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占領は67年たっても継続中

占領は67年たっても継続中 
  少々長いですが8/15を前に戦争に負けることはどういうことか、占領下の日本を67年たった今振り返ってください。
 めんどくさい人はどうぞ当ブログは読まずにいてください。当ブログは完全差別化を意図し世の真理を覗きたくない人のアクセスは望んでいません。
一兵士の一言と支配の構図
 今から20数年前、池子の森を切り開いて米軍住宅を建てる、建てさせないでもめていた頃、知り合いの陸軍少年飛行兵上がりの人(故人)が此方が聞くともなしに、ぽつんとこう言った。『幾ら騒いでもしようがない。戦争に負けたんだから、アメリカの言うとおりにしかならない』 。そのとき私は「何を言うか」と思ったが、それから議員になって22年間、日本統治のあり方を見ると、全くその人の言う通りで、「戦争に負けるとは、こういうことなのか」と事あるごとに感じている。
 私が今でも日本は占領状態に気が付きし出したのは、21年前に政治家になって職業政治家として日々研究したこともあるが、何よりここ十数年アメリカの対日支配に余裕がなくなってきて、随分乱暴な手法を用い続けているから、調べれば調べるほど、なるほどと思う。今、私のように気が付く人は徐々に増えてきている。
 また政権交代から3年の民主党の体たらくをみると、野党であった民主党の幹部もいざ閣僚になったらアメリカの言うことを聞くように教育されてきたかが理解できる。
 明日は8月15日である。NHKを中心とし日本のメディアは8.15敗戦シリーズの番組をいろいろ流す。オリンピック13日で終わったから多くの人が8/15の第2次大戦関係番組を見せられることになる。
 ここでも大きな刷り込みがある。8,15を終戦記念日と言うが、この日正午に天皇にポツダム宣言受諾する旨の「玉音放送」を流し、軍と国民に抵抗しないように諭した上で鈴木貫太郎内閣(日本政府)は連合国に対して降伏を申し入れ、戦闘状態は停止となったのである(実感として空襲の恐怖がなくなるのだから15日は印象に残る)。
 本当の敗戦記念日は9月2日である。この日、横浜根岸湾沖に停泊するミズリー艦上での降伏調印式があり、9月2日をまさに敗戦記念日(終戦ではない)として捉えねば戦後史を理解することにはならない。
 戦後6年後の1951年サンフランシスコ講和条約(片面講和)が結ばれ西側とは占領状態を解消し、国家として主権を回復した「こと」になった。しかしサンフランシスコで吉田首相は旧安保条約を飲むよう求められ、米軍のみを駐留軍(占領軍を日本は「進駐軍」とごまかして伝えたがこれもGHQが許可したからだろう)として認め、独立を回復したのにもかかわらずアメリカ占領軍に広大な土地と施設を提供をして、今日まで継続させている。これほどまでに土地を提供し、更に思いやり予算を組んでいる独立国家があるだろうか?
 欧米諸国は日本と違い植民地政策がうまいから(オリンピックだって旧宗主国はなんと黒人選手が多いことか)、米軍も占領文化政策として腹を減らしたガキ共には「ギブミーチョコレート」に応じてアメリカ様々を刷りこませた。ついでに言うと私は最後のこの世代だが戦後10年以上たち食糧事情はよくなっていたのでガム頂戴より10円くれ(ギブミー・テニエンとかトエニーエン)と言っていた。当時ラーメン一杯が30円だから10円20円を米兵から貰うと嬉しかった。また、たまに軍用トラックから投げられるハーシーのチョコレートや基地開放の日に貰ったアイスクリームは駄菓子屋のそれよりも断然おいしかった。
 だから米兵は日本軍より優しいと思い込ませる。そしてエリートになりそうな若者にはフルブライト留学生として多くの大学生達がアメリカに渡りアメリカ民主主義のすばらしさを学んで帰ってきた。実質は宗主国アメリカに協力させる人づくりだった。
60年安保後の日本優遇策
 但し50年代にアメリカに渡った留学生達は、米ソ冷戦下のもと、まだ貧しい日本に帰ってくると社会主義国家に人民の幸福があるとされた時代だから、社会主義思想に転換する者も多かった。A級戦犯(東条内閣の閣僚)でありながら命拾いして巣鴨から出てきた岸は、石橋湛山の後に総理になりアメリカとの安保条約改定を策したから、戦犯で日本人をあれだけ苦しめた奴が、基地の恒久化につながる安保条約を改定するとは許せんと国民的猛反発が起きて60年安保闘争となった。
 これに懲りた日米政府は、とにかく経済をよくして困窮状態の日本人の生活をよくしないと、いつまた暴動が起きソ連に後押しされた社会党政権ができては困るで一致した。 そこでタカ派の岸を降ろして低姿勢の池田を総理にして、それから高度経済成長が始まりまさに所得倍増はかない、また61年からは社会保障として国民皆保険(医療及び年金)制度の導入となった。これによって国民の生活は豊になり平均寿命も延びた。
日本を甘やかさないに転換 
 日本を反発させないための優遇占領政策は80年代のバブル時代に変質を来たし、プラザ合意等で円高の方向へ誘導したし、輸出でなく内需に金を仕えとして80年代後半は本四架橋を3本も架けたり、東京湾アクアラインの建設にもなる。
 そして決定的なのは89年からのソ連・東欧の崩壊である。
 アメリカは冷戦終焉で対ソや社会主義のために日本を甘やかす理由はなくなり、新自由主義の台頭でのグローバル化とともに、日本への締め付けは強くなって90年代からは対日要求書を突きつけられ、ハゲタカファンドに日本資産を持って行かれる。バブル崩壊以降の「失われた20年」はアメリカの占領政策の変更によるが大きいだろう。
 副島国家戦略研究所の研究員である古村治彦氏が『アメリカ政治の秘密』(PHP)を出してライシャワー大使以降如何に与野党政治家が対日政策に組み入れられたか、その教育のあり方が書かれている。
 同書には私と酒を飲んだ人の名もあり国会議員で頭角を現す人間にはこのような働きかけがあるのかと、そのしたたかな戦略的取り組みに気が付かされた(マスメディアは一切報じない)。但し地方議員レベルでは一切そういうことはない。だから吉田市長は特に米から洗脳されたわけではないが、思想、哲学に基づく思いがないから勝手に転んでいるに過ぎない。またアメリカの対日工作は陰謀ではなく、公然活動である。米での政権が変わってもうまく日本を従属させるところで一致しているから予算も付く。しかし米の政策を分類すると共和、民主に8つに分類される外交思考があるという(『アメリカ外交の諸潮流』-日本国際問題研究所-2007)。
 米の介入主義と属国支配 
 アメリカの介入主義はケネディから始まるとされる。キューバのカストロ政権打倒のビッグス湾事件(大失敗)と共産ドミノ理論による南ヴェトナム介入である。
 60年安保後、日本をソフトに包み込むために一人の男を送り込んできた。
 日本で生まれ、日本語の読み書きが堪能で加えて日本人の妻を持つエドウィン・ライシャワーを駐日大使にしたのである。そして多くの対米「従属」人脈を作っていく。その口実は皮肉にも「日・米パートナーシップ」の構築であった(マスメディアは同大使を持ち上げたことを当時小学六年生の私は覚えている)。
 確かにそれ以前にも米政府に都合の悪い政治家は排除されてきたが(鳩山公職追放により吉田政権の長期化や芦田内閣打倒のための昭電疑惑や石橋湛山を短命にさせるなど非米政治家の排除)戦略的継続的に支配工作が行われ出したのはこの時期からだろう。 60年安保後の対策としてライシャワーは大きな影響力を誇った総評と、左翼勢力に対峙する同盟に対する工作を始める(ソ連も総評左派には資金援助を始め支援していたはず)。しかし総評の岩井議長、太田事務局長コンビはアメリカに招待されてもアメリカの言うとおりにはならなかった。あくまでソ連派で社会主義政権の樹立を志向した。そこで労働界分断のため総評から分裂させていたゼンセン同盟などを中心にする同盟-民社党に人脈づくりは傾斜し見事に成功する。しかし総評に対する従属攻勢は80年代まで続き労働界のリーダーはアメリカに招待され続けていたという。この結果官公労を除いてはご用組合化が進み激しい労働争議もなくなり総評×同盟の区別も区別もなくなり、89年に連合となる。労働界の穏健化(対米従属)政策は成功して今日に至る。連合は今や政権与党の一大パトロンだが派遣法にも抵抗せず下層労働者を切り捨てている。
 政党や政治家個人へのアプローチももちろん積極的に行われた。同大使と懇意になったのは自民党では池田、大平、小坂善太郎、中曽根、宮沢らであり、ウマが合わなかったのは佐藤栄作、田中角栄、三木、福田赳夫らだと自身が書いている。
 民社党では曾根益や西尾末広と頻繁に接触したが、社会党では当時ソ連や中国に傾斜する者が多く反米の教条主義だったと書いている。社会党では右派の江田三郎に当然注目していたが党内批判を考慮して表立ったコンタクトを避けたそうだ。
詳しくは知りたい方は『アメリカ政治の秘密』(PHP)¥1700をお読みください。
 なおここではライシャワー大使が赴任したときからの1年少しの間に米政府がアメリカに招待した労働界要人数は90名。また米労働組合(米の労組は民主党支持だがCIAとも関係する)が招待したのは200名に上るという。またソ連崩壊までの間にアメリカへの招待は総評系2千名、同盟系で1500名に上るというから、如何に戦略的に行われたかがわかる。 またライシャワーの「日・米パートナーシップ」での人づくりは「菊クラブ」に引き継がれている。
 しかしこれと比べると如何に戦前の日本が短絡的で中国、台湾、朝鮮で傀儡勢力を作らず武力中心で、結果反日勢力を養成したのとは偉い違いだ。さて『アメリカ政治の秘密』のページを飛ばして今の与野党国会議員への傀儡勢力づくりに触れて終わりにしたい。
時代を超えて行われる対日管理と政治家育成 
 副島研究所はジェラルド・カーティスの役割は日本の政治家との関係を築き米の情報を与え、日本の政治に影響を与えることだとしている。カーティスは親日好々爺ぶりを示し大新聞が経営する地上波テレビによく出てくる。
 70年代初めから自民では中曽根にまた野党にも人脈を築いてきたが、この時に野党人脈づくりに協力したのが60年安保の闘士の一人、安東仁兵衛という。通称あんじんだが私は22年前の衆院選挙で横山純子(当時も今も葉山町議)を応援した際に川崎(中選挙区の神奈川2区時代)で安仁氏と同じ車に乗り合わせ、そのアジテーション弁舌のすごさに圧倒されたことがある。選挙後一度その縁で横須賀でうまい魚でいっぱいやったことがある。
 私事はさておき77年に江田三郎が社会党を離党し社民連を結成したが安仁はこれに深くコミットし、その年に急逝した三郎の代わりに息子江田五月を立候補させ当選させた。安仁は前総理の菅直人、社会党の爆弾男楢崎弥之助(故人)、田英夫(故人)らを社民連に糾合した実績がある。また安仁はその履歴から学生運動の理論的支柱でもあり社会主義学生戦線(フロント派)を指導していた。フロントには今や悪名高い仙谷由人や節を曲げず?社民党に残る阿部知子などがいた
 管や仙谷は安仁スクールの一員という。それよりも安仁とカーティスの関係である。カーティスと安仁は深い仲にあり(いつからとは『アメリカ政治の秘密』に記述はないが必然の出会いであろう)安仁のかみさんがやっていた銀座の飲み屋「ボア」に通って会っていたという。これはカーティスが自著で明らかにしているという。ライシャワーと同様カーティスも江田三郎に強い関心を持っていた。ついでに言えば私も社民主義的な構造改革論の江田三郎に好感を持っていた(当時社会党を牛耳っていた超左翼の社会主義協会派はニヒリストが多く、とにかく情がなく私は嫌悪していた)が、安仁にこんな裏事情があるとはつゆとも知らなかった。もっと履歴を調べあえばよかったと反省している。
 今は民主党の保守派閥凌雲会と関係が深いそうでカーティス門下で名前をあげると民主では前原誠司、古川元久などが真っ先に上がり、自民党では根本匠、伊藤達也、公明では上田勇などはカーティスに師事し、そして我が神奈川11区の小泉進次郎が現在育てられている重要な一人だとされる。
 結論は日本管理は時代を超えて引き継がれていると言うこと。これなら政権交代の結果が、この体たらくになるのもむべなるかなである。
 8,15ポツダム宣言受諾記念日を前に敗戦とはどういう結果をもたらすのか、また戦後の真の支配構造を知り、その上で政治家をどう見抜き、対米従属ではなく、少しでも日本国と日本国民のことを考える政治家を育てるのかが主権者国民のためである。
 またこのような構造にあるからこそ、分権国家に移行することが市民の為の制度だと気が付く必要がある。国家権力と宗主国の影響削減が市民のための政治である。
 本当の支配構造を知ることが必要と8月15日の前日に思う。
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by ichiyanagi25 | 2012-08-14 07:34

ウオータービジネス会社断念の真相

同じ穴の狢たちの抗争劇が真相 
 前議会における吉田市長のウオータービジネス会社設立断念表明について、余りに拙速、無責任。そして子供じみた責任逃れに終始する痴態ぶりの裏に何があるのか?。また岩澤追放劇の真相は何か?市長が選挙協力のお礼で連れてきた岩澤局長を、今回これ幸いと即座に「罷免する」と言及し、辞表を出させたのは誰なのか見極める必要があると思い、当ニューウイングは6月議会では慌てて質問に立つことはしませんでした。
 7月12日の生活環境常任委員会については、残念ながら市長と副市長の責任を真に問う会派では1,2期の若い議員が多く、その追及ぶりに人の良さを感じ、さらに問題の本質をすり替える市長、副市長を「そうではない」とする追い込み不足を感じて、途中で見るのを止め議事録チエックに方針を変えました。
 ウオータービジネス会社設立に賛成した会派、議員は相当強い意志を持って市長、副市長に当たらないと、今後も更にコケにされる事を肝に銘じなければなりません。
 さて7月12日の委員会質疑から真相を導き出すために議事録を詳しく読んだ。象徴的なのは会社設立反対派で特捜?検事役を務めていた、青木&角井委員の変質ぶりである。議会最終日6月26日の緊急質問の突っ込み方で一部予見されることはあったが委員会では、これまでとあまりに対応が違うことから7月12日までの間に、市長・副市長と正副議長会派との間で相当「何かあった」を感じさせるに十分である。
 さて、厳しい質疑をするので私同様職員から相当嫌われている?青木委員が12日の委員会では君子は時に豹変すを見事に実現。岩澤局長だけが悪く市長、副市長は反省すれば許してやるというスタンスから何が読み取るかでしょうか。一部を引用し紹介。
 青木委員 7/12委員会議事録の要約
(市長、副市長の責任に言及して)経験の浅い市長のサポート役としてもう少し配慮すれば、こんな恥ずかしい事件をおこす必要もなかったのだし・・・。と副市長の責任を問う。
 廣川副市長 はそれに応じて・・・
 私自身の行動規範をしっかり見直したい。こういった法的な問題等について、突っ込んで確認すべきでした。もっと早めに職員から話を聞いていればよかった。今後そう心がけていきたいと考えていきます。
 青木委員
 期待しています。
 とあっさり廣川副市長追及の手を緩めます。
 ここで指摘したいのは質問者も答弁者もさも岩澤氏が犯罪を構成しているようにとれる質疑応答ぶりです。質問者は事件と発言し副市長は法的な問題としていますが、今回犯罪事実はありません。この種の質疑で「事件」と言えば犯罪要件に当たる事柄であり、もしそうならば市長は岩澤局長を警察・検察に告発し、行政的には本当に罷免せねばなりません。それは一切していない、いやできないと言うことは犯罪ではないのです。だからコンプライアンスの問題でもない。単に政策形成能力に市長が著しく欠けると言うことだけなのです。ここを明確にしないと本当の責任者が曖昧になります。
 今回の痴態は政策形成過程での話であり、問題点は訴訟リスクがあり、このまま進めれば発注する市が敗訴するかもしれないと可能性を論じているに過ぎません。仮に岩澤氏が誰にも相談しないで「俺の独断で無理筋でもやる」と確信犯的に行ったとしても(組織でやっている以上そんなことはありえないが)まだ履行されていないのです。 
 日本国刑法は「あいつを殺したい」とか「あの車を盗みたい」と幾ら思って準備しても実行に移さない限り犯罪にはなりません。犯罪行為に移る前の「準備」で捕まるのは凶器準備集合罪くらいなものです。故に半官半民の会社をつくり市の仕事を発注したとしても、贈収賄とか公務員法違反になるわけでもありません。あくまで独禁法に抵触するとか随意契約の要件にあうかと言うことが問われるだけの行政訴訟か民間から損害賠償請求があるだけです。
 しかし更に岩澤氏の独断と断定し、市長副市長はごめんなさいと言えばすれば免責と言う論調の質疑が続きます。
青木委員
 岩澤局長が自分の良いように解釈して、いろんな判例をくっつけて何とか(議会を)ごまかして議決まで持って行ったのは事実ですよ。とにかく悪いことが起こっちゃったのだから、さっさと片付けて良い方向に向けて欲しい。エールを送っているのですからここは。
 市長
 エールも頂きましたし、本当にしっかり頑張りたいと思います。
 会社設立断念という言質を市長副市長からえたとしても、ここまで市長の責任を免除してやることはないと思うのは私だけだろうか。
そして質問の最後にこう締めくくります。
 青木委員
 (郷原法律事務所や他の専門委員の指摘に対して、なぜもっと局内で検討しなかったのかという点について。経営企画課長の答弁を聞いた後)。『と言うことは最後は結局、局長が握りつぶしちゃったと言うことですよね。わかりました、有り難うございます』。答弁を求めず、委員会は終了。
同じなの穴の狢(むじな)のヘゲモニー争いでしかなかった! 
 さて、引用はこれくらいにして、今回の愚劣な断念劇の本当のところは何なのかニューウイングの見立てをここでズバリ書きましょう。
 今回の顛末は水ビジネス会社断念は所詮道具であって、詰まるところ市長と両副市長、そして吉田市長当選の論功行賞で水道局長になった岩澤氏4人のヘゲモニー争いの結果です。大義とビジョンと「市民のために」がない市長が、顧問弁護士の恫喝的?助言に尻尾を巻いて逃げを撃ち、とにかく自己免責だけを求めた。が一つ。
 もう一つ(これがいちばん)は職員時代から不仲(派閥もちがう)だった両副市長と岩澤氏の関係が、吹き出しただけです。3人がそれぞれ任命されてからまもなく3年、陰に陽に確執があり、企業会計人事に岩澤氏は影響力を殆ど果たせなかったとも聞いています。
 このような確執から、この際、両副市長は市長が連れてきた岩澤氏を失脚追放する事に決め市長にも岩澤を斬らねば市長の責任が問われると振り付けした可能性が強い。元々両副市長は水ビジネス会社の設立などどうでもよかったのだから、岩澤追放と会社設立断念が実現できれば結構な話。これがすべてでしょう。
 そして批判の急先鋒だった新政、研政(水道労組)を敵の敵は味方として協力してもらったというのが、委員会質疑の様子から感じられることです。
 まあ実にくだらない。市民のためとか横須賀市の経済の事なんて全く関係ない。
 またお子様市政も良いところだが、この種の会社の訴訟リスクなんて誰だってわかるし、市長が顧問弁護士に聞いて初めてわかったとか、局長の報告がなかったから気がつかなかったなどとの言い訳を信じる職員は誰一人としていません(副市長らにすり寄る輩は別)。
 もし市長が本当に気がつかなかったなら、はっきり言って市長職に就く資格はない。今回の件で即辞表を出すべきは局長より市長である。と指摘します。
 本当に真剣に考えると、こんな市長では横須賀の停滞は続くばかりであることは確実だ。また議会の反対を無視して自分が連れてきた人(ここが一番肝心)を理由はともあれ、これしきで切り捨てるなら、市長の人格は最低だとも指摘しておきます(そう思っている職員は多い)。
 またこの軽い御輿を利用して気に入らない者を失脚させる両副市長の行為は人格、品格に全く欠ける。こんな手を使い議会をも巻き込んだ両名は進退伺いものだ。 
 今回の茶番を見ていて、このような市長と副市長のもとでよい行政が行われるだろうか?少なくとも職員のモチベーションは相当下がったし、投資的や意欲的な政策など市長から「検討してみて」と言われても、これでは怖くて取り組めないと思う職員は急増している。
市民が如何に気がつくか? 
 ただし、今回の委員会質疑で内部通報制度がいかされなかったとか市長答弁があったが、そうでもない。市長やH副市長が水ビジネス会社などは4派の要請があっても一切やるなと水道局職員に圧力をかけているとの通報もあります(今裏をとっています)。また水道局内では副市長に付く者、組合(系統議員)に情報を流す者など今やてんでんバラバラ、との通報もあります。水道局以外の職員は何が本当なのかを知りたがっています。が、内容は以上指摘の通り実に愚劣な事だったのです。
 まともな職員の皆さん。内部通報制度はチエック機関の議会を活用してこそ活きるものです。まあそれより職場をこんなにして、職員のやる気をなくさせる吉田市政をどうするかを問うことだと思います。市民の目を覚ますためにも職員が批判の声をあげていくことが必要と思う。
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by ichiyanagi25 | 2012-08-01 13:41