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戦争の反省をどう共有し、国家の犠牲にならないか

戦争の反省をどう共有し、国家の犠牲にならないか 議会報告は来週に 
 来週から9月議会が始まり再選された吉田市長が所信表明しない中で、議会が主体性を持ってどう望むかいくつかの動きが出るようだがまだ書くタイミングではないので、市議会の動きは来週に譲る。
映画と戦争の理解
 さてお盆明けに先の戦争を考える2作品を見た。そのさなか島根県松江市の前女性教育長が漫画『はだしのゲン』について学校長に閲覧制限を要請していた問題が明るみに出た。ところで教委メンバーは市長が提起し議会が同意して選ばれる。形式上は教育委員長がトップだが議長役でしかない。今回問題となった教育長が事務方-書記局-のトップであり、実質的には教育長が一番実力者であることを理解しないとこの問題、見誤る。ところで相手が田舎町の教育長とみて、たたきやすいとしたかは知らないが、新聞だけでなく地上波テレビもかなり取り上げ、批判した。安倍政権にはもこのくらいの勢いで臨んでほしいものだ。
 この背景は、教育長がなんでこういう対応をとったのか、もう少し探った方がよいと思うのだが、小役人たちと教委は即座に「手続きに問題があった」として閲覧制限撤廃を決め、元に戻した。この対応、論理的反論ができない証左である。
 島根県は人口75万人で都道府県人口別ランクで46位(最下位は鳥取)に位置する。
 人口75万に過ぎないのに小選挙区では2議席を持っている(細田俊之と竹下亘)。また参議院では最低人口を争う鳥取ともに1県1議席を(不当に)得て格差の代表を務めている(人口1,200万人の東京都が定数五なのに75万人で1議席確保(16倍)なのだ-参院は都道府県別選挙区と現状比例制を止め、完全にブロック比例代表で選んだ方がよい)。
 また松江市は島根の県庁所在地でもあり人口21万人で県内人口の28%をしめている。
 話を戻す。この件の発端はある男性がしつこく『はだしのゲン』の閲覧制限を求め、議会に陳情したとある(この男の氏素性が一番キーポイントだと思う)。松江市議会は人口21万で定数34とバカに定数が多いが、これは平成の強制合併の影響もあるのだろう。保守地盤の強いところなので市議会構成も保守系が多数を占めるのは想像に難くないが、検索すると無所属標記が多く誰が自民か判別できない(共産が3名いる)。しかし保守が多い議会もさすがにこの男の陳情を認めていない。
 陳情は憲法にあるように国民に保証される請願権の一部だが、請願と違い本来は紹介議員はいらず本会議での議決はしない、委員会審査だけの軽い扱いである。この取り扱い方式も各議会で若干の違いがあるが、請願と違い本会議で票決はしない。新聞報道で気になるのは不採択と書いてある事だ。票決にふさないのだから、不了承とか審査終了と表現すべきではないのか(横須賀市議会では陳情は委員の全会一致でないと了承とならない)。
 議会の扱いはともかく、この件で気になり、かつ薄気味悪いのは、安倍政権が進める「改憲」を先取りするような形で、思想哲学が不明なへっぽこ女教育長(前)が、権力的に教育委員会に諮らず閲覧制限を自己裁量で処理したことである。議会はこの前教育長の責任を追及すべきだ。まして手続き上問題があったと教委は結論づけているのだ。これをせねば行政監視とい市議会の役割を果たさないことになる。
 また、ごろつきの維新の会、橋下代表は閲覧制限解除を「メディアの圧力だ」と、安部総理の代弁のような発言をしている。旧軍の悪いところを直視しなければ間違いを繰り返す。まさに維新の会とこの共同代表はナチスのミニ版であり、橋下はヒトラー同様な差別主義者だ(人相学的にそう見抜いている)。 
 なお今回の問われるのは表現の自由の保証と、作品へのアクセス権の保証である(知る権利)。今回メディアがへっぽこ教育長と松江教委を批判したことは当然だ。メディアは本来この視点で自民の改憲案を批判すべきだ。だがこれで幕引きだ。
文科省や教委が本当のことを教えるのか
 しかしまあ公教育が戦前の日本軍が自国民に対してと、占領地のアジア人に何をしたかをきちんと教えるわけはない。戦時中、自国兵士でさえビンタの嵐で接していた軍隊が、民族差別心丸出しで占領地へ行き何をしたか、この視点で歴史を見る事だ。
 陸軍では内務班内のいじめ、しごきであり、海軍は鉄拳制裁とバッター(精神注入棒)で尻をたたく。いずれも私的制裁が幅をきかしていた軍隊なのである。城山三郎さんはバッターでの制裁を「こぶの上にこぶができる」と称して椅子に座れないほどの痛さを表している。この私的制裁で戦に行く前に、軍隊内で死んだ者や傷害を負わされたものがいる(病死・事故扱いで済まされる)。これが旧軍の実情であり、昭和20年東大生でビンタの嵐に見舞われたナベツネはこれだから徹底的な軍隊嫌いになったのだ。
 閲覧制限の原因となる「残酷シーン」であるが、戦争の時代は残酷、残忍なシーンはたくさんあったことは、私自身、会社や叔父、近所の親と同世代の先輩から「中国でどうした」とか、南方占領地域で現地人に対しどういう扱いをしたかなどは結構聞いていた。へっぽこ教育長はこの民族汚点から自身が目をそらしているのだろう。
 なおはだしのゲンで言えば、中学生以上になったら漫画で知ることよりも、戦争文学の何冊かを読んだほうが戦争に対する理解力がつく(麻生元総理と同じレベルでいたくない日本人そこからスタートするべし)。
 今の50代以下からすれば先の戦争は「祖父たちの戦争」だが、では内実は何だったかを本を読んでから、劇映画やテレビのドキュメンタリーを見ると感じ方は全然違う。
 そこでお薦め本がある。09年に岩波から上梓された『世代を超えて語り継ぎたい戦争文学』-¥1700-が何を読めば、何を読めばよいか教えてくれる(澤地久枝と佐高信の対談形式)。
映画『少年H』と風立ちぬ
 妹尾河童の自伝の映画化『少年H』と零式艦上戦闘機の主任設計士として有名な堀越二郎を描いた『風立ちぬ』をお盆明けにみた。特に宮崎駿作品の『風立ちぬ』はいつもの事ながら子供連れを含んで多数の入場者があるが、このアニメでどこまで戦争について学べるかを考えた。
 『少年H』は母親が熱心なクリスチャンであり、父親は神戸で外国人の背広をあつらえる洋服の仕立て職人(大使館とか外人相手のレストランに出入する)である。これは当時とすれば一般的日本人とはかなり違う家庭環境である(今でもそうだ)。
 戦時中キリスト教への監視は、共産党や左翼を弾圧(獄につなぐか前線送り)と取り締まりの徹底で運動家などはもう市政にいないから、やることの無くなった特高警察が少し毛色の変わる市民や、闇屋をなどを徹底的に取り調べる。思想弾圧がいかに凄かったかを学ぶにはこの映画の描写はリアリティがある。なお特攻らは仕事がななくなると左翼運動をでっち上げもしてそれで検挙し、拷問の限りつくして、調書を作り立件したのである。その最たるものが「横浜事件」(ネットで調べてほしい)である。警察検察による、でっち上げ政治捜査は小沢一郎つぶしのように現在でも存在することを忘れてはならい。
 特に戦争中は戦争に協力的で無いとか、統制経済を乱すとみられた者は些細なことでも逮捕され憲兵、特高からひどい目にあった。
 漁師も獄につながれた
 私が生まれた漁師町深浦では昭和20年に「漁師が魚を闇で売っている」と憲兵が聞きつけ20人ほどの漁師が昭和20年の春先に憲兵隊(米ガ浜)にしょっぴかれ、今は中層住宅になっている大津海軍刑務所に入れられ「死なないばっか」の処遇を受けて、ようやく桜の花が咲く時分に返された事の証言録を約40年前に取っている。
 父親はそのとき徴用されていたのでこの難を逃れたが、様子を「死なねえばかりで、シラミにまみれて釈放されてきて、皆がっくりして漁に出なくなっちまった」と話してくれた。
映画について
  『少年H』でただ一つ決定的ダメ出しをしたいのは、主人公が小学5年生から中学3年生となる5年間を描くのに、身長が一切伸びないことである。妹役もそうであり、リアリティを欠きすぎる。ここがアメリカ映画との差である。なぜ兄弟の子役を使わなかったのか。 
 60年前大ヒットした木下啓介監督の『二四の瞳』では、教え子役の子役をすべてオーディションで兄妹を選んで、入学時の六歳から卒業時の一二歳の役や成人後(兵隊役)の役を兄妹を分けて演じさせ、成長時のシーンも顔立ちが似ているので全く違和感がなく受け取れる。とにかく伸び盛りの子の5年を描くのに小学5年生をそのまま使って、身長130cmほどの子供に中学の軍事教練をさせるシーンでは目を覆いたくなった。
 『風立ちぬ』は特に堀越二郎の半生を描くのに堀辰雄の恋愛劇をフィクションとして付け足したことに大いに違和感がある。また映画のラストシーンに、主人公堀越二郎が零戦の一つ前に設計し、当時全金属単葉戦闘機の世界水準を抜いた(複葉機の終焉)とする九六艦戦がでてきて試験飛行が行われテストパイロットから激賞される場面などが出てくるが、主翼が逆ガルで描かれているのにも違和感を持った。何でこんな小細工をするのか意図不明である。
 映画は、とかく男と女の関係や、恋愛劇を挿入したがるが、この映画の何を主張したかったのかを考えると、より史実に即した表現の方が良かったのではないかと思う。妻への愛情や子供家族への思いで表現すればここまで全く別人のストーリーをつけなくても戦時中でも情は表現できると思った。
 それにつけても紹介した『世代を超えて語り継ぎたい戦争文学』に取り上げられている戦争文学を読んでから、映画を見ることで見方は変わるから、是非何冊かは読まれることをお薦めしたい。いずれにしても結論は過去の過ちを繰り返すなであり、さも独立思想のふりをして、実は対米従属で張り子の虎達の妄言に騙されないことである。
化学兵器は反政府勢力が使った?シリアの真相
 さてこの記事をアップしようとしたらアメリカが、シリア政府が毒ガスを使ったと「決めつけ」軍事制裁(航空攻撃)にでる方向を表明し、植民地国の総理安部ちゃんは早速全面支持を表明した。属国もここまで来れば最たる者で我が国の国際信用は地に落ちた。
1週間位前までの報道では反政府側が使用したともあった。だとすれば反政府を裏から支援するアメリカが民間軍事会社を通じて化学兵器をわたしたことの方がリアリティがある。そして毒ガス報道を蔓延させ軍事介入の正当理由とするのである。前にも書いたようにアラブの春は全てアメリカの仕掛けが裏にある。
 アメリカは戦争を仕掛けないとやっていけないのである。イラク侵略以来、正当性のない戦場に兵士を送ると国内で反戦運動が起きるから、民間軍事会社と諜報機関にやらしているのである。オバマもそれら勢力のCEO(支配者の雇われ支配人)でしかないわけだ。まさに肌の色が黒でも白でも黄色でも言うことを聞く猫はよい猫なのだ。
 日米メディアはこの本質を一切報じないが、くれぐれもシリア政府を悪く言う報道を鵜呑みにしないことである。またシリアで使うアメリカの戦費は巡り巡って日本政府が上納させられる構造、安保体制をよく知る事だ。
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by ichiyanagi25 | 2013-08-30 21:28

視覚操作はテレビのほかに映画もある-騙されないために

視覚操作はテレビのほかに映画もある

映画『終戦のエンペラー』の「仕掛」が分かった
 前回のブログで公開中の映画『終戦のエンペラー』のいかがわしさについて書いたが、副島有料ブログにこの映画の論評が記載されており、なるほどそういうことだったのかと痛み入った。さすがに深い知識の上の鋭い分析である。
有料ブログなので全面引用はやめるが、あの映画をみる上で必要な知識は宗教、特に国教である。日本の場合、天皇を現人神とする国家神道であり、八紘一宇と称し天皇が世界の中心となって世界を治めると昭和11年以降強調され、大東亜共栄圏へと向かい対米戦争の道となった。一方連合軍(占領軍-中心はアメリカ)構成をみればソ連を除く欧米豪連合国はキリスト教(プロテスタント主流)が国教である。
 明治政府は日本を天皇(現人神)を頂点とする神道を国教とした。そして天皇=大元帥に率いられる帝国陸海軍は自ら皇軍と呼ばせ「天にかわりて不義を撃つ」-聖戦を行う存在-とした。だから国民の命をまさに鴻毛のごとく軽んじたのだが「忠勇無双の我が兵」には死んだら祭ってやらないと忠義が成り立たない。
 だから靖国神社は軍人を祭る国社であり、陸海軍共同管理であった。戦死すると家族としては遺骨を地域の墓に葬り仏となるが、靖国に祭られると「神」となるのである。さらに特に功ある戦死者は軍神として祭り上げられた。また地域の氏神はすべて伊勢神宮を頂点とした国家神道の支配下に置かれた。天皇は神主の頂点に立つ人でもあった。
 国民は国教である神道に帰依させらるから神社参拝を義務とされ、小学生から参拝を強要された。だから創価学会や大本教など、天皇とは別な教祖を固く信じる新興宗教は徹底的に弾圧され、拷問と劣悪な監獄環境で獄死者も多く出している。この反省の元に政教分離と信教の自由が憲法で規定された。明治維新後の日本のキリスト教は天皇制と妥協し存在を許された(欧米との外交も考慮した)。
 結論から言うと国教である国家神道の神がかりから日本はアメリカに刃向かったとするGHQは、この際GHQが連合軍に恭順の意を示す皇室に、神道からキリスト教に改宗させようと言う企みが根底にあった、と言うことなのだ。映画の原作とされるのは『陛下をお救いなさいまし:河井道とボナー・フェラーズ』だというが、この映画からはそんなことは全く感じられない。
 では国家神道からキリスト教へ国教を改宗しようとしたいきさつはどうなのか、副島ブログより引用するので参考にしていただきたい。 
隠された天皇家キリスト改宗策略
 なお有料ブログなので全面貼り付けは止め抜粋引用する。
 引用開始
 『終戦のエンペラー』は岡本嗣郎(おかもとしろう)というノンフィクション作家の『陛下をお救いなさいまし:河井道とボナー・フェラーズ』(集英社)(※ボナーフェラーズは映画の主人公の准将)。という本を土台にしたハリウッド映画として宣伝されているが、映画では原作の原型をとどめていない、と中田安彦研究員が酷評していた。中田氏によると、この映画では原作で最も重要な恵泉女学園大学の創始者である河井道(かわいみち)という日本人のクウェーカー教徒の教育者が全く登場していないそうだ。
 岡本(著者)は03年に物故しており、映画の制作には一切関わりがない。『陛下をお救いなさいまし:河井道とボナー・フェラーズ』という原作のノンフィクションには、連合軍総司令官マッカーサーの側近であったフェラーズ准将と、先程述べた河井道という女性教育者が登場する。岡本氏は、このフェラーズがマッカーサーの意向を受けて、昭和天皇を東京裁判の戦犯としないために奔走したという歴史的事実を描いている。
  ここから、現在の日本においてもなお、「皇室とキリスト教」というのはタブーであることがわかる。ただ、「終戦のエンペラー」が全く描かなかった『陛下をお救いなさいまし』に描かれたクエーカー教徒の交流以上のタブーが、終戦直後の昭和天皇のキリスト教への改宗問題だろう。そこで今回取り上げる、鬼塚英昭の『天皇のロザリオ』(成甲書房)が登場してくる。 中略
吉田茂も一枚かんでいる?
 鬼塚氏は、昭和天皇が1949年、大分県別府市(行幸)に行った際にキリスト教の養護施設で首にロザリオをかけられそうになったということを明らかにしている。マスコミの大勢居る中でロザリオをかけられたとするならば、日本中が大パニックになっていただろう。鬼塚氏はこれはマッカーサーや吉田茂首相らカトリック教徒たちが仕組んだ謀略であると主張する。-もしこれが事実なら吉田茂はとんでもない不忠者となる。右翼はここを明らかにすべきだろう(一柳見解)-。
  ここ(養護施設)はカトリックの経営であるので、陛下を礼拝堂の中へは御案内せず、入口から御覧になるだけという予定にしてあった。それは正面に聖像と十字架が置かれているので、皇室での慣行上宗教的な御動作を避けられるようにとの考慮からであるが、園長のソラリ・カルメラ女史は、その篤信から、陛下を中迄先導してしまい、あわや礼拝をおすすめ申し上げそうなのである。同行していた別府市の脇市長が、宮内省(49年から宮内庁)の鈴木総務課長[行幸主務官]にこの様子を告げると、鈴木課長も驚いて人垣をかき分けて近づき、大きな声で「陛下どうぞこちらへ」と申上げると、陛下はそれを聞かれていとも静かにきびすを返して来られた。
  49年は「ザヴィエル渡来四百年祭」が催されたのである。世界中からこの記念祭にカトリックのトップクラスの司祭たちがやってきた。その一部の司祭たちが小百合愛児園の園児たちやシスターに"演技指導"をしたのである。
 この御堂へと天皇を誘導したのはカルメラ女史、そして天皇の両脇に立っていたのは、大分カトリック教会のマリオ・マレガ師と、別府市カトリック教会のカステリオーネ師であった。この二人は脇市長の知り合いであった。カルメラ女史、そして天皇を見事に誘導し、十字架の五歩前に進まれたとき、讃美歌は「君が代」に代わった。そうしたなかで天皇がキリストの像の前に跪けば、天皇の側にいたどちらかの司祭が、天皇の背後からロザリオを天皇の首にかけていたことであろう。
 世界に天皇の歴史的事実を流すべく、各通信社の記者とカメラマンもこの御堂の中にいた。「天皇がカトリック教徒になられた」というニュースが世界中に流れても、天皇は異議を唱えることはできなかったであろう。この別府事件の後に、東京ではザヴィエル渡来四百年記念の一大ミサが用意されていたのである。
  鬼塚氏はミステリー小説の書き手のように少しずつ種明かしを行ない、ついに改宗謀略の"動かぬ証拠"をアメリカの公文書である「ロイヤル文書」の中に発見した。
 ケネス・ロイヤル陸軍長官は、49年4月トルーマン大統領に一つの覚書を提出した『日本の国家宗教である神道が衰退したことにより、日本国民の間に精神的空白が生じ、われわれに宗教的好機がやってきました。私はこのたび日本を訪問し、マッカーサー元帥と会見し、キリスト教の伝道について聞き強烈な印象を持ちました。元帥は日本にキリスト教的民主主義の原則を普及させるべく、その重要性を深く認識しています』。
 マッカーサーは、キリスト教的な倫理や文化、そして政治的理念にいたるまで、それらを日本社会の全階層に普及させようとしています。陸軍省としては、この事業を推進し支援する事が出来ると信じています。
 トルーマン大統領は、このロイヤル文書に自ら、「OK」のサインをした。ここに、アメリカが国家として、正式に日本をキリスト教国化することが承認されたのである。
以上
 引用終わり
 やはり読書人でないと歴史の真実を知ることはできない。
 『天皇のロザリオ』(成甲書房)を早速読んでみようと思う。
エジプトの混乱はアメリカが原因 独裁者へのダブルスタンダード
  ところで今エジプトが「アラブの春」の混乱以降、更に混迷を深め多数の犠牲者を出している。
 混乱の原因は武力制圧をしているエジプト軍最高評議会である。この軍事評議会はアメリカの支持(資金援助ほか)を得ているが、軍がクーデターで決めた現暫定政府が武力制圧に乗りだし市民に多数の犠牲が出だした中でオバマ大統領が武力制圧を強める暫定政府に対して「市民への武力弾圧は許し難い」と急に批判し始めた。まさにマッチポンプだ。
 2年前エジプトのムバラク政権が瓦解したのは中東イスラム諸国の民衆の蜂起であり、メディアは「アラブの春」として、市民革命をたたえた。欧米とそれに追随する日本のメディアは画策された「アラブの春」を無批判に持ち上げており、暫定政府の発表以外報道しない(犠牲者が多くなり出し少し風向きが変わってきた)。
 しかしこの「アラブの春」は作られた「悲惨な春」であることを忘れてはならい。
 アメリカが資源地帯である中東やアフリカ北部のアラブ諸国に対する介入が混乱の原因である。アメリカはアラブ諸国の国々に対し思い通りに行かない国の政府への転覆を狙ったり、また錯乱工作を展開することを堤未果の『政府は必ず嘘をつく』(角川新書)を昨年4月に読み、「アラブの春」の本質を知った。堤未果の本だけではなくアメリカの裏の存在を明らかにす学者、フリージャーナリストはいないではないがまず取り上げられないのである。
 2年前の春アメリカはムバラクを独裁者と批判し、反政府勢力を支援してデモをさせムバラクは軍に政権を委譲した。アメリカの「独裁者」の定義は実に身勝手である。言うことを聞けば良き「独裁者」であるから批判しない。実は独裁の方が支配しやすいから従順な独裁者なら歓迎なのだ。いざ意に沿わなくなるとまずメディアを使い「独裁」と批判報道を繰り返し、さらには反政府組織に武器や裏資金を与え政権転覆を企図する国なのである。このやり方はアフリカと南米の歴史をみればよく分かる。
 アラブの春はチュニジアのジャスミン革命から始まるが、中東およびアフリカ北部のイスラム諸国に対する民衆蜂起を連続して起こさせ、それを「アラブの春」と報じさせた。今エジプト民衆を弾圧している軍の暫定政権もアメリカの後ろ盾がある。
 2年前アラブの春の一環でリビアも内戦状態となりアメリカとも協調していたリビアのカダフィ氏をアメリカは殺した。属国日本ではイスラム主義や、カダフィの悪口しか報じらないが、堤未果の新書版では、リビア国民の多くはカダフィを支持していると書いてある。
さてそのカダフィがリビアで実現した事は。
1969年軍事クーデターの指揮者(当時27歳)としてサヌーシ王朝を打倒。
 実際カダフィが王制を打倒し極貧の国民に対し、豊富なオイルマネーを元に行ったのは以下の政策である。
1、家を持つ事が国民の権利。
2、新婚夫婦はマイホームを買うために5万ドルを政府から支給される。
3、電気代無料。
4、医療も教育も無料で質が高い。
5、ローンの金利は0%と決まっている。
6、自動車を買うときは政府が半分支払ってくれる。
7、ガソリンは一リットル=10円。
8、農業を志望する国民に土地、家、器具、家畜、種子を支給した。
 だから40年間もカダフィの時代が続いたのである。カダフィの功績を報じる欧米と日本メディアはないことに留意すべきだ。
リビア国民の米への報復を報じないメディア
 『政府は必ず嘘をつく』で現地フリージャーナリストの声を紹介しているが、あるカナダ人記者は「英仏の記者からアラブ寄りの記事は書くなと脅され、事実記事は検閲され一切西側では報じられない」としている。もっと凄いのはカダフィ支持で集会を開いた民衆を反カダフィの集会と180度違えて放映したという証言もある。
 2年前当時の国務相ヒラリークリントンはカダフィ殺害を指示したが、これでリビア国民の怒りを買い、その約1年後註リビア米大使ら4人が襲撃を受け米大使館内で殺害されたことを覚えている人は少ないだろう。
 当時欧米通信社の配信を日本メディアは以下のように報じている。
駐リビア米国大使ら殺害、中東全域に緊張高まる
 2012年 9月 13日 9:15 JST 
 リビア東部のベンガジにある米領事館が11日、「暴徒化」した群衆の襲撃を受け、クリストファー・スティーブンス駐リビア米国大使と3人の米国人外交官が死亡した。リビアの治安上の危機で、中東地域全体で緊張が高まっている。引用終わり。
 君主を殺されての民族蜂起(ゲリラ活動)も反米なら「暴徒化」と表現する報道には恐れ入るが、実はこの殺害時の映像がインターネットで流れ、その場面をみたアメリカ国務省ら政府高官は震え上がったという。ここまでリビア国民の恨みを買った原因はヒラリーにあるとして、オバマ政権は国務長官をケリーに変えたと言われ、ヒラリーはそのさなか脳血管症で倒れたこともあり第2期オバマ政権には閣僚としては残れなかった(今はまた元気ばあさんに戻ったようだが)。
 イラク攻撃は核疑惑への言いがかり攻撃によった。フセイン処刑も、目的は実は石油利権だったとする指摘も多いが、イラクの現状を正確に伝えるメディアも存在しない。
 メディアの情報やテレビに物知り顔で出てくるコメンテーターの話は絶対に鵜呑みにしてはならない。
 しかし終戦のエンペラーのようにこの映画は何を目的にしているのかとの疑問を持つことで新たに知る真実もある。
 何が問題かを見抜く感性が生き抜く知恵である。歴史の勉強はそのためにある。
 
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by ichiyanagi25 | 2013-08-18 22:48

映画に見る平和へのメッセージ

映画に見る平和へのメッセージ
 8,15(敗戦記念日-本当は9月2日だが)を迎えるとテレビでも映画でも「大東亜戦争」(太平洋戦争)を反省的に取り上げることが多くなる。シニカルに言えば「8月ジャーナリズム」だ。
 映画に関しては新文芸座にしても神保町シアターにしても今年は戦争映画特集をやらない。ただし神保町シアターでは特撮という特集で戦争映画を何本か取り上げていた。
1961年に作成された核戦争の悲劇を訴えた東宝映画『世界大戦争』をみた。多分に核戦争で人類が滅亡する名作『渚にて』に影響された感じだ。西側を同盟国と言い東側を連邦国と称し当時の東西対立と核ミサイル展開競争を批判する形で、メンツの張り合いから大国のミサイル打ち合いで世界の大都市がほとんど破壊され、東京に住む小市民運転手一家が焼き殺されるとストーリーである。最後には東宝のメッセージ「核戦争は絶対に起こしてはならない」がエンドタイトルの前に出る。
 戦後16年ようやく平和的暮らしが定着し、戦後の欠乏生活抜け出す時期、大国のエゴで殺されてはならないとメッセージを出しているのである。今と比べものならないまじめさである。戦後16年と68年たった感覚の違いを歴然と感じた。 
 銀座シネパドスは今年閉館になったので、もう8.15特集もあり得ない。
 昨年暮れに銀座シネパドスでみた日系(帰米)米兵の聞き取りをしたドキュメンタリー映画『二つの祖国-日系米兵陸軍情報部』と『442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍』は見応えがあった。ナショナリズムではない愛国心を考えるにはよい映画だ。戦後60年たった時点での20代の戦争の記憶を、時に殺したドイツ兵に同情し、そして戦勝した老兵士が涙ながらに語る証言は聞いておく必要がある。テレビで放映する価値は十分あるが今のテレビはやらないだろうな。来年あたり上映会を企画してもよいと思っている。 
『終戦のエンペラー』のいかがわしさ
 さて今、劇場公開されているは東京裁判を前に天皇の戦争関与についてマッカーサー命令で実在のフェラーズ准将が調べるという趣旨である。先週どのように描いたのかと興味を持って見に行った。しかしあまりに史実離れしたフィクションが多いので、何を目的に作った映画かといぶかりみていたが、途中から苛立ってきたので、精神衛生を保つために映画館を出た。
 特に噴飯な描き方は、主人公の准将が敗戦直後の闇市の屋台に一人で出かけたり、またそこで日本人から喧嘩を売られ殴られたりしているのだ。あり得ないぞ、こんなこと。占領軍の、まして将官がカストリやバクダンのような健康を害する安酒しか売られていない焼け跡に飲みに行くわけないし(衛生状態からも禁忌)、まして占領下の東京で日本人に殴られるなどあり得るはずがない。ほとんど逆なケースだ。何せ向こうは占領軍だ。50年前にこんな映画を上映したら失笑の渦だったろう。
 日米の軍政の違いだが日本軍は開戦後「自存自営」のため東南アジアの資源地域やフィリピン(英米仏欄の植民地)を占領した。旧支配者を追い出したのだからアジア解放軍となるはずが、それ以前から中国と朝鮮(植民地)を支配下に置こうとしてチャンコロ、鮮人とアジア民族を侮蔑にする癖がついていた日本軍は、将兵用に十分な食料を用意せず、戦国時代のように食料は占領地から奪うが常態化しており、多くの占領地に飢餓状態をもたらした。
 だから庶民に向けても掠奪暴行が当たり前の占領軍政なのである。なのでアジア解放の戦争だったなんて言ったって他のアジア国はまるで評価しないのである。結果論的には大戦後の独立につながったが、これはそれぞれ民族の独立運動の成果である。
 マッカーサーは占領軍が住民に対し掠奪暴行を加えると反感を買い、ゲリラ活動を起こされる日本軍の占領政策を分析し、外出する米兵にも携行食糧を渡し絶対に徴発や掠奪を禁じた(衛生面からもそうした)。だからこれがKレーション(第2次隊戦時の携行戦闘食)のデザートについていたガムやチョコをひもじい日本人の子供たちがもらい「ギブミーチョコレート」となったわけだ。
 占領軍の将官を殴ってただですむ時代ではない(この映画の設定は絶対にあり得ない。敗戦による占領の意味がこの監督や脚本家には分かっていないか、何らかの意図しか読み取れない。
 またこの映画では8月14日夜から15日朝にかけての阿南陸将以下市ヶ谷の佐官級将校の講和反対のクーデターを描くのに、クーデター側反乱軍(偽命令書を作ったのは史実)と皇居を守る近衛部隊との皇軍相撃つのシーンがあり、あまりに史実をねじ曲げていることに呆れはてた。皇軍相撃つ(陸軍同士の銃撃戦)は全くない2,26の時でさえない。東部軍司令田中大将によりクーデターは押さえられた(田中司令官は降伏御自決)くれぐれもこの論評に値しない映画に騙されないようにしてほしい。
 今更昭和天皇の戦争責任など問題にするより、むしろアメリカ側の意図を描く映画の方が必要だ。今オリバーストーン監督が来日中だが、原爆投下について「アメリカ国民は神話を教え込まれている」とコメントしている。トルーマンが息も絶え絶えで天皇制存続の講和条件さえ提示すれば日本は講話に飛びついてくるのを知りながら、原爆を投下したのか、そういうアメリカの都合を描く中でアメリカの対日戦争目的は何だったのかを描く映画こそ必要だ。しかしそんなことは現下の支配体制ではまず無理だ。
日本への原爆投下は英米政府の合意事項だった
 ところで琉球新報が原爆記念日前日の5日に、アメリカの原爆投下は米(大統領)単独の判断ではなく、英国との合意事項であったことが機密解除の文書公開でわかったことを5日、一面トップで報じている。
 非常に興味深い記事なのだが、他の全国紙はたぶん報道していないだろう(東京新聞も報道していない)。そもそもマンハッタン計画(原爆の機密製造)に於いて英チャーチル首相と米ルーズベルト大統領は43年カナダのケベック(対日独勝利への確信が明確になった段階)会談で、英米間の合意なくして第3国への原爆使用は行わないとしていることだ。
 そして日本に対し原爆を使用すると合意したのは翌44年であると書かれている(ドイツには使用しないとこの時点で決めている)。
 ニューメキシコにおける原爆実験成功の12日前の45年7月4日(米独立記念日)、両国陸軍首脳が米で会合し「英政府は日本に対し原爆使用を同意する」とある。こうなると一部に流布されていたトルーマンが主体的に原爆投下に導いたとするのは誤りで、英米政府が合意しなければ原爆は使用しないということだ。
 45年7月中旬からのポツダム会議は対独戦争勝利後、米英ソ(連合国)が今後の対日戦争の終結と戦後処理をどうするかを話し合った最後の会議だが、どうりでポツダム宣言は天皇制維持(日本からすれば国体護持)について明確な表現はない。また8月10日のポツダム宣言受諾の御聖断後、日本政府からの降伏条件の照会に対する回答でも天皇制維持は意図的に避けられている。 
 米英政府はなんとしても巨額開発をした核爆弾を日本に落としたかったとしか、言いようがない。そしてアメリカは非人道の核兵器を無差別に使用することの言い訳けとして、自国民に対して本土決戦となれば、更にアメリカの若者が数十万人犠牲になるとか全くの嘘をついて、現在も原爆投下の正当性をすり込んでいる。だから多くの(支配される)米国民は原爆投下は仕方なく、真珠湾のだまし討ちをした日本への当然の報復ととらえている。このことはオリバー・ストーン監督も指摘している。
兵糧攻めで餓死寸前だった日本 
 45年8月時の日本の状況はアメリカによる兵糧攻めで(米海軍による輸送船の徹底攻撃と国内主要航路機雷封鎖)主食はもちろん食塩さえ事欠いた状況で、秋からは餓死者も出ることが閣議で農相から報告されている。これは戦後アメリカ戦略爆撃調査団がもう日本は倒れる寸前でこれ以上爆撃も、まして原爆使用も必要はなかった(本土決戦も必要ない)としている。これ21年前のNHKのスペシャル番組で放映されている。
 ポツダム宣言を受諾するかどうか広島原爆投下後に最高戦争指導会議(首相、陸海相、参謀総長、軍令部総長で構成)を開催するが、阿南陸相は本土決戦をして、その後有利な条件で講話と主張し、会議はまとまらず鈴木貫太郎首相は天皇に決断を求め(御前における戦争指導会議-御前会議)、8月10日深夜ポツダム宣言受諾の「御政断」がくだる。
 原爆投下は広島、長崎の次はなかったが、ポツダム宣言受諾が更に遅れれば第3第4(小倉あるいは新潟)への原爆が投下されたのは、この英米政府機関の組織的合意事項からみて間違いなかったろう。横須賀も確か原爆投下リストに乗っているが20番目くらいだったか。
 そこで戦後の政治家が第2次大戦をどう評価するか歴史から学んでいるかが問われる。
 麻生元総理の改憲論についてナチス・ヒトラーの引用が戦勝国から批判されているが、現状の改憲派はイコール靖国派が多い。麻生の歴史観は漢字が読めないごとく、めちゃくちゃだが、同時に国のために命を投げ出した人(英霊と美化する)に哀悼の意を示すのは当然と靖国参拝を正当化する。麻生には軍部の対面の元に国民が犠牲にされたことと、拙劣な戦争指導と戦術展開で多くの将兵と非戦闘員が犠牲になったとの認識が欠け過ぎてる。むしろ今の安倍政権は、なぜ72年前アメリカ相手に戦争をしたのか、そしてを海軍の対潜水艦作戦無策のために10万(8個師団分)もの陸軍将兵を海に沈め、太平洋に展開した島々では降伏を許さず、餓死と玉砕を強要した陸海軍部。そしてサイパン、沖縄、満州と自国民非戦闘員を全く守らなかった戦争の有り様を批判しない。
 この精神構造が漢字が読めないことより相容れないし、アメリカに頭が上がらないくせに虚勢だけ張る張り子の虎が透けて見えるから、今の自民党など全く信用できないのである。安部を批判する自民議員(派閥)が出ないのは全く自民党らしくない。以前の自民党とは全く変質し、小選挙区制で共産党のように民主集中になってしまったのか。
近頃おもしろかった喜劇映画
  さて話は変わって黄金町のユニークな映画館、ジャック&ベティでウッディ・アレンの『ローマでアモーレ』をみた。
 これがエスプリが効いていて実におもしろい。アモーレだから、いくつかの恋の物語が同時進行するが大人の会話で皮肉、他国文化への批判とか、近頃のテレビでは絶対に見られない質の高いお笑いの連続なのである。まだ上映中だからお薦めしておく。
 また8/17からは1週間限定公開の『ムネオイズム』が上映される。
 国策捜査で冤罪逮捕されついに上告棄却で刑務所に収監された鈴木宗男氏の09年時政権交代時の13日間の選挙戦を描いた映画とある。宗男氏は権力の嫌がらせで未だに公民権停止中だから衆参選挙には出馬できなかったが3年後は公民権停止が解けるからリベンジ必至だ。
 官僚主導の国家権力が政権が変わろうと政治家をつぶす構造と、それに負けじとする戦いの真実を知った方がよい。映画のできばえはみていないから分からないがとにかく、権力に対抗する映画が作られることは表現の自由の保障からも大事だ。
 詳しくはジャック&ベティのホームページをご覧あれ。
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by ichiyanagi25 | 2013-08-09 09:02