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横須賀海軍航空隊跡と航空技術廠跡の見学会

軍港開港150年プレ事業
横須賀海軍航空隊跡と海軍航空技術廠跡の見学会
   
 横須賀製鉄所開設150年を前に様々な企画が行政等も含んで行われるようになってきました。
 さて、軍港150年の後半70年は敗戦によりアメリカ海軍により使用され、今でもドック機能を中心として艦船修理が行われており、軍港といえば本港区域であり海軍ベースであることがわかります。
 しかし横須賀には明治45年には追浜で輸入水上機の初飛行が行われ、横須賀が海軍航空部隊の発祥の地となります。5年後の大正5年には追浜地先の入り江が埋め立てられ滑走路が作られ海軍トップの横須賀航空隊が開設され、また昭和7年には浦郷町地先を埋め立て海軍航空機の試作研究をする研究機関、海軍航空技術廠が作られ、第2次大戦に向かい数々の航空機を送り出します。
 これまで軍港開港150年が語られる時、第2次大戦を制した航空機についてはほとんど語られてきませんでした。
 横須賀が海軍航空部隊のトップでありまた試作研究の研究機関が統合され浦郷地区に置かれた意義をこの際、改めて学びたいと私たちは思いました。
 そこで以下の通り横須賀航空隊と航空技術廠はどのようなものだったか勉強と実地見学の会を催します。
 なお本企画はプレ事業であり、同時に初めての企画の為呼びかけは本会会員及び行政関係、市議会議員、及びガイドなど150年に関係する方を中心に行っております。
 しかし乗船数に余裕生じていますので、海軍航空機と横須賀の関係に興味のある方、20名ほど一般参加が出来ます。ご希望の方は下記に申し込み下さい(問い合わせ先には申し込みしないで下さい)。申し込み多数になった場合はお断りする場合があります。
         記
  日時:9月7日(日)午後1時 
  場所: 汐入産業交流プラザ第2研修室
  参加費 2千円(当日会場でお支払い下さい)
  行程:まず座学として横空、航空技術廠の役割とどのような飛行機を開発したか。
   講師として本会の山本(会長)一柳(顧問)
2:30より軍港観光船乗り場よりチャーター船に乗りジャムステックに上陸して横空跡地。その後深浦の航空技術廠桟橋(今も残っている)より航空技術廠跡地見学。その他普段見られないところも見学予定。
 申し込み FAX842-0571(金文堂内)   
問い合わせ先 090-2558-5331(山本)
横須賀に軍港資料館を作る市民の会 会長 山本詔一
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by ichiyanagi25 | 2014-08-27 21:06

今年8月の反戦・反権力映画上映

今年8月の反戦・反権力映画上映
 毎年8月になるとテレビはドキュメントや証言録、或いは戦争映画を放映し終戦記念日特集となる。
 今年、池袋の新文芸座では『映画を通して日本の歴史を振り返り、戦争の悲惨や軍隊の真実を考えたい』のコンセプトの元に8月10日から19日まで20本が上映された。
 今回はこれまで見たことがない『松川事件』と日活映画の『日本列島』を見た。
 『日本列島』は熊井啓監督の劇映画であり、GHQ時代のG2関係をヒントに占領下を解かれた60年代前半の日本が未だ占領状態であるとの映画であり、安保改訂直後の日本各地にまだ多くの米軍基地が残っていたことを思い出させてくれる映画だ。
 こう言う映画を見ると講和条約以降、日本は全くアメリカの属国状態に置かれており現在、基地の数は減ったが、重要基地は日本に貢がせて維持していることから、占領下から講和条約を経ても属国状態に変化なしで、63年が過ぎたことが映画から読み取れる。
 それを更に安倍政権は自衛隊まで差し出さないとアメリカ様は日本を守ってくれないと騒ぎ立て(安保条約違反だ)、集団自衛権行使を閣議決定し、海兵隊の為に辺野古の海を潰しを強行している。この人は戦後レジームの実態を本当に知っているのか?。
 出身大学の偏差値以下の単なるおバカで、操られているのか、或いは刷り込まれた思い込みで、総理として情報分析をせずに「ネトウヨ」感覚やっているかの二つに一つだろう。顔つき、言葉からして全く評価に値しない。
60年代の各界の抵抗運動の凄さ
 『松川事件』は朝鮮戦争前にGHQがまさに逆コース(占領政策の180度転換)を取り始め、左翼勢力をレッドパージを始め押しつぶしにかかる為に国鉄労組や東芝労組を狙いうちした「謀略事件」である事は間違いないだろう。松川事件は復員してきた元国鉄職員の為に戦時中採用した職員が余りだして国鉄職員の大量解雇問題に関連していることも間違いない。このほかには下山国鉄総裁怪死事件や電車が突然暴走し、三鷹駅に突っ込んで死者を出した三鷹事件などがあるがいずれも、お宮入りで60年代半ばに時効を迎えた。
 事実、講和条約後には占領軍もGHQも廃止されたので、この様な血なまぐさい事件は起きていない。これはなぜなのか?。 戦後の謀略事件の顛末はネットで参照を(松本清張の『日本の黒い霧』が有名)。
 この映画は、米軍或いは諜報機関が関与した疑惑濃厚な事件であるのを、権力末端機構である福島県警と地検が、「赤化運動激化」を止めるべくと先ずチンピラをやっていた未成年をありもしない、傷害と強姦容疑の別件でっち上げ逮捕して、後は過酷な取り調べで「自白」させその自白(警察のストーリー通り)に基づいて国労と東芝労組の地方役員を芋づる式に逮捕、起訴した、空前の冤罪事件であった。
 この事件では冤罪死刑を許すなの運動に持って行かれ、真犯人については警察、検察は真剣な捜査を行わず、真相をうやむやにした戦後の怪事件の一つとして残る。
 一審判決は今もさして変わらないように、裁判で無罪を主張する被告達に裁判官は自白調書の署名捺印をたてに検察側の言い分を全面的に認め、被告20人全員に有罪判決、そしてうち5人を死刑判決に処した、後は終身刑から15年以下の有期刑が下された。
 地裁審理のひどさから社会共産両党やメディア、労働組合、映画演劇文化人などが協力し広範な謀略冤罪事件糾弾運動へと全国展開する。
 支援者の顔ぶれを見て驚くが宇野浩二、吉川英治、川端康成、志賀直哉、武者小路実篤、松本清張、佐多稲子、壷井栄ら作家・知識人の支援運動が起こり、無実の国民を死刑にすることは許せないと、今では信じられないほどに、左右の思想や支持政党を超えた広範な全国的運動に広がった。
 そして映画演劇人が無罪判決を勝ち取る為に総評などをバックにして、この映画を作り、映画館だけでなく全国の組合、学校などで上映運動を組織して、後の最高裁の差し戻し審につながった象徴的な映画である。
 昔は良かった風になってしまうが、今と比べて権力の犯罪を許すなと言う広範な運動が起きる活力があった。更にこの映画の制作や出演陣が以下のように凄い。
映画、演劇界の社会的役割を果たす
 監督には山本薩夫、製作に伊藤武郎、絲屋寿雄、脚本に新藤兼人などそうそうたるスタッフが揃い、キャスティングでは、新劇、劇団舞芸座、劇団新人会、劇団汐、劇団青俳、劇団三期会、劇団東芸、劇団新演、劇団現代座(北沢彪らが創立)、俳優座養成所などから20人の被告役が選ばれ、更にベテラン俳優勢としては
岡林弁護人:宇野重吉
大塚弁護人:宇津井健
梨木弁護人:下元勉
上村弁護人:千田是也
吉田刑事部長:西村晃
司検事:多々良純
藤木裁判長:加藤嘉
玉田警視:永井智雄
守屋署長:殿山泰司
幸田牧師:織田政雄
園子の母タニ:岸輝子
武田の母シモ:北林谷栄
太田の妻抗子:岸旗江
斎藤の母すみ:沢村貞子
寺尾裁判長:鶴丸睦彦
原刑事:稲葉義男 ら映画全盛の時代に時間を都合して総勢約100名の著名俳優が出演した(リストはウィキペディアより)。
 普段善人役の多い永井智雄や織田政雄、加藤嘉などに悪人警察や無慈悲な裁判官役をやらせているのも興味深い
 自由法曹団の弁護士役、宇野重吉は出演料の全額を松川事件対策協議会にカンパしたとある。
 この映画は2審判決が一審判決を手直ししただけの判決(無罪が3人、死刑は2人減って3人となり、後の14名は有期刑が出た)に対して、映画演劇人の司法や国家権力への総反撃運動の映画とも言える。今はここまで行く熱気と組織力は完全に分断されてしまっている。何しろ当時はGHQ民政局の支援を受けて作られた総評系労組と社会党ががあり、社会党は衆院ではだいたい4分の1以上の議席を得ていた。
 広範な国民運動の成果により1959年(昭和34年)8月10日、最高裁は二審判決を破棄し、仙台高裁に差し戻した。
 差し戻し審では検察が隠していた「諏訪メモ」(労使交渉の出席者で被告達のアリバイを証明する証拠)の存在と、検察が犯行に使われたと主張した「自在スパナ」(松川駅の線路班倉庫に1丁あった-当初からこれではボルトは緩まないと弁護団は主張)ではレールのボルトを緩められないことが判明した。
 1961年(昭和36年)8月8日、差し戻し審で被告全員に無罪判決がでる。これに対して検察が今と同じで嫌がらせの抗告をした為、無罪が確定せず、更に審理の結果、2年後の1963年(昭和38年)9月12日、最高裁は検察側による再上告を棄却、被告全員の無罪が確定した。
松川事件と私
 1961年(昭和36年)8月当時私は小学校6年生であり、ちょうど夏休み中だったから無罪判決をテレビで見たのを覚えている。多分高裁前で実況中継が行われていたと思うが昼食時に家に戻りニュースを見たのかも知れない。周りの大人も良かったとしてみていたような感じで誰も文句は言っていなかった。53年前は冷房など無い時代だから、何処の家でも、みな開け放ってテレビを見ていた(雨戸を開けて蚊帳を吊って寝ていた時代だが当時テレビ普及率は深浦でも6割を超えていたろう)。
 この最高裁決定がでた時に「まだ最高裁がある」がキャッチフレーズになったが、今は最高裁判所が司法の番人ではなく一番悪いことが判明している。
 またこの冤罪事件で一番先に捕らわれたA被告(当時19才)はその後、神奈川県(横須賀から遠くない所)に移り、ご存命なら80代半ばと思われる。
 その後のエピソードを一つ。
 45年ほど前、母親の妹が遊びに来ていて雑談中に、妹の子供(甥)の話から、「あんたの子供の友達の名はA君と言ってるけど名前が珍しくて、親の年格好からして、その子は松川事件でのA被告の子じゃないの、聞いてみれば」と言って、その後「その通りだったそうだよ」と話してくれた。そして一言、母は「福島には居られなかったんだねえ」と言っていた。国家の犯罪は人の人生をその後も狂わす。
日本の独立は本当なのか
 ところで昨日、苫米地英人さんの『日本人の99%が知らない戦後洗脳史』(ヒカルランド)を読み終わった。この本の最終章にサンフランシスコ講和条約のことが書いてある。
 さてサンフランシスコ講和条約の正文は英語、仏語、スペイン語しか無く、独立を回復したはずの当事者である日本語版は準正文書扱いであり日本語版はないのである。そして英文(正文)には何処にも日本の独立を現すインデペンデントの文字がないとある。
 サ条約は読めば読むほど安保条約とセットであることは知っていたが、これは重要な指摘である。もしかするとあの講和条約では日本の本当の主権回復は無かったのかも知れないからだ。大変な問題だ。だとすれば属国関係は全てここから始まると言うことだ。
 これは26日の論議の中でも紹介して、辻さんなどの意見を聞こうと思う。
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by ichiyanagi25 | 2014-08-23 23:15

今年8月の反戦・反権力映画上映

今年8月の反戦・反権力映画上映
 毎年8月になるとテレビはドキュメントや証言録、或いは戦争を映画を放映し終戦記念日特集となる。
  今年、池袋の新文芸座では『映画を通して日本の歴史を振り返り、戦争の悲惨や軍隊の真実を考えたい』のコンセプトの元に8月10日から19日まで20本が上映された。
今年はこれまで見たことがない『松川事件』と日活映画の『日本列島』を見た。
 『日本列島』は熊井啓監督の劇映画であり、GHQ時代のG2関係をヒントに占領下を解かれた60年代前半の日本が未だ占領状態であるとの映画であり、安保改訂直後の日本各地にまだ多くの米軍基地が残っていたことを思い出させてくれる映画だ。
 こう言う映画を見ると講和条約以降、日本は全くアメリカの属国状態に置かれており現在、基地の数は減ったが、重要基地は日本に貢がせて維持していることから、占領下から講和条約を経ても属国状態に変化なしで、63年を迎えたと言うことが映画から読み取れる。
 それを更に安倍政権は自衛隊まで差し出さないとアメリカ様は日本を守ってくれないと騒ぎ立て(安保条約違反だ)、集団自衛権行使を閣議決定し、海兵隊の為に辺野古の海を潰しを強行している。この人は戦後レジームの実態を本当に知っているのか?。
 出身大学の偏差値以下の単なるおバカで、操られているのか、或いは刷り込まれた思い込みで、総理として情報分析をせずに「ネトウヨ」感覚やっているかの二つに一つだろう。顔つき、言葉からして全く評価に値しない。
60年代の各界の抵抗運動の凄さ
 『松川事件』は朝鮮戦争前にGHQがまさに逆コース(占領政策の180度転換)を取り始め、左翼勢力をレッドパージを始め押しつぶしにかかる為に国鉄労組や東芝労組を狙いうちした「謀略事件」である事は間違いないだろう。松川事件は復員してきた元国鉄職員の為に戦時中採用した職員が余りだして国鉄職員の大量解雇問題に関連し本事件が起きている(いずれもお宮入りで真犯人は不明)。
 事実、占領下ではなくなった講和条約後にはこの様な血なまぐさい事件は起きていない。これはなぜなのか?。 戦後の謀略事件の顛末はネットで参照を(松本清張の『日本の黒い霧』が有名)。
 この映画は、米軍或いは諜報機関が関与した疑惑濃厚な事件であるのを、権力末端機構である福島県警と地検が、「赤化運動激化」を止めるべくと先ずチンピラをやっていた未成年をありもしない、傷害と強姦容疑の別件でっち上げ逮捕して、後は過酷な取り調べで「自白」させその自白(警察のストーリー通り)に基づいて国労と東芝労組の地方役員が芋づる式に逮捕、起訴した、空前の冤罪事件であった。
 この事件では冤罪死刑を許すなの運動に持って行かれ、真犯人については警察、検察は真剣な捜査を行わず、真相をうやむやにした戦後の怪事件の一つとして残る。
 一審判決は今もさして変わらないように、裁判で無罪を主張する被告達に裁判官は自白調書の署名捺印をたてに検察側の言い分を全面的に認め、被告20人全員に有罪判決、そしてうち5人を死刑判決に処した、後は15年以下の有期刑が下された。
 地裁審理のひどさから社会共産両党やメディア、労働組合、映画演劇文化人などが協力し広範な謀略冤罪事件糾弾運動へと全国展開する。
 支援者の顔ぶれを見て驚くが宇野浩二、吉川英治、川端康成、志賀直哉、武者小路実篤、松本清張、佐多稲子、壷井栄ら作家・知識人の支援運動が起こり、左右を超えて無実の者を死刑にすることは許せないと、の今では信じられないほどの広範な全国的運動に広がった。
 そして映画演劇人が無罪判決を勝ち取る為に総評などをバックにして、この映画を作り、映画館だけでなく全国の組合、学校などで上映運動を組織して、後の最高裁の差し戻し審につながった象徴的な映画である。
 昔は良かった風になってしまうが、今と比べて権力の犯罪を許すなと言う広範な運動が起きる活力があった。更にこの映画の制作や出演陣が以下のように凄い。
映画、演劇界の社会的役割を果たす
 監督には山本薩夫、製作に伊藤武郎、絲屋寿雄、脚本に新藤兼人などそうそうたるスタッフが揃い、キャスティングでは、新劇、劇団舞芸座(舞台芸術学院卒業生の劇団)、劇団新人会、劇団汐、劇団青俳、劇団三期会(現・東京演劇アンサンブル)、劇団東芸、劇団新演、劇団現代座(北沢彪らが創立)、俳優座養成所などから20人の被告役が選ばれ、更にベテラン俳優勢としては
岡林弁護士:宇野重吉
大塚弁護人:宇津井健
梨木弁護人:下元勉
上村弁護人:千田是也
吉田刑事部長:西村晃
司検事:多々良純
藤木裁判長:加藤嘉
玉田警視:永井智雄
守屋署長:殿山泰司
幸田牧師:織田政雄
園子の母タニ:岸輝子
武田の母シモ:北林谷栄
太田の妻抗子:岸旗江
斎藤の母すみ:沢村貞子
寺尾裁判長:鶴丸睦彦
原刑事:稲葉義男 ら映画全盛の時代に時間を都合して総勢約100名の著名俳優が出演した。普段善人役の多い永井智雄や織田政雄に加藤嘉などに悪人役をやらせているのも興味深い
 自由法曹団の弁護士役、宇野重吉は出演料の全額を松川事件対策協議会にカンパしたとある。
この映画は2審判決が一審判決を手直ししただけの判決(無罪が3人、死刑は2人減って3人となり、後の14名は有期刑が出た)に対して、映画演劇人の司法や国家権力への総反撃運動の映画とも言える。今はここまで行く熱気と組織力は完全に分断されてしまっている。何しろ当時はGHQ民生局の支援を受けて作られた総評系労組と社会党ががあり、衆院ではだいたい4分の1の議席を得ていた。
広範な国民どうの成果により1959年(昭和34年)8月10日、最高裁は二審判決を破棄し、仙台高裁に差し戻した。
 差し戻し審では検察側の隠していた「諏訪メモ」(労使交渉の出席者で被告達のアリバイを証明する証拠)の存在と、検察が犯行に使われたと主張した「自在スパナ」(松川駅の線路班倉庫に1丁あった-当初からこれではボルトは緩まないと弁護団は主張)ではレールのボルトを緩められないことが判明した。
 1961年(昭和36年)8月8日、差し戻し審で被告全員に無罪判決がでる。これに対して検察が今と同じで嫌がらせの抗告をした為、無罪が確定せず、更に審理の結果、2年後の1963年(昭和38年)9月12日、最高裁は検察側による再上告を棄却、被告全員の無罪が確定した。
松川事件と私
 1961年(昭和36年)8月当時私は小学校6年生であり、ちょうど夏休み中だったから無罪判決をテレビで見たのを覚えている。多分高裁前で実況中継が行われていたと思うが昼食時に家に戻りニュースを見たのかも知れない。周りの大人も良かったとしてみていたような感じで誰も文句は言っていなかった。53年前は冷房など無い時代だから、何処の家でも、みな開け放ってテレビを見ていた(雨戸を開けて蚊帳を吊って寝ていた時代だが当時テレビ普及率は深浦でも6割を超えていたろう)。
 この最高裁決定がでた時に「まだ最高裁がある」がキャッチフレーズになったが、今は最高裁判所が司法の番人ではなく一番悪いことが判明している。
またこの冤罪事件で一番先に捕らわれたA被告(当時19才)はその後、神奈川県(横須賀から遠くない所)に移り、ご存命なら80代半ばと思われる。その後のエピソードを一つ。
 45年ほど前、母親の妹が遊びに来ていて雑談中に、妹の子供(甥)の話から、「あんたの子供の友達の名はA君と言ってるけど名前が珍しくて、親の年格好からして、その子は松川事件でのA被告の子じゃないの、聞いてみれば」と言って、その後「その通りだったそうだよ」と話してくれた。そして一言、母は「福島には居られなかったんだねえ」と言っていた。国家の犯罪は人の人生をその後も狂わす。
日本の独立は本当なのか
 ところで昨日、苫米地さんの『日本人の99%が知らない戦後洗脳史』(ヒカルランド)を読み終わった。この本の最終章にサンフランシスコ講和条約のことが書いてある。
 さてサンフランシスコ講和条約の正文は英語、仏語、スペイン語しか無く、独立を回復したはずの当事者である日本語版は準正文書扱いであり日本語版はないのである。そして英文(正文)には何処にも日本の独立を現すインデペンデントの文字がないとある。
 サ条約は読めば読むほど安保条約とセットであることは知っていたが、これは重要な指摘である。もしかするとあの講和条約では日本の本当の主権回復は無かったのかも知れないからだ。大変な問題だ。だとすれば属国関係は全てここから始まると言うことだ。
これは26日の論議の中でも紹介して、辻さんなどの意見を聞こうと思う。
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by ichiyanagi25 | 2014-08-23 23:14

なぜ国民が望む保守リベラル野党が出来ないのか

なぜ国民が望む保守リベラル野党が出来ないのか
 先月末、副島隆彦国家戦略研究所研究員 中田氏の民主党における知米(従属)派議員の動向についてと題するレポートが有料ブログに掲載された。
 大手メディアでは絶対しない(出来ない)分析なので、それを引用しつつ、なぜ国民の望む形での野党再編が出来ないかを考えたい。
 以下引用(括弧内は一柳)
 米政府元高官マイケル・グリーン氏を軸に安保政策の見直しが行われる
 7月1日、自公政権によって閣議決定された「集団的自衛権の行使容認」は、かねてから米国の超党派知日派(ジャパンハンドラーズ)による「アーミテージ=ナイ報告書」によって求められた内容であり、この要求の歴史は10年来に渡る。
 この要求に日米両国の安全保障関係者が共鳴してきたが、(管内閣からの)日中関係の悪化、米国覇権の衰退とともに米国側には喫緊の課題になった。集団的自衛権行使容認を実現するためには、日本国内のリベラル層の発言力を弱め、分裂に追い込む一方で米国の共和党・民主党のような形の二大政党制に日本の政界を再編する思惑でここ15年活動しているのが、アーミテージと共にブッシュ政権第1期で政府高官(NSCアジア上級部長)を務め、日本の与野党の議員と交友関係を築いた、マイケル・グリーン(CSIS戦略国際問題研究所日本部長)という人物である。
 グリーンは、日本に留学生としてやって来て日本の高校で英語教師をしていたが、中曽根康弘の盟友であった知米派議員の椎名素夫の秘書をやりながら(80年代)日本政治に対する理解を深めていった人物である。
 グリーンは、今回の集団的自衛権の閣議決定直前の6月上旬にも公明党の山口那津男代表を訪問し、必要性を訴えていた。
 
 普天間問題(基地県外移設)に絡んで拙速に解決に走った鳩山政権が崩壊(させられた)した背景には、この知米派と外務官僚の間の黙契がある。その根拠として、グリーンや、アーミテージ報告の共同執筆者であった、ジョゼフ・ナイ(ハーヴァード大学教授)が、08年12月に鳩山由紀夫、前原誠司、岡田克也らと帝国ホテルで行った懇談の場で、民主党がマニフェストで掲げた安保政策について懸念を示したという事実である。
 この民主党の政策は、産経新聞などにより「反米3点セット」(インド洋給油・地位協定見直し・普天間移設問題)と表現され、知日派米国識者(Jハンドラーズ)らは強い警告を発した。また、鳩山政権の誕生直前に鳩山由紀夫代表が米紙「ニューヨーク・タイムズ」に寄稿した外交政策に関する小論文が、米国のメディアでは批判的に取り上げられなかったのに、日本の産経、読売を中心とする親米メディアが文面の一部を取り上げて強く批判したが、知日派の懸念を日本のメディアに表明させるという手法を使っている。
 グリーンらはあくまでアジア政策担当の元政府高官に過ぎず、オバマ政権全体の見解を代弁しているわけではないのに、日本のメディアは「アメリカが鳩山政権に懸念を抱いている」というイメージ作りに利用した。
 外務省も、鳩山代表、小沢幹事長による外交政策の転換に懸念を抱いていたため、普天間問題では徹底的に政権に対してサボタージュを行っている。この事実は流出したWikiLeaksの日本関係公電に詳しく書かれている。オバマ政権本体ではなく、共和党系の元政府高官や外務官僚主導で日本の新政権の政策に異議が唱えられたことになり、これでは鳩山首相の普天間県外移設政策は失敗して当然であった。
 民主党内にも長島昭久のようなグリーンと同世代の知米(従属)派議員を情報源として押さえていたが、震災後に再度自民党への政権交代をした後は、自民党安倍政権の復古主義的な世界観には意義を唱えつつ、一方で米国の安全保障負担の一部を日本が肩代わりし、同時にその過程で日米の武器共同開発と相まって進められた集団的自衛権の行使容認の動きにCSISと提携する笹川平和財団などを通じて陰に陽に働きかけてきた。
 引退した共和党の政府高官は防衛(軍事)産業のロビイストとして活動しているケースが多いが、グリーンやアーミテージもその例である。日本側が独自の国家戦略を持たないために、このような安保ロビイストの口車に乗るかたちで日米同盟関係が米国側の主導(イニシアチブ)で行われている。

民主党内における反小沢=親(従)米グループという構図
 民主党は反自民党による政権交代を目的にして結成されたが、そのメンバーは自由党のような穏健保守系、旧社会党のような左派リベラル系の寄せ集めだと批判されてきた。
 03年の民由合併のあとも、民主党系と小沢一郎系の路線による違いは否めず、しかも民主党の仙谷由人、菅直人らは社会党左派系の流れにあり、反田中金権政治を標榜して政治家となった経緯もあり、今は検察による「国策捜査」であることが判明しつつある西松建設問題、陸山会事件に対しては、反(小沢)金権政治という立場を取った。
 米国の知日派(ジャパンハンドラーズ)からの「反米3点セット警告」の数カ月後に、野党第一党の党首を標的に金銭スキャンダルが仕掛けられることの符号を考えると、この小沢一郎に対する検察の捜査には自民党、官僚機構らが意向を忖度して仕掛けた可能性は拭い切れない
 長年自民党政権のもとで活動してきたマスコミや官僚機構に煽られて、民主党内の仙谷・菅の旧左派グループやCSISと関係が深い松下政経塾出身の前原誠司を中心とする議員が反小沢の党内政局を仕掛けることとなった。この頂点が2010年の民主党代表選挙だったといえる。小沢は減税日本や維新の会のような地域政党との連携を強化し、統一地方選挙で存在感を示すことで、師である田中角栄のような院政を敷こうと模索して活発に動いていたが、その矢先に東日本大震災が起きる。緊急時であるにもかかわらず党内融和ではなく党内権力闘争を優先し、菅内閣不信任決議という菅おろしという政治ゲームに明け暮れ、小沢グループは国民の支持を得られなかった。
 グリーンらは、長島昭久や野田佳彦政権を通じて、TPP交渉参加を実施させようと外圧を加えてきたが、これは日米経済連携を強化したかった外務省も乗ってきた。グリーンらは中国を含まないTPPを鳩山流の相互依存型の安全保障枠組みである「東アジア共同体」とは別個の中国けん制のための地政学的なゲームの一環として利用する思惑から安保専門でありながらTPPを推進する側にもコミットするようになっていた。TPP推進派の日本経済新聞が「CSIS・日経バーチャルシンクタンク」を設立して日本側と米国側の政策提言の一元化を図ろうとする動きが並行して行われている。
 そして今年2014年には6月に公明党の遠山清彦や伊佐進一ら留学経験のある知米派議員のところも訪問し、安倍政権の閣議決定への賛同を求める活動をしていた。2011年には経団連の夏期セミナーにアーミテージとともに参加している。与野党だけではなく政財界ともにマイケル・グリーンを中心に形成されるネットワークが存在する。

◎「民自連」という自民・民主超党派グループ
 日本語を話すことができるマイケル・グリーンをリーダーにする知日派(対日支配)グループは、並行して民主党、自民党に超党派の知米派国会議員のグループを形成しようとして政界工作も行っていた。その成果の一つが、震災後に発足した「民自連」と言われる超党派の勉強会である。これには米国側は、グリーン、アーミテージのほか、チャールズ・レイク(アフラック)のような経済金融界の知日派も参加している超党派の政財界のタスクフォースである。参加者の一人である河野太郎はブログで参加者について以下のように公表している。
民主党:長島昭久、笠浩史、北神圭朗、松野頼久、樽床伸二
自民党:菅義偉、河野太郎、岩屋毅、梶山弘志、平将明
 
◎長島昭久議員による超党派議員連盟の「外交安全保障研究会」
 長島昭久議員は、99年に日本人初の米国外交問題評議会(CFR)の研究員になったことを売りに当選した外交安全保障通の政治家であり、防衛副大臣、防衛政務官経験もあるほか、長島が菅伸子夫人と仲が良かった関係もあるのか、菅直人が総理になる前は安全保障アドバイザーを非公式に務めていたこともある。長島の選挙区である東京21区は砂川闘争で知られる立川市を中心に他二市で構成されている。立川は近年国有地売却などによる巨大モールの建設など開発が進み、自衛隊駐屯地もあることなどから市議会レベルでは自民党が強いが、国政レベルでは山本譲司、川田悦子の後は長島昭久が当選を重ねている。自民党は長島に対抗できる人材をあえて送り込まない傾向がある。
 この長島は、マイケル・グリーンやアーミテージとは、すでに15年の交友関係にある。もともと長島は、米国の知日派パイプ議員として計画的に育てられたとみるべきだろう
 米国は何十年もかけてその関係国の人材を育成し、米国の政策の代弁者として育てる。これはローマ帝国以来の世界覇権国(属国支配)としての伝統である。
 日本の総理を務めた中曽根康弘は1947年に衆議院議員となり、1953年夏に「ハーバード大学夏季セミナー」に招聘されて、この時にヘンリー・キッシンジャーと知り合い、以後、読売新聞の渡邉恒雄と3人で冷戦時の日本の安全保障言論をリードしてきた。
 「読売論壇新人賞」の最優秀賞を受賞した長島にもこの中曽根と同じような役割を担わせたいのだろうと推測される。
 つまり、ヘンリー・キッシンジャーの役割を果たしているのが、マイケル・グリーンやアーミテージのようなネオコン派たちであり、中曽根康弘の立場にあるのが長島昭久であると考えられる。したがって、現在の民主党の知米派のリーダーは長島昭久であり、長島は民主党をリベラルではなく保守リアリズムの路線の安全保障政策に基づいて率いていこうとしているのである。
 その活動の一つが、安倍内閣の集団的自衛権の行使容認の動きと連動して長島が設立した、超党派議員連盟の「外交安全保障研究会」である。この研究会については、読売新聞(5月15日)で報じられた。会合の参加者は48人で民主党の参加者は以下の8人である。渡部周、長島昭久、鷲尾英一郎、後藤祐一、笠浩史、田嶋要、玉木雄一郎、風間直樹
 なお、他の野党は維新では、かつて民自連に参加していた松野頼久、結いの党では柿沢未途、みんなの党では江口克彦、松沢成文が主だった政治家である。
 このメンバー・出席者は、民主党内での勉強会「防衛研究会」(前原誠司・会長)との重なる部分が多い。
 衆院メンバー:前原誠司(京都2区)、渡部周(静岡6区)、長島昭久(東京21区)、笠浩史(神奈川9区)、鷲尾英一郎(比例北陸信越ブロック)、後藤祐一(比例南関東)、
衆院出席者:細野豪志(静岡5区)、松本剛明(兵庫11区)、田嶋要(千葉1区)、吉田泉(比例東北)、古本伸一郎(愛知11区)
 参院メンバー:風間直樹(新潟)、大野元裕(埼玉)参院出席者:榛葉賀津也(静岡)金子洋一(神奈川)広田一(高知)
 長島が率いる超党派の会では、集団自衛権行使論では安倍政権と同じ姿勢を示している。
 しかし一方でシンクタンクを通じた日米同盟深化のための対話にも深く関わっている。現在、米国のシンクタンク「ウッドロー・ウィルソン・センター」には初当選時からしばらく秘書を務めていた太栄志(ふとり ひでし) が所属している。今回の訪米でも、自民党の河井克行(留学経験あり松下政経塾出身)やみんなの党の浅尾慶一郎代表らとシンクタンク、議会まわりをしていたことを彼自身がフェイスブックで報告していた。
 この背景には、安倍政権が閣議決定したのを受けて、安保法改正が行われるが、その際に長島が独自にまとめた安全保障基本法を議員立法で提出することが予定されているから、このすり合わせを米国と間断なく行うのが狙いであろう。
 日本の新聞各紙で7月の訪米の際に、長島が「安倍政権による集団的自衛権行使容認の閣議決定について党派を超えて是認されるべきだ」と積極的な支持を表明したことが報じられ、このことに対して大畠幹事長が「個人としての見解だろうと思っている」と記者会見で答える場面があった。長島が会見を行ったのは、保守系のCSISではなく、リベラル系のブルッキングス研究所であったことは、長島が自らが安倍晋三を超える対米人脈を持ち、やがて中曽根のように日米同盟を強化する総理大臣になる意欲を示したことの現れだろう。
 すでに述べたように、グリーンは、民主と自民の双方の知米派と関係がある。グリーンは日本の二大政党の安保論客(安倍、石破や長島、前原)を競わせることで、自らの日本政治に対するコントロールを強化している。グリーンが「影の総理大臣」と言われるのにはこういう事情がある。グリーンの元では、総理大臣候補になると言われる、自民党の小泉進次郎や、新人の辻清人議員もおり、今後これら議員を通じて影響力を行使することが予測される。

◎6人衆には加わらないでフリーハンドを手に入れる長島・細野
 西松建設事件に端を発した親小沢・反小沢という軸で行われた民主党内部の権力闘争を、民主党政権時代に、政策変更のために利用したことはすでに述べた。この際には、いわゆる「7奉行」(渡部恒三、仙谷由人、前原誠司、岡田克也、枝野幸男、野田佳彦、玄葉光一郎、樽床伸二)という集団が、反小沢グループのシンボルとして位置づけられた。ただし、この中で確信犯的に小沢嫌いは仙谷、前原の二人程度であった。岡田克也を除き、他のメンバーはこの2人に引きずられたといってよい
 当時、凌雲会の主要メンバーであり、政権の主要閣僚を務めた仙谷はもともとジェラルド・カーティスと親しかった。カーティスは米コロンビア大学教授で、グリーンと並ぶ、小泉進次郎の師でもあり与野党の政治工作にたけた人物である。カーティスは朝日新聞リベラルの「反田中政治」の流れの中で登場してきたが、もともとは中曽根康弘の世話を受けて日本の議員の後援会組織研究(代表作『代議士の誕生』)を行い評価された人物である。
 民主党を創設した鳩山由紀夫、菅直人両元首相らを「第一世代」、野田佳彦元首相や前原誠司前国家戦略担当相らを「第二世代」、当選4,5回の細野豪志らを「第三世代」と分類する考えがあると産経新聞が報じているが、長島は当選4回なのでこの「第三世代」に該当する。この記事によると、通常国会が事実上の閉会日となった6月20日夜には、長島、細野、そして馬淵澄夫選対委員長が会合を開いたという。細野は42歳で10歳年下であるが、いまや自誓会(じせいかい)という派閥の長である。
 一方、馬淵は選対委員長として海江田代表を支える立場であり、長島や前原のような知米派の頭でっかちな安保論客ではなく、滋賀知事選での応援でも「生活実感」を重視している姿が、かつて代表選挙で「田中角栄を尊敬する」と演説を行ったことからも伺える。馬淵は潜在的に生活の党の小沢一郎代表との連携にも容認的ではないかと推測される。
 マイケル・グリーンらとしては、安倍政権が仮に米国の意向にかなうように日韓の関係改善や、北朝鮮政策、対ロ政策の連携をせず、独自外交路線を取るようになり、集団的自衛権の行使容認など日米同盟強化を通じて、「米国を日本の戦争に巻き込む」ような動きがあった場合の「保険」を必要としている。それが「戦後レジームからの脱却」を掲げない保守政党の育成であり、それが米国の知日派からみた野党再編の意義である。
 グリーンは橋下の「維新の会」が安倍に通じる危うい歴史観を持っている集団であることを認めながら、小沢一郎の掲げる対米自立路線に踏み込まない限りで活用できると評価していたことになる。
 民主党が保守を掲げる政党への路線を進むと、いよいよ日本ではリベラルを掲げる政党がなくなってしまう。マイケル・グリーンは、2012年の衆院選の直前に「東洋経済」のインタビューに答えた際に、「総選挙が『左派』に最後のとどめを刺す」との趣旨の発言をしている。
 この中でグリーンは、「仮に安倍晋三氏がつまずいたとしても、次いで首相になる可能性のある人たち、つまり石破茂、石原伸晃、前原誠司、玄葉光一郎などの各氏は、みな安倍・岸路線につながる人たちだ」と述べている。つまり、グリーンは前原、玄葉という「6人衆」の2人に期待しつつ、盟友である長島昭久や弟子の小泉進次郎をその次に首相候補として認識しているということになるのである。2020年の東京五輪はこの2人の保守政治家の政権で迎えることになるだろう。

◎リベラル側の再生による党内の再均衡点を模索し再度政権交代へ
 「国連決議のある集団安全保障活動への参加は憲法違反ではない」という独自の立場での安全保障政策を唱えているのが民主党元代表で生活の党代表の小沢一郎である。小沢はかねてから政治主導を唱える立場から、憲法を素直に解釈すると、集団的自衛権行使は国連の活動であれば合憲であるという立場である。
 実は、集団的自衛権の行使容認が、米国の知日派の要求によって政治日程に載せられてきたことを考慮すると、日本が米国のシンクタンクによる影響を受けない「主体的」な外交政策を模索するには、国際連合の平和維持活動への参加を徐々に全面的に解禁し、その間に国際社会における対米従属ではない日本外交を国連を通じて確立したあとで、憲法改正により集団的自衛権を行使容認して日本を「普通の国」に変えていく、という路線しか今や残されていないのである(そこまで言い切れるのか)。
 ブッシュ政権の保守ネオコン政権が、その第1期において、国連を軽視する姿勢を見せたことからも分かるように、協調で外交的解決を目指す「国連中心主義」は世界的に見てもリベラル政党が掲げている要件である。自民党が安保タカ派と特殊な復古的な歴史観を持つ宗教団体との結びつきによる、ブッシュ政権のような路線に向かうのだとすれば、対抗する民主党は英国の労働党よりもややリベラルの多国間協調主義を掲げる政党にならなければならない(今の民主では対米従属が多すぎ無理だろう)。
 すでに述べたように、民主党の中にも現実主義保守を掲げる親米派が一定数グループとして存在し、それが小沢一郎のような「国民の生活重視」の地に足の着いたことよりも外交安保政策の政策論争を好んでいるという現実がある。滋賀県知事選挙の勝利で示されたような、草の根のリベラル市民の代表者となる党内のリベラル勢力を再構築し、そのグループがこのような米国のシンクタンクと連携している知米派のグループと互角に議論できる土壌を作る必要がある。そのことによって、ようやく日本のリベラル政党である民主党があるべき「均衡点」に向かうことができるだろう(そうなのか?)。
以上引用終わり。括弧内コメント及びアンダーラインは一柳
 分析論文だから長文だが、これでも半分以下に要約して掲載した。これでも長すぎて読でいられないという人は本ブログの読者には向かないだろう。
 なおこれを辻恵さんに渡したところ「概略は当たっている」と評価されたが、リベラル保守再編の期待が馬淵と小沢の合流ではないだろうとのコメント。詳しくは以下で論じあうつもりである。
 リベラル野党結集は可能かの論壇の会
 さてなぜ国民が望む形の従米でなく、また新自由主義の立場を取らない保守リベラル・社民主義者の連合体の野党が出来ないかである。
 これについて野田らに落選をさせられた辻恵さんにも参加して貰い以下セミナーを開く。
日時:8月26日(火)18時30分から
場所:ヴェルク横須賀第4会議室(4F)

テーマ 日本独自の国際貢献と武力衝突回避と保守リベラル(野党)再結集についての現状について。
参加費 500円(資料代)
講師 辻 恵さん 元衆議院議員
   荒谷 卓さん 元陸自一佐 武道家 イラクPKO時の独自貢献をスライドショウで報告
20人くらいの会場ですので参加希望の方はメール等で申し込んでからにして下さい。
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by ichiyanagi25 | 2014-08-12 11:23

8月6日と9日の狭間で

8月6日と9日の狭間で
原爆投下など必要なく日本は負けた
 言うまでもなく69年前の昭和20年8月6日は広島に9日は長崎に原爆が投下された。
 6日は安倍総理参列のもと広島市で原爆死没者慰霊、平和祈念式が例年通り行われたが松井市長は前任の秋葉市長と違い自公推薦なので、集団自衛権行使閣議決定後の安倍首相に強い言葉で「過ちを繰り返すな」とは言わなかった。
 ところでアメリカでは原爆投下を正当化する為、この「2発の原爆で日本の降伏を早める事が出来て米兵の戦死者を減らすことが出来た」とこれまで米国民を洗脳してきた。
 戦後も70年もたつと日本でもこの歴代アメリカ政府の言い分に有効な反論が出来なくなるのであえて昭和20年8月の戦況をお復習いしておく。
 この頃は沖縄戦も終わり、米軍は秋に九州上陸(オリンピック作戦)を計画し、その後はいよいよ本土上陸(コロネット作戦)を米軍は予定していた。当然軍部もアメリカはそう攻めて来ることを予測していたが、迎え撃つ艦艇はなく、特攻攻撃と、一億玉砕でまさに国民に竹槍待たせて戦うつもりであった(男子15歳~60歳、女子17歳~40歳まで根こそぎ徴兵した国民2600万人を主力の陸海軍500万人と共に本土決戦に投入する)。ハッキリ言って日本の政府及び軍部は戦争目的を完全に失い自分のメンツの為のみで国民犠牲は考慮の外で特攻攻撃と本土決戦を呼号していただけだ。
 政府では鈴木貫太郎首相は昭和天皇とも意志を通じて和平に持って行く考えであったが陸海軍の強硬派に押されポツダム宣言受諾を言い出せずにおり「黙殺発言」がでて、トルーマンに原爆投下の口実を与えてしまった。そして広島に原爆投下されたのである。
 陸海軍はその日のうちに原爆であることを掴んだが、公表はしていない。だが相当動揺している。そして9日早朝にソ連が中立条約(不可侵条約ではない)を破棄(深夜にモスクワで佐藤註ソ大使に通告)して宣戦布告をして満州に怒濤の如く攻め入ってきた。 ここから満州に捨て置かれた同胞とシベリヤに送られる50万将兵の悲劇が始まるが今回はそれには触れない。しかし和平工作を愚かにもソ連に頼っていた陸海軍はこれで降伏やむなしになる。
 米内海相などは沖縄戦頃までソ連に残存巡洋艦を渡し、その代わりに特攻用の飛行機を2千機くれないかと持ちかけ、マリク駐日大使に煙に巻かれて断られている(ヤルタ密約でドイツ降伏後三ヶ月以内に日本と交戦するとスターリンは英米に約束している)。
 また米内を持ち上げる戦記が多いが米内はフリーメーソンではないかとも思われるし、許されないのは「これで陸軍も折れるだろう」と原爆投下を「天佑」であったとまで発言しているのである。
 ソ連参戦で混乱している9日昼前に今度は長崎に原爆を投下される。アメリカは日本国民を殺すことに何ら躊躇していない。そこで首相も昭和天皇もこのままでは本当に焦土となり極めて短期間に多数の国民の命が失われることになることを知りポツダム宣言受諾を早めるため、連日の深夜までの閣議と御前会議となる。
昭和20年秋には餓死者が出ると予測
 アメリカの原爆投下で戦争終結が早まったとのプロパガンダだが、もう昭和20年8月に日本に継戦能力などはなかったのである。それは徹底的な米海軍による海の生命線の破壊によってである。
 昭和17年後半からアメリカは魚雷を改善し、更に潜水艦にまでレーダーを積んで夜間攻撃を可能にした為、日本の輸送船は徹底的に撃沈され、撃沈商船数なんと2394隻に達した。戦時保有船舶トン数合計1009万総トン(戦時中建造を含む)に対しなんと890万トンを喪失したのである。差し引くと百万トン以上の船舶が残っていたことになるが多くが損傷し、稼働状態のものは敗戦時たった12万トンに過ぎなかったとある。認識して欲しいのは沈没率は90%と言うスコアである。
 更に昭和20年に入ると本土は空襲される傍ら、米海軍は現在にも通じる沈低機雷を開発し、それにパラシュートを付けてB29から関門海峡や瀬戸内海に大量投下(投下機雷約8千トン)して内航航路も封じられた。敷設された高性能機雷は当時の日本海軍の掃海能力では全く掃海出来ず、船舶による物資輸送は完全に遮断されていた。
 だからもう8月は食卓用の食塩にさえ事欠く状況で、米戦略爆撃調査団も戦後に『原爆も焼夷弾空襲も、もう必要なかった』と述べている(記録フィルムにも残っている)が、この事実を知る国民は少ない。日本政府は兵糧攻めで秋には本土でも餓死者が出ると見込んでおり、米軍もそう予測していた。
 無理に攻めなくても降伏は時間の問題だったが、トルーマンは戦後のことを考え原爆の効果を試し、ソ連ににらみをきかせる為にも投下したのが真の目的だ。
 敗戦一月前に横須賀軍港も空襲を受けるが、見ていると呉の空襲(残存の戦艦空母巡洋艦を殆ど沈めた)とは異なり、長門の攻撃を中心に工廠内や軍港に爆弾を落としているが懸命に空襲し壊滅させようとは思っていない攻撃だ(その余裕を感ずる)。
 だから呉と違い横須賀市民の犠牲は殆どないし、工廠で働く工員や動員学徒は全員防空壕に入っており数十人の死者を出したに過ぎない(呉は2千人以上の市民が死亡している)。
観音崎の船員受難碑
 そして船員の太平洋戦争中の死亡数は3万592人にたっしており、その損耗率は43,1%となり二人に一人に近い数字だ。これは陸海軍将兵の戦死・戦病死者率の21,2%(陸海軍将兵壱千万8千人中212万人戦没)の倍に当たる。如何に船員の命が軽んじられたかである。
 その殉難碑が観音崎に建って毎年5月中旬に慰霊祭が行われているが、この凄い損耗率を感じて、あの碑の前に詣でて欲しい。
 訂正 船員戦没者数は3万592人としたが(出典『海なお深く』海員組合編-太平洋戦争体験船員の手記集86年刊)確か観音崎の船員慰霊碑の碑文には6万余と書かれていたはずなので調べ直すと陸海軍徴用船員戦没者44,379名、船舶運営会戦没者数16,230名の合計60,609名となるのでこちらを採用します。
 なおこの6万名の戦没者数は盧溝橋事件の支邦事変から敗戦までの8年間。但し昭和16年12月7日までの中国相手の「事変時代」では4年5ヶ月で船員の死亡は1383名である。当時の中国(国民党軍も毛沢東軍も)では海軍は無きに等しいから、こんな数字ですんだが、如何にアメリカ海軍の通商破壊攻撃(戦略的攻撃)が凄まじかったかがわかる。
 また商船乗組員はこの様に戦没人数が把握されているが、戦争が始まると陸海軍は輸送船だけではたりないので漁船や内航用の機帆船まで徴用し、焼き玉エンジン船で数十日かけてフィリピンまで輸送させた例まである。この漁船員や機帆船乗り組みの戦没者数は陸海軍の記録がずさんで今でも正確な数が把握されていないのである(この件については神奈川新聞が連載を始めている)。
どうしようもない昭和の海軍
 この様に国民の命を軽んじて来た軍部及び政府であった。
 特に海軍の海上護衛軽視は敗戦の大きな原因であることが海軍の町でもよく知られていない。
 海軍は全く米海軍との戦いをリアルに想定していなかったのである(出来ない)。
 開戦時船団護衛の思想もなく今の護衛艦(エスコートデストロイヤー)にあたる海防艦は僅か数隻で主に北方海域で今の海上保安庁的な役割を果たしていたに過ぎない。
 南方の資源地帯を占領し石油及びボーキサイトやレアメタルなどの資源を日本に送りそれで長期不敗体制を作るとした陸軍の戦略など全くもって考慮せず、エレクトロニクス兵器の出現で開戦1年で役に立たなくなる夜戦水雷戦隊(巡洋艦と駆逐艦で構成)に力を入れ、太平洋を渡って攻めてくる米艦隊を水雷戦隊と空母機と島に配置した攻撃機で漸減し、そして大和、武蔵、長門、陸奥を出して艦隊を撃滅するとしていたが、アメリカ海軍をバルチック艦隊と同じに見て、これで勝てると信じて開戦したのだ。
 しかし実際は機動部隊同士の戦いは起こったが艦隊決戦などアメリカは放棄しており日本海軍の思惑は全て外れた。
 米海軍への艦隊決戦しか考えていないから駆逐艦には夜戦用の酸素魚雷(破壊力大)ばかりが多く積まれて、信じられないことに旧海軍の駆逐艦の主砲は対空射撃が出来なかったのである(艦隊防空が出来ないから被害が大きくなった)。また対潜兵器はエレクトロニクス技術が全く駄目で潜水艦探知のソナーはレーダーより開発が遅れたまま終戦を迎える始末であり、当時の日本海軍が持つアクテイィブ・ソナーは今のボート釣りに利用する魚探より性能は低かった。
 また爆雷以外の対潜攻撃兵器も開発しなかった(英米は前投投射の対潜迫撃砲のリンボウ、スキッド、ヘッジホッグなどを開発しUボートと日本潜水艦の息の根を止めた)。
 対空射撃が出来たのは機動部隊随伴用に作られた大型の秋月型と戦訓と駆逐艦大量損耗により戦時急造型で昭和19年より就役した松型駆逐艦(連装高角砲と単装高角砲1基づつを搭載した理にかなった軍艦)になってからであるが、悲しいかなレーダー管制射撃が構築出来ないから撃墜能力は乏しいままだった。ここが米海軍との最大の違いだ。
 来年は軍港開港150周年であるが、工廠や航空技術廠の軍艦や飛行機開発の技術面ばかり強調すると、この様な酷い戦略をたてた海軍の作戦と、アメリカ相手に全て誤算の連続となった用兵思想のお粗末さにより320万人もの軍人及び民間人の国民を犠牲にした事が分からなくなる。
 本当の歴史を知ることが大事なのだ。 
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by ichiyanagi25 | 2014-08-07 21:08

政務活動費と議員定数削減

政務活動費と議員定数削減
政務活動費について
 7月27日の東京新聞に「政務活動費 透明度で自治体格差」の記事が出ていた。
 驚いたことに政務活動費で市・県外視察した時に報告書を提出しないでよいとしている県や政令市があり横浜市会も報告書の義務はないと記事にある。
 日本最大の政令市である横浜市会で、しかも議員一人当たりに年660万円支払われている中で報告の義務がないとは許されない。これが許されているのは一つに自民・公明・旧社会(現民主)が横浜市会(横浜のみ市議会とは言わない)において長年三派連合を組んで自分たちにとって都合の悪いことは改革しないという慣習があるからだ。
 年660万円もの「活動費」を貰うと秘書役を雇ったり、月10万円以上する事務所を借りたりするようになる(そうでもせねば月55万円は使い切れない)。
 政務活動費のそもそもであるが、議会での質問とか請願、陳情の対する賛否判断の基礎知識のためにに使うことがまず第一である。ところが本市議会をみても分かるように本会議場で質問しない又意見(評決時討論と称される)も述べない議員がかなりいる。 来年の選挙時、誰がこの4年間で一度も質問に立たなかったか、1期16回定例会が開かれるのに1,2度しか立たない者については直ぐ調べがつくので投票の参考にして貰うべく集計し公表するつもりでいる。
質問しない議員は政務活動費をストップだ!
 質問に役立てない政務活動費は議員としてまずあり得ないと言うことだ。そこで支払い過ぎか判断すべきだ。
 また本市議会の場合、政務活動費が半期に分けて一括交付されるが、これが良くない。議員として何をやったら良いのか分からん議員に4月と10月に83万4千円を自動的に振り込めば「さあ何に使うか?」で「返金しないように使っちまえ」となることは想像に難くない。
 だから出来高払いにした方が良い。一人年166万円(横須賀市議会の政務活動費)の限度額はあるが、高額医療費と同じで議員本人が一時立て替え払いして、それを毎月議会事務局に請求すればよいのだ(許可は議長権限)。そうなれば兵庫の野々村みたいな不逞の輩はその時点で不明朗な出張や切手購入など直ぐ分かって摘発できる。先付けで支払い1年たって各議員から報告を受けてチエックする今のやり方は一考を要する。
 何でオンブズマンがここを指摘しないかと思っている。こういうことを見ると議員経験者がオンブズマンにも必要と思う。
 話を政務活動費と議会活動の関係に戻すが、傾向としてベテランになるほど質問しなくなる。因みに70才以上のベテラン議員は私が議員になってから殆ど一般質問など本会議場で質疑はしていないはずだ(記憶にない)。
 吉田市長になってある意味劇的に変わったが、それまでは保守系会派の自民系と新政会は本当に質問しなかった(しないのか、できないのか区別が難しい)。因みに6期目の議員で年に2回以上は質問に立つ私などは例外中の例外である。
 また一般市民からすればあきれかえると思うのだが、議長副議長ポストがちらつくと質問しなくなる。15,6年前の社会党時代、ある労組議員に「あんたも副議長候補だから、しばらくはおとなしくして(質問しないで)他会派から嫌われないようにした方がよい」と言われていたことを思い出す。
 議員が同じ議会の議員を見る心理は一言で言うと「怨念と報復とジェラシー」(これまた多くの議員が自覚症状を持っていないのもお笑いだが)だから、嫌われると票が減るということで「しっかりおとなしくなる」のである。ポストの為に発言を封じることは有権者の信託に反していることにならないか。
 こういうことも議員になってみないと分からない。こんな風にして議長議長ポストを狙うのは私としては本末転倒であって小賢しい限りと映るのだが、質問しなくても当選させる有権者の方が問題だろう。議員は「何をするのか」である。議席を与える(当選)とは職責を持つと言うことだが両方(多くの立候補者と有権者)が分かっていないとしかいいようがない(戦後70年たってかえって劣化していると思う)。
 なお政務活動費は公聴などにも政務活動費はつかえる。
 メディア情報が信用できないこの国であるから、政務活動費を使い講師を呼び有権者に話を聞いて貰う活動にも利用すべきだろう。
 いずれにしてもその議員の議会活動に資する為に使われているかがチエックの最大眼目だ。一部オンブズマンには活動費の領収書ばかりめくっているのがいるが、野々村議員のような奴はさすがに何処の議会にもそうゴロゴロいるわけではない。
 やはり質問や公開される提案などに活動費を生かしているのかを問うことだ。しっかりしたオンブズマンが本市にも必要だ。
来年の選挙と定数削減 
 ところでニューウイングは4年前に議員定数を43から37へと6名の削減を主張したが殆どの賛成を得られず、結果定数2削減の41となった。
 定数37の根拠は一つは有権者数が36万人なので有権者1万人に議員一人でと言うこと。
 また4常任委員会を9名にすると可否同数の場合は委員長裁決によって可否が決まるというルールーが成立する。偶数委員数だと委員長裁決はあり得なくなる。では36名でよいでは、となるが議長職1名として37名とした。因みに議長はどの委員会にも出席できることになっている(地方自治法-本議会は議長は委員会から抜けるが、抜けないところもある)。
 もう一つ24年間議会にいて感じるのだが、本市議会には特徴的なことがある。今回の集団自衛権行使容認に反対の意見書を出してとの請願に賛成したのは10人だった。
 10年前多くの市民の怒りを買った沢田元市長の美術館建設の時も反対はやはり10票ほどだった。さらに社会党会派が存在していた90年代、米軍基地関係や市が行う開発行為(例えばポートフロンティア計画)に対しても反対は社会党と共産だけだからこれもマックス10票だった。
 社会党がなくなって10数年たつが、その後3回の選挙でも保守系のみが増えて、いわゆる革新系は激減したが、反対票はだいたい10票止まりなのである。
 私が初当選した時の定数は48、今は7名減って41だが反対票は変わらない。10年ほど前までは衆愚主義に迎合して議員定数をやたらに減らすのは良くないとの思いがあったが、レベルの低い者が多く立候補する現状、とりわけ03年以降はニート、フリーターの就職先かと思われる立候補者も目立つ。
 世襲も含めてよく見極め淘汰しいないと金だけ払って酷いことになるので大幅定数削減へと思想転向した。
衰退国家の中で自治体生き残りを考える議員が必要
 日本は衰退国家であり、国家官僚は財源不足を理由に年金の切り下げを含め自治体の市民サービスも減らせと言ってくるのは確実だ。今の建物再配置計画などもその一貫であることを何人の議員が見抜いているかだ。
 今年度から市の自主税源である法人市民税の一部国家収奪が強行されるがその理由は交付税の財源にと言うことだった。
 これから推測すると交付金交付理由の基準財政需要額(どこの自治体で最低限の住民サービスを行う為の必要額)を人口が減っているから等の理由で削減してくると言うことだ。これに気がついている議員は片手以内のはずだ。
 この国家収奪に対抗するには地方分権の促進と財源移譲をさせることしかない。だから首長や議員には国家と対峙する気構えが必要だが、そのような気概を持つ議員は良くて10人だろう(甘すぎるかな)。
 だから大幅定数削減は必要だ。数を減らしても論理的に物事を見て対応できるのはだいたい5人前後で変わらないと私は見ている。
 議会予算については一人一人の歳費削減より定数を減らして人数分の予算削減した方がよいし、首長の退職金もなしにすべきだ。
 この趣旨からニューウイングは9月議会に議員定数削減の議会基本条例改正案を出すつもりである。
地域主権でないと地域住民の福祉は実現しない
 地方議員に一番必要なのは地域主権を確立して自主財源をきちっと持って国家にいちいち指示されない市政を作ることだ。そうしないと生き残れないと言うことなのだ。
 生き残りの点で一つデーターをあげよう。空き屋の数が全国で過去最多となる820万戸をこえ、住宅全体の実に13.5%を占める状況になっていることが総務省から発表された。この空き屋については横須賀は全国平均の上を突っ走っているから、行政も議員も本当に深刻にとらえないと行けないのだがビジョンなき若い首長は「選ばれる町」などのノーテンキなスローガンを掲げ、この認識を厳しく批判する議員も少数だ。
 街中を見ると来年4月の選挙を意識して新人候補の後援会看板が目立つようになってきたが、そのスローガンを見るとおしなべてバカとしか言いようがない。時代感覚が20年ずれている。
 ズレたまま衰退都市の坂を転げ落ちるのか、政治の力で押しとどめるように工夫するのか、来年の選挙はそこが問われると思うのだが、私としては殆ど期待できないと感じている。市や議会をあてにしない自己防衛をどうするか、そう言うシンジケートが出来ないかを考え始めている。
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by ichiyanagi25 | 2014-08-01 09:47