提言は後でアップするとしたが、会派の代表質問でも取り上げることになり、関係方面の理解も一定程度得られた為アップする。 
 海と同じで保全と再生、そして利活用の視点で以下二つを提案する。
1,市民活用の森を指定し、化石燃料を使用しない薪及びペレット材提供の供給源とする 
 市民が自然の再生活用に係わるには、そこで少しでも経済が動くこと、また収穫の喜びが発生する事を考えた方がよい。今までこの発想がなかった。そこで横須賀版グリーニューディールとして薪ストーブを補助して買って貰い、その燃料を供給する森林を指定する(一団の緑を借り上げる、または購入する)。そして薪供給をする。可能なら木ペレット製造所を作って市民及び県下に提供する。これには公社を造るかNPOでやって貰うかである。こうすればランニングコストは販売価格でまかなえるし、自然活用の雇用創出が出来る。
 薪ストーブについて調べたが身近に薪やペレットを製造供給するところがあれば灯油、ガスより安くなる(現状価格は輸送費が半分以上を占めている)。
 私は地球温暖化論は(経済支配の)別目的だとして科学的には信用していないが、原油ピ-クは数年前に過ぎたことから化石燃料に頼らないライフスタイルの採用は行政として、取り組むことだと思う。だから50年前までと同じように、木を苅り植林しながら利用していくと言う横須賀方式を提案すればよい(県下では何処やってない)。
 森を作ると1ha当たり幾らのCO2削減とカウントしてくれる制度が既にあるから、それでアピールするのもよい。
 
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     北欧大型薪ストーブ                  国産ペレット式ファンヒーター 
 何より現状の里山は50年前までの家庭での薪炭供給林だったが、文化生活の中で家庭燃料は薪、炭、練炭からガスと電気に代わり今や残存の里山は全く活用されず、ほったらかしだ。たくさん植わって巨木化していシイの木林は明らかに家庭用の燃料として植えられた物だ。その森を借り上げるか、買うかして提供すればよい。
 そして切り出し、薪割り、運搬、発送にはNPOか緑の公社でも作って対応すればよい。現状では県下で毎年300台ほど薪(ペレット)ストーブが売れているので近隣都市に売ることも可能だ。そこで働く人は生計は建てられずとも小遣い稼ぎは出来るだろう。薪の火は人を癒し、販売店に聞けば「男主導で入れる薪ストーブは奥さんがファンになり電気やガス暖房には戻らない」と言っていた。またペレットを利用する国産ファンヒーター式もある。ペレット工場を造れば建築廃材や剪定ゴミも資源として使える。これこそ有効リサイクルだ。
 PRを兼ね行政センターや学校で薪ストーブを使っても良いだろう。

2,田んぼと林、小川、堰を再生または作る
 蒲谷前市長が05年の選挙で螢復元を言ったのを覚えている人は少ないだろう。事実本人は感心はなくゴーストライターが書いたのだが、これを実現する為にと質問したことがある。その時の提案は今までのようなチマチマした螢再現ではなく、ゲンジボタルなどは稲作文化と共に日本人の心に染みついたのだから、休耕田や跡継ぎがいない田んぼを借りそこに小川を作り再生すればよいとした。本人は当時の環境部長に命じたがこの部長もやる気がなく「NPOが出ますかね」とか言いながら、実質動かなかった。
 そこで収穫の喜びとして里山と農地による緑の復元をコンセプトにこれを作ればよい。堰を作れば止水系の生き物もでる。小川には螢が出やすいし、利用されなくなった堰を活用できれば縄文後期以来の水田生態系が戻る。側に薪炭林や畑も作ればまさに系となる農業となり自己完結できる。
 田植えや稲刈りでイベントや収穫祭が出来るし、林で炭を作っても良いだろうし、それで年に何度かは収穫の酒盛りも出来る。梅雨期には螢観察も出来よう。以上市民を巻き込める楽しいことを緑の基本計画に入れた方がよいし、林業、農業の再生の考えを新環境基本計画のなかに入れる方がよっぽど楽しい。
 これも「みんな」ではなく、意識意欲のあるやりたい人がやればよいのだ。今まで市民参加がないのは活動の場がなかったからだ。楽しく乗れる仕掛けを作ることが行政の役目である。
 この提案を活かすかどうか3月3日佐久間さんの代表質問に市長がどう答えるか注目したい。
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by ichiyanagi25 | 2010-02-23 09:23

更に下劣かする国会と報道-有料情報を

更に下劣化する国会と報道
 12日の国会予算委員会の民放テレビニュースで観たが、何とも下劣でやりきれない。
 小沢不起訴と石川議員離党で攻め口を欠いてきた自民党は、攻撃対象をまた鳩山総理にもどし安子ママからの(とても大きな)「小遣い」について与謝野議員がしつこく、そして口を極めて攻撃していた。
 これは完全に参議院選挙の為の鳩山総理のイメージダウンを狙うものであるが下劣だ。85才で施設に入っている安子ママの証人喚問など、年金未納騒ぎの時に管直人氏がコマーシャルに出ていた江角マキコを証人喚問をしようと言った時のようなもので世論の支持はえられない。か細い老母を呼んで追及すれば同情は鳩山にむくだろう。
 賄賂性のないものをイメージダウンさせる目的だけで何時までも攻撃し、さらに庶民の金持ちへの嫉妬心を煽ろうとしている。弟の邦男証言を鬼の首を取ったように披瀝した。こんな事は兄弟げんかを国会に持ち込んだだけで、政治の恥の上塗りだ。品性下劣なネガティブキャンペーンだけをやっていて、自民は参院選で票を得られると思ったら大間違いだ。
国民はこの件は良いことだとは思っていないが賄賂性はないからそうは怒っていない。自民は小沢、鳩山攻撃だけで政策論争を仕掛けられないでいる。国民はそこを見ている。
 そこで、みんなの党の評価が上がっている。多分5月前後に自民は分裂し、みんなの党などと合流するなりで第3勢力結成に動くだろう(20年前の日本新党のごとくである)。そしていずれにしても自民党は15年前の社会党と同じ道を通り衰退化し、55年体制の終焉がこの夏起きることだろう。
(歴史は繰り返す。一度目は悲劇として。2度目は喜劇として-マルクス)
マスゴミが政治の劣化を招いている 
 それとこの様なところだけ繰り返し報道するマスコミである。大宅壮一氏が50年ほど前に言った「テレビは一億総白痴化させる」とは今こそ当たる言葉だ。
思い出して欲しい。ちょうど1年前の今頃各局は中川昭一財務大臣のイタリアでの朦朧会見映像を繰り返し放映していた。その結果、昨年8月の選挙で今起訴され離党した石川議員に中川氏は大差で破れたのである。
私は1年前も指摘したがあの朦朧会見は絶対に仕組まれたものと思っている。
 政治家は記者会見が午後にある時、昼飯時酔っぱらうほど飲酒するわけはないし、仮に酒にだらしなくそうなったとしても「大臣はここは病気としてお控えください」とするはずだ(そうでなければ政府の体をなしていない)。謀略説の根拠は、日銀総裁もいて更に財務省幹部がいたのに会見を止めもせず、会見時シレットした顔で両隣に座っていることだけでも分かろう。この仕掛けはアメリカが中川から国債購入を抑えられたからとの推測がある。
 それでテレビに見せしめの為に繰り返し放映させた。そして8月の選挙では、酔っぱらい大臣として、今回起訴された石川議員に敗れ中川は落選した。そして秋に変死する(父親の時ほど犯罪性は伺えないが)。中川はテレビに殺されたようなものだ。
 そしてバランスをとる為ではないだろうが今度は中川を破った石川議員を辞職に追い込みたいが見え見えの報道である。もし石川氏が議員辞職すれば欠員選挙に自民は中川夫人を立候補させるという。現状なら中川夫人の勝ちとなるだろう。少し冷静になって考えよう。国民の意思を示せるのは選挙であるが、その意思がこの様に情報操作されるのでは国民の利益にはならない。
中央公論での佐藤優記事
 さて一方の小沢(陸山会)問題だが文春、や中央公論3月号で特集を組んでいる。文春は1972年立花隆らを活用して田中金脈問題を他に先駆け追及し結果田中降ろしに成功した。文春は田中系攻撃に定評のある本なので今回はパスしして中央公論を買って読んだ。
 その中で佐藤優氏は小沢民主と官僚機構のバトルをは以下のように分析している。
まず特捜検事が昨年暮れに石川議員を「階段」と評したことを取り上げ、自分が02年「宗男疑惑」のとき外務省のラスプーチンとあだ名(悪党イメージづくり)され、宗男逮捕の「階段」にされた時と同じ方法だとしている。
 佐藤氏は記事の仲で石川議員との会話を再現している。昨年末石川議員に「率直に言うけど(あなたは)やられると思う。在宅起訴か逮捕かは分からないが必ずやられる。先ず石川さんのバッジを奪い(議員辞職)そこから小沢幹事長がどう反応するか見ると思う」と忠告している。そして更に聞く「その階段情報を伝えてきたのは社会部記者か」。「そうだ」と述べる石川議員。(ここでも検察リークが証明されているではないか)
 佐藤氏は外務省のインテリジェンス担当官としての評価をする。検察官は素直な人なのでインテリジェンス専門家が行うような複雑な情報操作はしない。そのまま受け止めた方がよいと石川議員に諭している。
 今回の検察官僚機構と小沢の対決構造の佐藤優氏分析についてはライブドアニュースの「眼光紙背」(11月24日)に掲載されているから興味のある方は読んで欲しい。
 そして検察が何故小沢排除に動いているのかを中央公論3月号で詳しく分析しているが、説得力ある論理構成だ。そこでここでは簡潔にそれを紹介する。
 
 官僚は口には出さないが国民を愚昧な有象無象としか見ていない。難関のキャリア試験や司法試験に受かった自分たちこそエリートであり、自分たちが政治を行うことが結果として国民を幸せにすると考えている。
 また選挙で選ばれた議員を例え自分と同じ東大でも早稲田、慶応でも官僚よりは劣っていると見ている。何より自分たちは明治以来天皇直属(勅任官、半任官)官僚としてのプライドがある。要するに日本国家を運営しているのは我々だと。それを民主党は政治家が政治を運営するとして事務次官会議を廃止し更にポストまで廃止しようとしている。内閣法制局長官も国会出席を許されず有憲解釈をも政治家がするとしている。マスコミは取り上げていないが外務省国際法局長(条約局長)の答弁も禁止した。これは条約や協定の解釈権を官僚から奪うことになった。官僚からすると能力がなく権力欲だけ強い政治家が国家権力を簒奪しようとしていると映る。として、これが今回の戦いの本筋だとしている。
 なお検察は自民党の為にやっているかと言えばそうではないと。プライドの高い検察官僚にすれば民主がクソなら、自民は鼻クソくらいにしか思っていないと。そして小沢排除(議員辞職)に成功すればバランスをとって国民政治協会(自民の政治献金先)に手を入れ自民の有力政治家を掃除すると推測している。また今回のバトルで小沢氏が勝利した場合、自民党と深い関係にある財界人および自民有力政治家が検察の血祭りにあげられるだろうとの推測も書いている。
 そしてメディアの操作により国民の反小沢感情が高くなっているが(民主党の支持は自民を上回る)国民は結構冷静に見てい宗男疑惑(佐藤氏も連座)の時ほど興奮していない。そしてこれは自分たちとは関係ない官僚と小沢(民主)の「奪権闘争」と見ているからではないかと分析している。
とし、佐藤氏は最期に現在の日本には民主党と官僚の政府と二つの政府が並立していると指摘する。また司法官僚以外の多くの官僚は検察に好意的な中立を表明している。
 そして最期にこう結ぶ。「ここでギリギリのところで考えよう。半年足らずで検察の捜査によって政権の屋台骨が揺さぶられる国家に民主主義は育たない」。 以上記事より抜粋。
 興味のある方は中央公論3月号を買って読まれることをお薦めする。
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by ichiyanagi25 | 2010-02-13 13:12

小沢不起訴と秘書ら釈放の代償は-国益との狭間

ニュースに騙されないⅣ
検察とマスゴミの司令塔は何処か
 5日小沢騒動(政治資金規正法不実記載)で逮捕起訴された小沢秘書3名が釈放された。石川議員も釈放されたが自民党など野党3党は議員辞職勧告案を出すと息巻いている。それは勝手で野党にすれば当たり前の戦術だが、社民党の福島党首は弁護士でありながら進退は自分で決めろと述べている。「人権派」弁護士にあるまじき発言だろう。有罪確定まで推定無罪の原則には立たないのか?
 8年前に「疑惑の総合商社」冤罪で長期拘禁された佐藤優氏や宗男議員は「議員辞職すれば再逮捕され長期拘留され検察ストリーのゲロをするまで出してくれないから議員辞職は最悪の選択でえある」と圧力に屈して議員辞職する愚かさを説いている。
 その通りだと思う。可視化されてない現状の取調なら尚更で、国会議員として不逮捕特権が無くなれば、いつでも再逮捕して長期拘留ができる。そして参院選挙まで検察筋書き通りの情報がマスゴミによって大量に流され多くの国民は情報操作される。現在でもその土石流報道でその効果が十分現れいることを肝に銘じることだろう。現状は一言で言うと検察はある勢力から撃ち方止めを命じられたらしい。それにマスゴミは悔しがり産経などは小沢に対し「ほくそ笑むのはまだ早い」という見出しをうった。
 これは小沢氏をとにかく最低幹事長職辞任、あわよくば議員辞職まで持っていきたいとしか思えない書きっぷり(ペンの暴力)だ。
 新聞に中立なんて無いと以前書いたが、全マスコミはそれを露呈している。読売の「中興の祖」である正力松太郎は戦前は警察(内務省)官僚で特攻警察に属し思想言論弾圧をしてきた人物である。戦後は左翼陣営が伸びるのを抑える目的でCIAから金を貰って読売を伸ばしたのは公然の秘密だ。産経も冷戦期、赤化を防ぐ目的で経団連の幹部らが出資して作った新聞である。産経の社是には中立の文字がない特異な新聞社だ。故に冷戦期は社会、共産叩きが主目的で、また朝日が反米傾向が強かった頃までは反朝日を鮮明にしていた。自民が下野した今、民主攻撃が社の主方針に変わったようだ。対米追随だが共和党にシンパシーがあるようで、どうもアメリカの意向を受け入れているようすが伺え、記者には愛国的なものもいるようだが、私からすれば一番の売国的与太新聞と言える。
 いずれにしても今回の小沢追撃キャンペーンの本当の司令塔はどこなのかも推理した方が良さそうだ。小沢追い落としは誰の為になるのか、現下では「小沢支配」が国民の為になっていないとは言い切れないので私は様子を見たい。冷静に考えればこれだけ攻撃を受けている人間が独裁制を引けているとは思えない。
国策捜査の有無
 新聞論調はまるで何処かで一元管理されている様に検察寄りだ。地上波テレビではテレ朝が少しは公平に検察無理筋論も展開している。サンデープロジェクトなどにそれが観られる。7日の放送では先週同様元特捜検事宗像氏などを呼んでコメントさせていたが、氏が「特定人物を狙う捜査なんてあり得ない」と話していたのには思わず吹き出した。
 佐藤優の本に幾つも出てくるが佐藤氏がでっち上げ容疑を否認して長期拘留されている時、検事が佐藤氏に「あなたが無罪を主張するのは分かる、しかしこれは国策捜査なので逃れることは出来ませんよ」と言っている。宗男氏も同様な事を本に書いているし女性秘書ががんの治療中にも厳しい尋問をされ、拘禁され結果体調を崩し死んだことも書いている。横浜事件張り(拷問はないが)の取調ともいえよう。
 ホリエモン(此奴は好きでないが)も完全に国策捜査でやられた。堀江氏の場合「若造にお灸を据えてやる」という感じで国策捜査は世論と完全合致したが、これは本人が調子に乗り過ぎ当時の自民党幹部や経済界を本気で怒らせた結果だろう(ライブドア幹部が沖縄で殺されたのも無関係とは思えない)。この様に社会として許せない場合の国策捜査もあるが、今回の場合何が何でも小沢潰しが見て取れる。権力を賭けた戦いとも言えるが、私達は検察は逮捕、起訴権を持つ非常な権力を持つ官僚組織である事を忘れてはならない。宗男氏が言うように現状は「検察に狙われたら誰も無傷では済まない」のである。
 なお検事シンジケートは退職後も手厚く、「ヤメ検」と俗に言われる検事を辞めた後弁護士になると開業当初は仕切り役の元検事総長クラスから全て仕事を斡旋されるという。ヤメ検でも特捜あがりになると俄然コストが高くなり大会社の顧問弁護士などになりやすく収入面もよいとズバリ「ヤメ検」と言う本に書いてある。
 特捜一家のヤメ検弁護士をテレビ出演させれば「公正公平」の検察と言うに決まっている。テレ朝では一応反論するヤメ検も出演させ、元読売社会部の大谷さんなどにも発言させているが、本当にバランスある報道なら佐藤氏や宗男氏を出して体験者として反論させれば検察信奉者の目を覚ますことになるだろう(そこまでやる気はない)。
 もう一つ検察リークという指摘に対しマスコミ各社はヒステリー状態で反論していることだ。ここまで一致すると却って示し合わせている様子が見られる。これについてはジャーナリストの江川昭子氏のブログより引用紹介する。
 江川ブログ
新聞は、「検察側のリークによる報道が多い」と批判されると、激しく反発する。たとえば読売の溝口社会部長は、2月5日付紙面でこう書いた。
<民主党の一部議員は、石川容疑者らの逮捕直後から、「不当捜査だ」と主張。定義も定かにしないまま「検察リーク」を声高に叫んで東京地検特捜部の捜査をけん制し、報道を批判する動きも露骨だった。過去の政界捜査で、正直これほどのヒステリーに似た空気を感じたことはない><根拠のない無責任な報道批判に対しては、40人近い記者が「検察リーク」とはほど遠い取材努力を重ねてきたことを、一言述べておきたい>
 朝日新聞も、テレビ朝日のサンデープロジェクトに出演した星浩編集委員など、マスコミ批判になるとムキになって反論していた。その様を見るにつけ、新聞の反応の方にこそ「ヒステリーに似た空気」を感じなくもない
引用終わり
 取材でリークなんて当たり前にあるのは常識である。我々市政、市会議員レベルでもリークはあるし、情報交換もある。情報を持たず鋭い分析をも出来ない議員は記者から相手にされないのも事実だ。国政、国際レベルなら尚更だ。
 リークにも色々あるが、ここは検察が書かせたい記事を意図的に流しているという意味だ。ここで私達が問題にしないといけないのは検察の意図に従わず書かなかった社や記者はどうなるかと言うことだ。記者クラブ制の日本省庁では出入り禁止措置もある。これを止めさせればそうとう改善されると佐藤優氏は指摘している。報道の自由を元に出入り禁止にしては行けないと誰が検察庁に指示できるかと言えば千葉法務大臣だが、それをしたと言う話も聞かない。お人好しでは奪権闘争に勝てませんよ。
 撃ち方止めは米の指示か?
 マスゴミのワンパターン攻撃は相変わらずだが5日以降劇的に状況が変わった。その前兆は小沢幹事長の話し方で検察を「公正公平な」と形容するようになった事である。 一番の転換点は2月2日午後に、ジョン・ルース大使と、カート・キャンベル国務次官補が、小沢一郎幹事長と、国会内の与党幹事長室で会談したことだ。この1日後には朝日や毎日が小沢不起訴(リーク)を報じた。そして小沢訪米の話が出てきた。5日には3人の秘書達が釈放された。その結果というか手打ちが2月2日の会談であり、検察はアメリカ筋から撃ち方止めを命じられたのではないかと言う推理である。
 副島氏のブログを読むと亀井大臣が郵貯で米国債を買う選択肢もあると発言したという。小泉・竹中がやった郵政「対米」民営化を方針転換するというのが現連立政権の合意のはずだが、それが崩れたことになる。これも2日の会談結果であれば、不起訴釈放と関連し筋が通って見える。
 検察とマスゴミは急遽攻撃を止めさせられた(マスゴミはまだ停戦違反をしているが)。しかしその代償は大きい。日本(私達)の金がアメリカに環流する事になる。
 また国内では昨年の初夏自公政権が解散を前に創価学会追求の急先鋒石井一氏を狙った厚労省福祉団体に便宜を図る「疑惑事件」があった(覚えていますか)。その公判で検察のストーリーを次々覆す証言が出ており、検察は窮地に陥っている事がテレビでも短く報じられ出した。
 以下植草ブログからの引用
厚生労働省の文書偽造事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた元同省局長村木厚子氏(54)の第5回公判が2月8日、大阪地裁で開かれた。
「議員案件だ」と村木氏に対応を指示したとされる当時の上司だった塩田幸雄・元障害保健福祉部長(58)(退職)が検察側証人として出廷した。
 塩田元部長は、民主党の石井一・参院議員(75)(当時衆院議員)から要請を受け、村木氏に証明書発行を指示したとされるが、公判では「(石井議員の)電話だったのか記憶はなかったが、電話を受けたのならば、村木氏にも指示しているだろうと思い込んだ」、「村木氏への指示も今となっては、幻想ではなかったかと思っている」と証言した。
 証人尋問で元部長は検察側の質問に対し「検察側が言うように石井議員が誰かに相談したのであれば、旧知の自分しかないと思った」と証言。「記憶があいまいで、もしそういうことがあったのなら、信頼していた村木氏に指示しただろうと思って当時は供述したが、それは検察側に作られた記憶だ」と述べた。
村木氏は「元部長の指示はなかった」などと無罪を主張。文書偽造の実行役として起訴された元同省係長(40)も今後、証人として出廷し、村木氏の関与を否定する方針とされる。
引用終わり。
これも撃ち方止めの一連で検察無謬論を否定する報道とも思える。
 国益(国民)の為の戦いかを見極めよう 
 いずれにしても今回の戦いが小沢民主対官僚そしてその陰に日本を属国しておきたい超勢力があると観た方が分かり易い。ただしこれはあくまで民主が対米従属を止め国益を考えた外交をやりその一環で、普天間、辺野古の問題もあると解釈した場合である。
 5月末、結局辺野古埋め立てなんて事になれば、社民党とは違った意味で民主への期待はなくなる。なお私自身の考えを纏める為にも3月予算議会後の4月に辺野古に潜りに行くことにした。
 鳩山内閣支持率及び小沢幹事長に対する風当たりの強さは情報操作に間違いないが、これに民主が乾坤一滴の勝負を挑むなら小沢氏と石川議員は証人喚問(政倫審でもいい)を堂々受けてたち国会で主張することだ。どうせ野党は独自の爆弾情報なんぞ持ってない事はこれまで幾たびの証人喚問で明らかだ。検察リークを元にした質問ならまさに調べられた張本人なら有効な反論が出来る。石川議員らがどの様な人権無視の取調べを受けたのかは、与党議員に質問してもらい答えればよいのだ。
 それともう一つ大事なのは連立政権は野党時代参院に2度出している取調可視化法案を政府提案で早く出すことだ。これが検察に対する一番有効な法案で国民の人権を守ることになると街頭キャンペーンをすることだ。これすらしないようでは、これも小沢不起訴の取引材料にしたのかと疑わざるを得なくなる。可視化法案は我々国民を冤罪から守る為に必要で、それで警察検察が捜査上困るなら、法務省がおとり捜査とか司法取引など欧米的手法を同時に出せばよいのである。
 今民主が忘れてはなら無いことは国民の為という思想、行動である。来年までにそれをしなければ私は倒閣運動を起こしても良いと思う。
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by ichiyanagi25 | 2010-02-09 20:00

還暦雑感

還暦雑感

 2月5日で60才になった。
「船頭さん」
  村の渡しの 船頭さんは
 今年六十の おじいさん
 年はとっても お船をこぐときは
 元気いっぱい 櫓がしなる
 それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ
 
 この歌は昭和16年(1941)の歌だそうだが、私が小学生の頃(昭和30年代)は55歳定年制だったから、定年後縁側で日向ぼこする、おじさんは、まさに60才のお爺さんだった。
 この後日本は高度成長して栄養状態は急速に良くなり、石油文明のお陰で力仕事はなくなり縁側と障子で仕切られる開放型の家からアルミサッシと断熱材の密閉型の家となり、部屋には隙間風も入らなくなり電気ガスの冷暖房も格段に進み、臭気とハエ舞う汲み取りトイレも水洗化し、衛生状態も想像できないほどよくなった。また1961年からの国民皆保険により寿命は男でも79才にまで延びた。
60才になって得になるのは映画を千円で見られることくらいだが、残りの寿命を考えれば好きな夏もあと19回迎えられるかと思ってしまうし、元気で潜り続けられるのも後10年ほどかと思う。まあ孤独死しないよう、その日の為に準備をしておこう。
高見秀子映画特集 
 神田の神保町シアターで高峰秀子特集を昨年暮れから今週まで行っていた。
 これまで見逃していた「綴り方教室」と「馬」、そして「放浪記」を観た。何を言いたくて映画の話かと言えば、戦前庶民の暮らしぶりのひどさで長生きできなかったことと、時代は変われど愛の重要さである。
 「綴り方教室」は1938年の作品で監督は黒澤明の師匠山本嘉次郎、父親役は徳川夢声、母親は清川虹子である(と言っても50才以下の人はぴんと来ないかもしれないがこの二人は60年代まで一世を風靡した人である)。
 13才の高峰秀子の演技のうまさは、まさに評判通りで、名子役と言う伝説の為の作り話ではないことがよく分かった。この映画の舞台は江戸川区当たりの下町長屋だが、水はけの悪い湿地帯で、いかにも不衛生漂う。また道路は全て舗装はなく、雨の日、水たまりや道の泥濘は凄い。昭和40年代前半までは雨の日は長靴でなければ出勤もままならなかったことを思い出す。
 白黒映画を通しても不衛生な環境と、労働基準法もなく不安定な仕事と飯も事欠く庶民生活がよく分かる。しかし昭和13年の映画だがデジタルプリントし直したようで映像も良く音も良く聞こえた。また高峰らが演じる子役の演技や台詞から子供心はいつの時代もそう変わりはないと感じさせる。
 不衛生を更に感じさせるのは「馬」である。この映画は開戦の年の昭和16年の公開だ。 
 東北の貧農一家を描き軍馬を育成する16才の娘役を演じるのが高峰である。当時第1助監で東北ロケを担当していた黒澤明に高峰は乙女心をときめかせ、恋に落ちた事は有名な話である。ただしこちらの映画状態は良くなく、音が抜けず台詞が聞きにくいのには腹が立ったが、馬と共に暮らす農家の不衛生さと冬の寒さに改めて昭和30年代前半までの衣食住環境を思い出した。寒い便所や廊下で倒れる人が多かった。これでは「今年60のお爺さん」になるわけと納得してしまう衛生状態と食糧事情なのである。
 そういう意味でも戦前の映画を観る必要があるし、なるほどこれなら共産思想や社会主義思想が生まれる源泉が市井にあることが分かる。2,26事件を起こした青年将校らが兵士達家族の窮状を知るにつけ革命思想に走る社会的背景もこれら映画から理解できるのである。
 今の貧困はこの頃と比べ様はなく、生活保護もあるし戦前と昭和30年頃までの貧乏が如何に凄まじかったかが映像を通して分かる。しかし今は豊になったことと社会保障の充実(公助)と引き替えに、家庭や家族の絆は壊れているから家としてのセーフティネットはなくなり帰る家もない。家族の絆(自助)は貧乏が作るとも言える。
 「放浪記」は3度ほど映画化されているが、高峰秀子主演のものは成瀬巳喜男監督が描く1962年の東宝作品だ。成瀬監督は、やるせなきおと言われるくらいだから、この映画もやるせないが、最期に家族の絆とか幸せは真の愛情である事を気づかせる。
 高峰はこの時期、名女優としての評価を確立しているが、作家として名声を得るまでの芙美子をデフォルメして強引に演じたと解説本にある。若い頃の林芙美子そのものに合わせるように、わざと不美人にメイクし、カフェに務めた時の化粧もおてもやん風だし、姿勢も猫背だ。しかし時々は当時30台の女盛りの高峰の美しさがスクリーンに現れる。
 林芙美子は売れる前は何人かの男と同棲したと有り、それが自叙伝である放浪記に描かれていというが(原作は読んでいない)、惚れる男は俳優や作家の美男子で本人とは見た目は不釣り合いなので、結局捨てられたりドメスティックバイオレンスにあって別れる。その同棲相手を演じるのが中谷昇であり宝田明だ。
 4日午後に観に行った時、上映前に突然支配人が銀幕の前に現れ、本日宝田明さんがこの映画を懐かしんで見に来られています。「ご本人から一言挨拶の了承を得ていますのでご紹介します」とのサプライズがあった。宝田明さんとの交流はないが息子の児島武君(元奥さんの性-児島明子さん)にはシュノーケリング教室の器材提供して貰っている縁がある。長身の宝田さんも仕事柄体型は維持されているが、75才の年齢からか階段を下りてくる姿に年齢を感じた。「放浪記」については撮影時の苦労を以下のように話した。
 「この映画は40本目くらいの出演作品で、高峰秀子演ずる芙美子が食事の用意をしてちゃぶ台に鍋を載せるシーンがあるんですが、それをいらいらして一瞥するシーンのOKがでない。これまでそんなに厳しい注文をしなかった成瀬監督が丸一日OKを出さないんです。翌日の午前中もOKがでず、昼飯近くになり、もう俳優なんて辞めようかと思いましたが、高峰さんに演技指導を願った所『どこが拙いか分かっているけど、教えてやらないわよ』と言われ、何て薄情な、あの「二四の瞳」の大石先生の優しさはどこへ行ったかと思ったが、この野郎と思い何十回めかの撮り直しをしたところOKがでた。演技のどこが違うのか今もって分からなりません。江利チエミさんや雪村いづみさんとの映画は本当に楽しかったですが、叱られ苦労した映画ほど思い出に残りますね。今回偶然、放浪記の上映を知り今日で最期と言うことで駆けつけた。改めて50年近く前の出演作品、この映画で賞も貰いましたし、思いの強い映画をこれから皆さんと一緒に観てみたい」との挨拶があった。
 宝田が演ずるのは長身美男子でプライドだけは高い、作家で、とにかく原稿が売れないので始終機嫌が悪い。芙美子の母(田中絹代)が訪ねてきても無愛想きわまりなく、長旅でようやくついたのにろくな挨拶もしない。そして突然の訪問が気に入らず夜の町に出かけてしまう。見かねた母は「お前あの男で本当に幸せなのかい」と聞く。面食いで一見美男子に惚れてばかりいるが、お前にとって幸せは本当にお前のことを思ってくれる男ではないか、と別なところで表現する台詞がある。ハンサムではないが本当に林親子を心配し、芙美子に貧乏どうし所帯を持とうと言ったバツイチ男の印刷工を加藤大介が好演している。芙美子が一人暮らしになって米も買えないとき、いつでも良いからと金を貸し、宝田演ずる肺病病み(恋敵)の薬代まで工面してくれるが、芙美子の気持ちはそちらには向かない。
 この後、シーンは昭和恐慌時に売れに売れる「放浪記」の出版記念会シーンとなり、戦前のシーンはそこで終わる。売れっ子作家となった林はその後、国策に添い、戦地の取材記などを精力的にこなすがそれは出てこない。終盤のシーン戦後で、既に財をなし邸宅を構え、原稿待ちの出版社員が応接間でたむろするカットになる。
 広い庭のある邸宅に亭主となった画家のアトリエを作り、母を同居させているが、母の姿は忠臣蔵に出てくる瑤泉院(ようぜんいん)そっくりの出で立ちであり、何やら芙美子の成金趣味を現している。
 功なり社長になった元印刷工(加藤大介)を迎えた母は「こんな格好は嫌だって言うのに、あの子が着ていてって聞かないんですよ」と言う。
 そして映画は過労で急死(48才1956年)する芙美子を暗示するように寝不足で疲れ机にもたれかかって眠るシーンから、一変し、子供時代にもどる(冒頭シーンも子供時代)。
 芙美子の少女役の子が海を眺めている。映像は右へパーンし、先を行く母、田中絹代(行商する夫婦)が手招きをする。それに喜んで応じて駆けて行く子の姿。そして両親と子3人で手を繋いで笑いながら峠を歩いていくシーンで終わる。 
 それまで林芙美子の半生の苦労と愛憎を描いた後に、このシーンで終わる。このシーンに台詞はないが、人の幸せとは何かを考えさせて終わる。
 このシーンが象徴的であったからか或いは宝田がいたせいか、映画が終わると拍手がおきた。映画の終了時拍手が鳴るのは子供の頃の映画館では良くあったが、今回は久し振りで、ある意味、印象的だった。
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by ichiyanagi25 | 2010-02-06 14:18

緑の基本計画その理論的考察

緑の基本計画「見直し」について
 

 現在「緑の基本計画」の見直しが行われ環境審議会に諮問されている。そしてこの見直しについて先月市民意見公募、いわゆるパブリックコメントが行われた(1月25日締め切り)。
よく分からない説明書
 12月議会の民生常任会員に緑の基本計画の資料が提出されたが、今回のパブコメに際しても141ページにもなる資料が希望により渡される。
 この資料を読んで横須賀の緑(質)の状況が理解でき、またこれ迄の「みどり」の緒施策で何が実現できたのか分かる人がいたら、その人が担当部長になった方が良いだろう。
45ページに「基本理念から施策展開の方向まで」と言うフローチャートがあるが、これで横須賀のみどりが10年後にどうなるか、イメージできるその人は余程創造力豊かな人だと思う。私はこれを見て全くイメージが浮かばない。
 10年後、停滞社会と人口減で開発圧力が弱まれば、ある程度のみどりは残るであろうとは思う。そして何より気に障るのが「みんなで育む」とかのやたら、「みんな」が出てくるところである。能のない行政が書くよい子の作文典型例と感じるが、おもねりと責任転嫁としか感じない。
 大体市議選でも5割少し、昨年の市長選でも投票率は45%だ。5割の市民は権利である投票権すら行使しないのである。だから市民みんなが一斉に一つのことに取り組む何て事はあり得ないし、あったとすればそれは全体主義思想に犯された時だ。上げ足取りではなく、市民と行政の関係を少し論理的に考えればわかるだろう。
 緑に限らず美術館や原子力空母の時のように対立的「政治課題」となれば数万の人が署名したりと行動する。しかしこれは市民が権力者と対峙する場合においてのみ起きる。民意と長及び議会(議員多数)の考えが世論と同じであれば信託論で「行政と議会がちゃんとやってよ」で市民運動は高揚しない(特定政党・勢力は動くだろうが)。
 代議制政治なのだから行政と市議会議員に信託していると普通考える。ここをまず抑える必要がある。 
 緑の問題に取り組む自然保護団体は同好会レベルを含めても活動している人は本市では300人以下だろう。今回のパブコメだってどれだけ出るかだが、敢えて書くなら市民(英語で言えばシチズン)という表現にすべきだろう。自らを主権者、或いは納税者を強く認識している市民が緑の保全再生を考えるのである。それと一番は信託されている市長及び担当部課職員そして市民代表の議員が職責を認識し取り組むことなのである。
 緑は豊かでは無いし保全は至難の業
 またこの資料では未だに横須賀を「緑豊か」としている。ばっかじゃなかろかと思う。これは12月議会で担当部長にも質問したが、自信のある答弁は聞けなかった。自分が現状をどう捉えているかなのだから、豊か、豊でないか答えられないようでは困るし、もし私からの反論を面倒だと思ってのことなら情けない。
 私は今年60才になるが横須賀の緑が豊かとは30年前から思っていない。私達の目線ではのり地の緑は目に入り一見豊に見えるところがあるが、その裏でどういう開発が行われ、緑が喪失しているかは俯瞰しないと分からない。しかしこれは空中写真や衛星写真を見れば歴然だ。
 14年前の都市マス論議の時、委員長の伊藤滋さんが会議室に掲げられていた空撮写真を見て笑いながら「横須賀の緑なんてもう駄目じゃないですか」と言ったことを今でもよく覚えている。これが多くの人の感覚ではないのか。
 齢60年の記憶をたどれば東京オリンピック頃までは本当に緑豊かだった思う。そのかわり生活は遙かに不便で大変だった。それが人口増と高度経済成長による都市への集中のため山林は切り開かれ多くの団地が作られてきた、当然山林「緑」は激減した。
 横須賀の山林の多くは三井、西武、京急の3社に買い占められている。今は情報公開されていないが長野市長時代(1972年頃)に「開発状況一覧図」というB全ほどの青図が出されていた。これを見た時は「横須賀の山は殆ど開発でなくなるのか」と愕然として、翌73年の市長選挙時、反横山で木村敬さんを応援したものだ。
長坂のゴミ埋め立て場や湘南鷹取、Yハート計画地などはすべて西武の土地だし、湘南国際村は三井、YRPや佐島の丘開発が京急と言えば分かるようにこの3社の保有地は大きい。堤康次郎や江戸英雄などがせっせと買い占めたわけだ。このほかに法人、個人の所有土地が市面積の殆どで公有地は僅かしかない。
 都市計画法も建築基準法も基本的に開発促進法だ。市街化区域で開発申請が出れば都市部関連条例(3つも作ったが法を超える条例は裁定できない)で、開発規制は出来ない(崖開発の規制くらいは出来るが)。だからここまで緑が減ってきたのだ。緑の保護とは私権とのぶつかりだから、公有水面の海の再生とは異なり、緑の保全再生は困難と言うことである。
 公園の木で感動したことはあるか
 それと街路樹や公園緑地を持って緑被率の確保と「増大」を図るとしている。 
 小規模な公園に樹木を植え、それを積算すれば緑被率は上がるだろうが緑に囲まれた、とか潤いを感じるとかにはほど遠い。確かに市街地ではそれしか方法が無いとも言えるが、ならばむしろ機能的な面すなわち防災面からみて延焼を防ぐ為に宮脇理論を含め潜在自然植生のシイ、タブ、カシ林を市街地に計画的に配置すると言うことなどを具体に行政が提起すべきだろう。そのような具体的資料と提案があってこそパブコメとか審議会から、役に立つ意見や答申が出てくるだろう。
 しかし街路樹や公園の樹木を見ても全くの外来種もあるし、バブル期平成町に植えられた椰子の木など横須賀の気候風土(特に北東に面した東京湾)に合うのかという疑問の方が多いのではないか。その辺も潜在自然植生とか海浜地にあう植生などオーソライズしながら進めることも必要だ(これも行政が調べて提起する事柄だ-民間人でこれを論理的に言う人がいれば行政がしっかり評価することだ)。
 また戦後檜や杉を植えたが、今それが倒れたりして開発が進んだ家屋に被害を与えている。こういう人工林対策(花粉症も含め)についても指摘がない。 
 結論的にのべるが幾ら基本計画を作っても、緑の大本である山林地は私有地であるから、大規模に市が買うとかしなければ守る事も再生も殆ど無理なのである。それを直視しないと画餅の基本計画を繰り返すだけとなる。そしてそこから市民が「なるほどこういう事になるんだ」という希望や、日常的に参加できることは何があるのか、行政は提示する必要がある。
 以上指摘して提案は後日する。
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by ichiyanagi25 | 2010-02-01 16:47