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何が主権回復だ!安倍政権を嗤う

何が主権回復だ!安倍政権を嗤う
 1957年4月28日はポツダム宣言受諾による占領状態の解除(戦争終結の証)であるが、それが真の独立回復だったのかは、何冊かの本を読めばそうではないが分かる。
 全く安倍総理及び自民党主流派の人間は、日本国民の矜恃を忘れた、とんでもない集団だと思う。自分たちが何をしているのか、何をさせられているのか考えるが頭がないらしい。 
 今、アメリカにTPPに入らせる為に安倍は持ち上げられているから、メディアも非常に甘い対応と言うか、むしろ安倍を持ち上げ放しだ。また植民地新聞を露骨にしている大手メディアのうち、特に顕著な読売は、憲法改正しろとけしかけているから全くたちが悪い。販売店に押し紙(購読分以上を押しつける)して世界一の発行部数を誇る、読売は植民地新聞の役割を恥じない新聞(日本テレビ)なのである。
 さて1956年に西側諸国とのみ調印されたのサンフランシスコ講和条約(以下サ条約)については元外務官僚の孫崎氏が書いた『戦後史の正体』などに詳しいが、これは当時の文書公開を含め多くの学者、研究者らがサ条約の実態を明らかにしている。70年代は右翼も左翼もYP(ヤルタ・ポツダム)体制に基づくサ条約は従属関係の固定化であると、問題にしていたが(右翼の方がYP体制打破を主張していた)今は声を聞かない。声をあげてもメディアに出さない事も原因だろう。
 吉田らは講和条約を結ぶ為、56年9月に社会党(全面講和を主張し参加拒否)を除く国会各党で全権団を作りサンフランシスコに行くが、アメリカに着くまで連合軍撤退後、アメリカがどのようなを要求(安保条約)してくるのか知らされていなかった。
 ダレスらは連合国軍の西側パートナーであるイギリスの反発すら警戒し、一切秘密で「日本の要請」という形をとり、引き続き日本に合衆国軍をおく事が出来る安保条約をサ条約を調印したすぐ後に調印させたのである。
 メインの講和条約は当時の冷戦時代を反映してソ連、チェコ、ポーランドが調印せず、、共産(毛沢東)中国は2年前国共内戦に勝利して政権を握っていたのに、参加を許されず(英は共産中国を承認)、アメリカの強い意向で台湾に逃げ延びた蒋介石国民政府が中国として調印するなど、東側が指摘したとおり冷戦構造と朝鮮戦争を背景に、まさにアメリカ主導の片面講和であった(インドは独立後であるが日本の完全独立とはほど遠いとのネール首相の判断で不参加と言われる)。
 まさにアメリカは太平洋戦争をした真の目的であるアジア・太平洋域支配を果たす為に日本は必要不可欠な根拠地(基地を置き維持費を貢がせる)であるを、安保条約を持って実現したのである。当時は朝鮮戦争が行われ冷戦の激化と日本では共産党の武装闘争路線もあり、昭和天皇も皇室保全の為に、マッカーサーに米軍駐留を求めた事が判明している。
 アメリカは、このような屈辱的条約を結ばされた日本全権団メンバーは帰国してから1人や2人テロで殺されるだろうと見込んでいたという。それをしなかった日本人はポーツマス条約の時(日比谷焼き討ち事件)と違って随分寛容だった事になるが、そうしないようにGHQもプレスコードを引き、大手メディアは「主権回復後」も安保条約、ここが問題を煽らなかったからだろう。
 吉田茂は戦後対米従属路線の祖とされるが、56年9月8日サ条約は49カ国の出席の下、サンフランシスコのオペラハウスで華々しく結ばれた直後に、全く目立たない陸軍下士官クラブのダンスホールで安保条約が結ばれたのである。全権代表の吉田は「この条約を結んで日本に帰れば国会で大問題になるから、1人で行った方が良いだろう」と随行の池田勇人らを誘わずにたった1人で調印した(属国状態を隠した異常さである)。
 ダレスが言ったように60年に改訂された現安保にしろ、日本を属国状態に置く安保条約の本質は「合衆国軍隊をアメリカが望むところに、いつでも期限なしで置くことが出来る」条約なのであり、1990年冷戦が終焉していても、この構図は何も変わっていない。
 これを属国と言わず、何というのか。
何が記念式典だ 
 57年4月28日はサンフランシスコ講和条約施行日であり、これで連合国軍は撤退した。そのかわり安保条約に基づいて今に至るまで米合衆国軍の陸海空海兵4軍基地が日本中に展開した。この4月28日の3日後の5月1日は労働運動史と戦後共産党史に名を残す「血のメーデー事件」がおきる。この日「屈辱外交だ」などのプラカードもあったという。前年9月の調印から半年たって、ようやく安保条約の従属性が分かってきたのと朝鮮戦争中で共産党の武装闘争路線も影響して、皇居前でデモ隊と警官隊が衝突、警官隊の拳銃発射もあり、双方1名づつ死亡し、双方合わせ約1000名(外国人11名含む)が重軽傷を負う、まさに血のメーデーとなった。安倍政権は式典根拠の3日後に日本人同士が闘ったこの事については一切触れていない。
 そして4月28日の本土においても見せかけの主権回復の中、サ条約と旧安保条約に於いて沖縄、奄美群島、小笠原が切り離され、施政権はそのまま米軍が継続した。
 奄美の施政権が日本に復帰したのは翌年の53年だが、これは、元来鹿児島県の奄美島民は祖国復帰意識が強く、米軍政府への不服従、抗議運動が激化し、米にしても重要基地もない為、翌年奄美群島は日本に帰してよこした。なお米軍施政権下の45年から53年まで米支配の抵抗から奄美諸島からの本土への「密出国者」は多く、栃若時代に大関、横綱となった朝潮太郎も奄美密出国組で堂々高砂部屋に入ったし、日本人も、反米意識によりこれをとがめる意識はなかった。
 さらに朝鮮戦争休戦(53年)でも基地拡張を続けるアメリカに対し、学生運動や総評、社会党を中心に反基地運動が激化し、内灘事件や砂川闘争など多くの対立事件が起き、このままでは国民を中立や反米に追いやるとの懸念を感じた米政府は、国内の必要な基地を沖縄に移転した。移転先となった沖縄では言われるところの「銃剣とブルドーザー」で、即時明け渡しを迫られ、取り上げられた農地や居住地を基地にされた。 
 それまでの沖縄県民は沖縄戦時、米軍を旧日本軍の圧政から救出してくれた解放軍とみて親米意識もあったが、これ以降急速に沖縄県民多数が反米軍-基地撤去運動へと転換していく。
 米は沖縄住民の抵抗に対し、琉球政府を作り軍人が高等弁務官を務める間接統治にした(本土と沖縄への行き来には沖縄・本土住民共にパスポートの取得が求められた)。
 そして復帰運動の高まりと、佐藤栄作首相の沖縄本土復帰政策により戦後27年目の1972年になってようやく施政権返還が行われた。
 小笠原はアメリカ海軍の戦略基地として、ポラリスミサイルなどまさに核兵器貯蔵基地となったが、佐藤政権時代の68年に施政権は日本に帰された。私は当時高校生だったので小笠原本土復帰(都知事は美濃部時代)した次は沖縄だとの報道が盛んに行われた事を覚えているし、70年安保時、沖縄はアメリカから奪い返すのか、独立をさせるのが良いのか、いわゆる「解放か奪還か」などの論争をしたことも覚えている。
 なお70年大阪万博は安保闘争から目をそらせる為に、自民党政府が行った一大イベントであることも改めて思い出す必要がある。だから私は万博には抗議で行かなかった。
独立の気概を持ってアジア同士は戦わない決意を! 
 このような歴史を知って、更に現状をみれば主権の回復がないのは沖縄だけでなく日本全体が準沖縄であることが分かる。特に国会議員が小選挙区と、この10年露骨になった対日支配により、自主独立の気概を持つ国会議員がでっち上げ事件を起こされ又は落選させられて、極めて少数になり、メディアも朝日もまた対米従属して今は東京新聞や沖縄など地域のいくつかの新聞が頑張っているだけである。
 日米同盟という言葉は安保反対運動が弱まった80年代から出始めるが、日米安保が対等な軍事同盟と思っている国民がいたら実にその人はおめでたい。日英同盟の時もそうだが対等な国は同盟など結ばない。同盟を求めるのは宗主国の保護を求めることと同じが国際常識なのである(日英同盟の時イギリス政治家がそう言っているが、明治政府はそれを隠蔽した)。支配構造を隠したことは今始まったことではないのである。しかし自民党員にはそう洗脳されている者が多いようだ。そうでなければ「主権回復の日」を天皇、皇后様まで呼び出して行う事など考えられない。
 60年安保大闘争、70年の闘争をもって組織的な安保反対運動は影を潜めたが、当時の「社会主義か資本主義か」の体制選択でなく、独立国の尊厳と日本人として主権回復を目指して、今の安保体制、日米従属構造を変えようという人たちを増やすしかないだろう。去る4月28日には沖縄のみ「屈辱の日」と銘打った反対抗議集会を開いたが、今は本土基地が沖縄化されているのであるから、真の独立を考えないと原発、TPPも対中国問題も片付かない。
 安倍首相は06年の前政権時代はアメリカからもヤスクニ・カルトと見られていた事を忘れ、アメリカ様から脅されないからとして、多くの閣僚や与野党の思慮の浅い国会議員らで春の靖国参拝を行い、中国、韓国から強い批判を浴びてアメリカの望む形の対立構造を助長している。また中韓の批判、抗議に感情的に反発し「脅しに屈しない」などのとコメントするなど、この内閣は最悪、最低の外交センスである。国益を損なうのも良いところだ。
 そもそも尖閣問題は昨年4月、夢をもう一度の石原をアメリカのヘリテージ財団に呼び、そこで「尖閣を都が購入する」とぶち上げさせ、それをメデァイに大々的に露出させながら、野田民主をそそのかせ「国有化する」を宣言させたのである。完全に米のシナリオ通り民主、自民ともパシリとして使われ、先人の知恵で棚上げであった尖閣の寝た子を起こし、対中関係をこじらせ経済を冷えさせている(一昨年の中国漁船、船長逮捕も民主党政権時の前原らの暴走であり、ここから尖閣対立が先鋭化した)。全く馬鹿なことをやらされている。
 欧州諸国が冷戦崩壊後、第1次2次大戦の反省からもう欧州同士殺し合わないとしてEUを作ったように、独立の気概を持って、アジアの国同士が再び戦って血を流すことがあってはならいとの確信を持つ日本人が増えることを期待したい。
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by ichiyanagi25 | 2013-04-30 20:10

岩上安身さん来る!

第9回脱原発講座開催  
 昨年9月以来久しぶりの脱原発講座を開催します。
 昨年の衆院選挙はアメリカの意向を受けたメディア操作と、これまたコントロールされた野田民主による対米非追従及び脱原発議員を根こそぎ落選させるための総選挙でした。結果は日本を支配する勢力の思惑通りになってしまいました。
 また自民補完のために作られた維新の会やみんなの党、そしてアメリカの残地諜報者である前原、野田などの悪人民主らの改憲勢力が400議席を超えました。参議院選挙で更にこれを許せば公明党も使い捨て同様に外されて改憲が現実のものになるでしょう。
 改憲してもアメリから独立する自主防衛や核武装などはあり得ず、アメリカの都合によって海外派兵をさせられる、宗主国のための「改憲」しかさせてくれないでしょう。
 改憲も、原発も、TPPも尖閣も全てアメリカの支配によって動かされています。そしてそれをカムフラージュして安倍政権を持ち上げているのが東京新聞を除く大手新聞と地上波テレビです。
 原発事故前まではフジテレビなど地上波テレビにも出ていた岩上さんは、原発事故以来一切の地上波テレビからは閉め出されました。私たちの暮らしと命を守るために権力と既成メデァイと闘うフリージャーナリストでIWJ代表、岩上さんの話を聞いてください。
 なお横須賀の既成メデァイアも脱原発に関する議員や市民の活動は完全に無視です。タウンニュースだけ記事を掲載してくれています。どうぞ脱原発や護憲の意志を持つ人はこの記事を配信してください。
 4/27のご案内
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 申し込みは要りませんので直接会場においでください。
 会場は逸見のウエルシティ内まなび館の5階大学習室です。
 ウエルシティの電話は822-4838です(地理不案内の方は会場に問い合わせください)。
このメールに問い合わせて頂いても結構です。ご来場お待ちしています。 
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by ichiyanagi25 | 2013-04-20 12:06

B層市民が選ぶ市長選挙の中間分析

B層市民が選ぶ市長選挙の中間分析 
 市長選挙まであと3ヶ月を切った。
 この間、新しい動きとして第3の候補が(憲法)「9条の会」から、岸 牧子という女性候補が名乗りを上げた。吉田、廣川両候補とも対米追随で原子力空母の母港化や米軍犯罪についてはノープロブレムだから、立候補表明したのかもしれない。しかし前回の呉東さんを越えることはまずあり得えない。共産が候補を出せば残念ながら共産候補と、この女史の最下位争いとなるのは間違いない。属国日本で東洋最大の米海軍基地を抱える横須賀としては、もう少し思想的にも優れた分析が出来る候補を出して欲しい、と言うのが私の本音だ。
 9条の会なら、市長選より7月の参議院選挙で改憲勢力が3分の2以上を占めないような運動を優先した方が良いのではないだろうか。
丙丁と+戊の争い 
 当初から今回の市長選挙は候補者からしてお世辞にも甲乙つけがたいとは言えず、丙丁レベルの選挙にしかならないと、分析している。どっちの選対も内部は燃えているのだろうが所詮コップの中の嵐で、40年前の横山、木村の「保守、革新」一騎打から見れば、まさに両陣営とも我が子可愛いやの「蛸壺型」選挙運動でしかない。
 この市長選、7割の市民にはドゥって事はない。なにしろ蒲谷、吉田市長と市長が何を考えているのさっぱり分からない、この8年間でも、最低限の市政は回ることが分かった。有り体に言えば市政の9割は扶助費とか、教育や給与費などのいわゆる義務費であるから誰が市長になっても、淡々とこなす仕事、ルーチンワークが9割のなのである。この義務的事務を行う市長の権限はまさに市長機関説で行えばよいのである(市長機関説の指摘に対し吉田市長は意味が分からないと、この4年間押し通した)。
市長のおかげで議会らしくなった 
 ハッキリ言えば小学生が市長になっても、市役所の仕事の9割は自動的又は義務的に動くのである。有権者はこの8年を見て、ここを抑えた方が良い。
 吉田市長のおかげで格段に変わったのが議会である。3回の当初予算を修正していて、だんだんその金額が大きくなっている。
 要するに地方議会をゆがめてきた、市長を応援した会派議員は「与党」であるという間違った与党意識を発揮しようにも、吉田市長は言うことを聞かないから、与党意識は存在意義を失った。まさに反面教師的に優れた市長が出たからこそ議会は変わらざるを得ず、我が会派としては歓迎できる議会本来の役割を果たすようになった。
 議会を構成する議員は本来、長に対して是々非々であり、論理的に堂々質問、或いは追及して、市政を謬らせぬよう監視し、かつ専門性を持った提案をするというニューウイング型でやらねば提案は通らなくなった(私は沢田市長時代から此で対応している)。
 そして昨年のリフォーム予算のように、付帯意見をつけても法的拘束力のないものは、無視する吉田市長の態度を知ったから、今回議会は数千万円を削る修正権を発揮する事になったのである。2元代表制の議会という輪は、この4年でようやく回り出した。
メディアは吉田支援で劇場型選挙 
 ここを新聞記者が全く理解していない。大体この頃の記者は意見が分かれる事柄に対しては、もう一方の取材をしてから記事するとのジャーナリストの基礎が備わっていない。
 先月28日の神奈川新聞では市長のコメントのみ載せて、電通の食い物になっている美術館活用事業や、丸投げ先の外野が考えた荒唐無稽なトライアルステイ予算をなぜ減額修正したかとの、議会の意見を載せていない(取材すらしていないのではないか)。
 以下3/28付け神奈川新聞記事引用
 市長は議会閉会後記者団の取材に「減額修正されたものは殆ど議会の指摘を受けて事業化したもので大変残念。(「過去の修正とは)全く違うものと受け止めている」と不快感を示した。6月30日の同市長選にも言及し「経緯を良く知って貰い、市民の判断を仰ぐ」とも述べた。引用終わり
 まるで05年、郵政選挙時の小泉総理のように「選挙で市民の判断を仰ぐ」と劇場型発言をした。見事神奈川新聞はその広報役を果たしたのである。
 まさに小泉総理張りのマスコミ操作であり、さすが選挙上手の市長である。もし本当に市長が記者に語ったように予算修正を残念に思うなら、再議にかければよいのだ(市長の再議要求についてはネットで検索してください)。が、それもしないで、いきなり「民意を問う」と選挙の争点としたのである。
 廣川氏についた新政、自民、公明、研政に対する格好の反転攻勢材料とし、メディアを介して市議会多数にいじめられる青年市長の構図を作るのである。B層はこうしてメデァイにより判官贔屓に持って行かれる。
 まあ私たちから言わせれば、修正案を共に提案した研政や新政会らは吉田市長から逆手に取られると思っていた。なぜかと言えば美術館利用の集客手法が美術館条例に違反すると、盛んに強調していたからだ。
 条例違反より、なぜ電通一社と実質の随意契約するのかという不透明性と、このような広告代理店と、それに通じているとしか思えない現プロモーション担当課長(元電通社員で3年前市長が直々に採用した)に、いいように税金を喰われているのが分からない、市長以下の田舎役所体質を指摘、糾弾すれば良かったのだ。
 日刊紙よりましなタウンニュースも委員会審査の具体的指摘を記事にせず、予算決算委員会の総括質疑部分と、最終本会議の小林議員の懲罰ものの議会、議員批判討論を、これまた他の議員の意見も載せずに紹介していたのも大いに遺憾である。
 小林議員は2年前に議員になったばかりで、10年前の美術館を巡る議会内外での賛否の争いと、その後、反対賛成双方議員からの提案や指摘を知らずに、「議会は建設に賛成しておいて、市長が何かしようとすると反対する、議会とはなんだ」とあからさまに先輩議員を侮辱する発言をしたのだ。美術館建設予算に反対した議員は10人近くに登ったし、私などは此で会派を出ろとなり、憎悪の応酬となったのである。また03年07年の市議選では美術館が大いに問われたのであり反対署名も6万名を超えたのである。
 団長会議で小林議員に対し陳謝と侮辱に当たるところを撤回させることを決めたが、議運委員の追及が甘く、議運を傍聴していて問題点を指摘できぬ委員達に呆れ、よほど独自で懲罰動議をと思ったが、市長選がらみの政局と取られると感じ止めた。
大同小異の両候補とパクリ市政 
 さて次いで吉田、廣川候補の政策的評価であるが、ハッキリいって両方とも大したビジョンは持っていない(私はどちらの肩も持たないので客観評価する)。
 特に吉田市長は選挙戦術以外は編み出せない頭脳構造である。だがこの選挙戦術と職業としての政治家の人生設計を描く能力は、皮肉3割で言っても卓越していると評価せざるを得ない。特に人たらしの術(1番の集票術)は天賦の才と言うべきで、ここを十分捉えて当たらないと廣川陣営は臍を噛むこと事は必定と指摘しておく。 
 政策評価としてまず現職吉田市長から取り上げるが政策形成能力は小さな事以外は持てない。自然や歴史を活かすなんて事は8割方はこの私、一柳を含む、他人のパクリである。環境政策部がエコツーを宣伝しているが此は八田羽環境部長時代(6,7年前)に環境省がエコツーリズム推進法を作るから此に合わせ横須賀版エコツーリズムを作った方が良いと提案(猿島ガイド養成を提案している最中に提案)したのだ。当時は環境部の仕事の9割はゴミ行政だったので部長以下、環境省がこの法律を作るなんて事は全く知らず、自然再生とか活用のお題目は唱えていても、その具体策など考えもしていなかった。
 現在のパクリ市長に仕える厚顔な環境政策の後輩部長達も、このパクリをてんとして恥じず、さもオリジナルのように市の言うことを聞いてくれる市民(団体)に参加を呼びかけているのにすぎない。
 緑の活用も市長は4年前のマニュフェストに書いたが、確かその中に「不抜の森」(切らない刈らないの意味らしい)などと書いて、専門家に2次林(薪炭用に植えた林-里山)が殆どの横須賀市に、こんな言葉は当てはまらないと指摘され、こっそり打ち消した。
 また軍港都市の歴史と今をどう活かすかは集客、観光の目玉であるが歴史も知らず、センスもないから全体像が自分の脳内に描けない。
 この課題を3月6日の総務委員会で私が1時間近く政策推進部長に質したが同部長は私の指摘、質問に殆ど答弁できなかった。それがもとか昨年就任したばかりの政策推進部長は更迭、財政部長に横滑りさせられた。1年で交代させられた部長は寡聞にして知らない。
 25年度同部予算説明書には「軍港資料館等検討部会設立」とあった。
 私たちが本市のタブーであった「軍港」を冠した資料館との表現を2年前に打ち出し、市民運動として活動しているが、市長は有り難くもそれをそっくりパクって行政内組織を作ってくれた。此で「軍港」資料館はネーミングとしてオーソライズした。だけど市長や職員達のオリジナルな発想ではないことを皆様は記憶しておいて欲しい。
 さて一方の廣川候補であるが、企画調整(現政策推進)部長時代に、本市の観光の2大目玉である「海と軍港市の歴史を活かす」で猿島ガイド養成の必要性などを説いた時、反対は当然しなかったが積極的応援もなく、また私はこう考えるという逆提起も聞いた覚えはない。
 タウンニュースに廣川候補は商工会議所会頭との座談形式対談で、観光として寺社巡り云々なんて賜っていたので、ああこのレベルかと再認識した。
 立候補の仕方の誤りについては既に述べたので今回は書かない。
 しかし市政の内実に詳しくない圧倒的B層選挙民にとっては、3年間副市長を務めていながらなんで立候補して、現職と対立している議会会派が担ぐ御輿に載っているのだとの疑念がある。謀反、クーデター候補と思われていのである。それを晴らしてB層を取り込む選挙戦術がとれるかが、勝負の分かれめとなるだろう。
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by ichiyanagi25 | 2013-04-06 07:13