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慰安婦問題余りに度を超した読売新聞のやり方

余りに度を超した読売新聞に対抗する思想
 9月28日の朝、新聞折り込みを見て驚くというか恐ろしくなった。
 読売が朝日の慰安婦報道のミスを攻撃する冊子を作り折り込まれていた。
 冊子のタイトルは『朝日「慰安婦」報道は何が問題なのか』とあり、文章は冷静さを装っているものの「朝日新聞は国際的に日本の名誉を傷つけた」と神国日本を冒涜した朝日新聞は「国賊」と断じるレベルの冊子なのである。
 ここまでやるかである。
 文春や新潮の週刊誌がヒステリックなほどに朝日バッシングをしているが、冊子を新聞折り込みで配布して朝日攻撃をするというのはジャーナリズムのやることではない。
 「慰安婦」問題をここまで騒いで攻撃する読売や産経だが、アメリカにおもねている割には、戦勝五ヶ国の真意を知らない事になる。サンフンランシスコ講和条約の下、現状の日本支配である日米安保体制があるわけだ。これはポツダム宣言を受け入れ、日清戦争以降、勝ち得た領土を全て権利放棄して降伏した事につながる。
 倒錯右翼はこのアメリカによる現状(属国下である)日本支配を突かないで、戦前の日本政府や軍部の行為を評価して靖国英霊論をだしてアジアとりわけ中韓と緊張状況を作り上げている。
 戦時中、軍人の為に用意された慰安婦については連合国側は東京裁判で取りあげようとしたが「戦争犯罪」の範囲が広がりすぎるので、除外したという経緯がある。連合国は日本の慰安婦問題を不問にしたわけではない事を今回触れたい。
 だから慰安婦問題で当時の政府や軍部は植民値や占領した国での慰安婦にした者に「強制していない」と言うような報道や言い訳は国際社会では通用しないのである。
読売新聞と戦争の時代
 戦前の新聞は朝日を含め対中戦争である事変報道を過熱して行い、対米戦争にまでもって行ったのだが、この戦争をはさんで読売を三大全国紙の一つにしたのが公安警察上がりの正力松太郎だ。読売新聞は明治3年に横浜で発行され出した弱小紙であったが、大正12年の昭和天皇(当時は摂生)の暗殺未遂-虎ノ門事件-の責任で免職された正力は大正13年に読売新聞を買収している。警視庁警務部長上がりで懲戒処分(免職か辞職かは資料によって異なる)をうけた者がどうして新聞社の買収資金を調達したかが不明である(ここを明らかにした書物を読んだことがない)。
 しかし昭和の軍国主義の時代に読売の発行部数を伸ばしたのは軍部を鼓舞した結果であり、その任務を負わせる為に資金提供されたのであろう。
 時代は下って今の読売は独裁者ナベツネの元で安倍を持ち上げ、中韓敵視の報道をして、アジアの危機を煽り、だからアメリカ様助けてと、自衛隊を差し出して(集団自衛権行使)までアメリカにすり寄る姿勢は哀れである。これは勇ましいことを言いながら自主独立の気概のない植民値メディアでしかない。そして実質反米でもない朝日をここまで攻撃する意図は何なのか。単なる安倍擁護にしては常軌を逸している。
 正力とCIA、原発の関係はつまびらかにされているが、言論界に君臨するナベツネについてアメリカとの関係は生前は明らかにされるのは無理なのかも知れないが、国民は従米メディアの本質を知り、煽られないことである。
 慰安婦問題で強制的なものは無かったとするのが倒錯右翼連中(アメリカには従順)であるが、先ず以て認識せねばならないのは朝鮮半島は1910年から敗戦までの35年間日本の植民地であったこと言う事実だ(帝国主義の時代でありロシアによる占有よりまし、と考えた英米も、日本による韓国併合に反対していない)。
戦争と性処理そして慰安所
 なおこの問題で「従軍」慰安婦と表現するのは軍用である事への混乱を招いて倒錯右翼の術中にはまるから呼称は正しく使うべきだ。兵隊用と言うだけで従軍を使うのは呼称の取り違えであり、従軍とは記者とか看護婦など軍の為に公式に働くいわば軍属だ。
 人権感覚極めて乏しい旧軍もさすがに陸海軍直営で女郎屋運営をしようとは思っていなかった。但しこれは日中戦争が本格化する前の日本国内での話である。
 特に米英と先端を開いた時からは明確に占領地には軍専用の慰安所を開設した。
 海軍などはトラック島などの根拠地には士官用の料亭まで出したから当然、将兵用の慰安所も作った。こう言う場合内地からの支店であるから芸妓、酌婦、娼婦が海軍公認で輸送されたが、その他の占領地では日本から連れて行くのも感情や輸送問題があるので、現地調達を陸海軍共に行っている。これには命令や通達など公文書が残っており否定することは出来ない事実で、連合国側も当然資料は持っている。またオランダ人やオーストラリア人は捕虜或いは抑留された白人婦人を将校用の慰安婦にされているから、軍は関与していないなどとの言い逃れは絶対に許さないし、英連邦国家も許さない。
 占領地で軍専用の慰安所が作られたのは以下の国々や地域。
 中国 香港 マカオ インドシナ(ベトナム)フィリピン マレー シンガポール ボルネオ(からゆきさんでも有名)東インド ビルマ タイ 東部ニューギニア 沖縄(戦争末期) 小笠原 千島 樺太。南洋諸島ではトラック コロール、サイパン グアム ニューブリテン島(ラバウル)。慰安所総数は陸海合わせて約400と言われる。
 慰安婦は国内で既に娼婦としていた者を輸送しても居るが、広大な占領地に新たに日本人を慰安婦募集することは、軍不信を招くから植民値の朝鮮、台湾からの調達を意図した。また前記のように占領地に居た者を手っ取り早く慰安婦にした。
 外国人慰安婦で公文書で確認されているのは以下の国々の人。
 中国人 フィリピン人 インドネシア ベトナム オランダ人で、その他証言や日記、回想録に記載されている者としてはマレー人 ビルマ人 華人 インド人などが居る。
 以上 共同研究『日本軍慰安婦』(大月書店)より。
 また朝鮮や台湾でも募集は総督府や軍隊が関与して村に強制的に割り当てたり、女衒ブローカーに病院勤務、雑役婦などの名目で募集にし慰安所に送ったケースも多い。
 なお敗戦時これらの文書は大量に焼却処分されているが占領地が広範囲におよんだ事と、陸海軍や植民値の総督府や外務省、内務省や警察が絡んでおり、全てが処分しきれず残ったものである(外地では連合国に差し押さえられたものも相当ある)。
 これら客観的事実があるのだから「強制はなかった」との歴史のねじ曲げはいい加減にした方が良い。図に乗ってやるとアメリカを初めとする連合国にガツンとやられることになるだろう。
その当時の当たり前は通用しない
 一方慰安婦問題を理解する上で戦前日本の性意識を知っておく必要もある。敗戦によるマッカサー占領まで日本は公娼制度であったことだ。日本各地に遊郭があり、男の三大道楽の「飲む、うつ、買う」のうち、「買う」はまさに女郎買いのことだ。この当時の「当たり前」だが、だから軍が慰安所を作って何が悪いは通用しない。
 もちろん横須賀にも柏田とか皆ヶ作(銘酒屋)の遊郭があった。公娼制度ではない銘酒屋と呼ばれる店が揃う私娼街も各地にあった。だから臆面も無く慰安所を開設して強制させたのに罪悪感が少ないのである。
 しかしこれは国際的に見て通る話ではない。事実1910年日本は「醜業ヲ行ワシムル為ノ婦女売買取締ニ関スル」国際条約を承認している。この条約は売春目的で未成年者を勧誘、或いは誘拐した者は本人の承諾を得た場合でも罰せられる規定があった。
 また成人女性でも詐欺、暴行脅迫、権力乱用や強制によって売春を強要した者は罰せられた。但しこの条約は植民値には適用しない抜け道を考えた。この様な経緯があるから関与した政府機関や軍関係者は必死に否定するのであるが、往生際が悪すぎる。
 この様な明白な国際条約違反があるから連合国は東京裁判で軍用慰安婦問題を取り上げようとしたのである。れっきとした条約違反であり戦犯行為になる。
 また占領地にすぐさま慰安所を開設しているが、これは開戦前から準備していていなければできない芸当である。
 慰安所開設に血道を上げたのは日本軍は兵隊に対する人権感覚が極めて乏しい事と、長期総力戦に引き込まれアメリカのように将兵を半年ごとに前線から引き揚げさせて交代で休養をとらせるような事が出来ない。だから占領地で兵隊に短期外出を許した時には女をあてがうのが一番の慰安になると考えていた。
 また朝鮮台湾人を臣民としたのだが実際には差別意識は物凄いから植民地の婦女を慰安婦にすることは抵抗がなかったことも理解しておく必要がある。
それとどこの国の兵隊にも言えるが戦闘が終わり占領が始まると強姦暴行事件が多発する(横須賀占領の際にもその日のうちに米兵による6件の強姦事件が警察に届けられている)。シナ事変中多くの強姦陵虐事件があったので陸軍は占領した各地に慰安所を速やかに作ったが、強姦した将兵を軍法会議にかけることはしないから強姦掠奪は減らず、各地に抗日ゲリラが活動が起きる原因となった(解放者ではなかった)。特にフィリピンなどでは恨みを買い日本兵が降伏しても住民やゲリラに殺害されるケースが多かった。
被制圧国の人民は抵抗する
 慰安婦に限らず植民地にされた国民は制圧されているのだから日本政府や軍に反感を持つのは当然である。そして抗日運動が起きる。インドでもベトナムでもアジアの多くの被制圧国がそうだったが、韓国民は併合後も独立運動を起こして弾圧され多くが命を落としている事も知っておく必要がある。 
 スポーツでも日本支配に拒否を示した有名な例がある。1936年ベルリンオリンピックで、マラソンで1位、3位となったのは韓国の孫と南選手(明治大学生)だが表彰台では孫選手は日章旗を見ずにうつむき無言の抗議、韓国紙は胸の日章旗を消して写真掲載し弾圧を受けている(88ソウル五輪の時にテレビ報道された-孫氏は同五輪の聖火最終ランナーを務めた)。
 大東亜戦争は日本が大東亜共栄圏を主張した結果だが、緒戦の勝利はイギリス、フランス、オランダをアジアから追っ払って、主を日本に代えただけだから当初は日本軍を歓迎した国々で1年もたたずして抗日活動が起きるている。
 この歴史経過を概観して慰安婦問題を認識しないとセンセーショナルな排外的意識に煽られてしまう。全く恥ずかしい話で、教養を身につけ来年の戦後70年を冷静に迎え非戦を考えたい。
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by ichiyanagi25 | 2014-09-30 10:50

ここまで支配が及ぶのか沖縄知事選と民主党人事

ここまで支配が及ぶのか沖縄知事選と民主党人事
 11月中旬に沖縄知事選が行われるが、どうやら翁長那覇市長は自民党やジャパハンドラーズらの意向というか振り付けによって出来レースをやっている様である。
 2ヶ月ほど前あるBS番組で元沖縄知事の太田昌秀氏と『日米地位協定入門』を書いた前泊氏の対談番組を見た。その際、お二人は翁長候補が、知事権限である「埋めたて許可撤回」を言わねば、辺野古埋め立て阻止にはならないので、第三の候補を擁立すべしと指摘していたが、その通りの展開になっている。
 しかし手の込んだことをする奴らだ。
 現職の仲井間知事は、ようは昨年暮れ知事権限で埋め立て承認をしたところで役目は終わったと言うことなのだ。仲井間では沖縄県民の怒りを買って今度の知事選に当選するはずはないから、自民中央は最初から当て馬で立候補させている。
 仲井間も当て馬出馬を昨年末の埋め立て承認時に飲まされたのだろう(毒を食らえば皿までだ)。自民は仲井間支持の振りをして公明にも仲井間応援を頼んでいるが、沖縄公明が翁長に行くのは想定済みで、選挙までは困った顔をしていれば良いだけだ。
那覇市自民は反ヤマトではない?
 一方で那覇市議会の「自民党」の多くにはさも琉球保守の気概を見せるかのような独自行動をとらせ、翁長那覇市長は大和に反抗する保守としての振り付けをしたことになる。そして沖縄の「革新」陣営をオール沖縄として翁長氏に向かわせ、そして当選すればヤマト政府の意向に沿う形で「埋め立て承認」取り消しや撤回はしないで結果、辺野古を埋め立てさせる。と言うシナリオである。翁長氏の辺野古埋め立て反対は「口先」だけで行動が伴わないという結果がかなり明確に見えてきた。
 これは完全に植民地化された統治だ。沖縄だからこう言う手の込んだことをするのだろうが、沖縄のメディアが肝心なことについてしっかり追及して県内各党の見解や候補の意向を報道しているから、選挙2ヶ月前で翁長陣営の意図がある意味暴露された。
 先週琉球新報で2面見開きで沖縄の各政党代表が知事選と辺野古埋め立てに言及していたが、そこで沖縄民主の喜納昌吉氏が翁長候補にかみついていた。喜納は従米民主が沖縄を裏切ったことで沖縄ですこぶる評判が悪いが、今回はまっとうなこと言っている。翁長氏の言動が変質して、また那覇自民が辺野古埋め立て承認の撤回を公約にしないと言っているのだから、翁長氏に知事権限を行使しないのか確認して、駄目なら社大党や社民、共産、生活、沖縄民主は辺野古埋め立て撤回を前面に掲げてヤマトに対抗する第四の候補をたてるべきだ。そうでなければ琉球人民は永久にアメリカ従属の基地県として生きていくことになる。
極悪民主のA級戦犯2人が復活
 沖縄知事選に併せたような形で、民主党、海江田執行部の「改造」が16日に行われた。
 民主のA級戦犯6人組である野田、前原、管、岡田、安住、枝野(玄葉を入れて7人組との説もある)らがいる限り、民主党は実質自民党と変わらない。この連中が出て行けば長島なども出て行くから民主は国民の為の野党になれる。
 残念ながらそうはならないのが植民地国の中央政界なのである。
 海江田優柔党首は岡田を代表代行に据え枝野を幹事長においた。この布陣は国民の期待を担って09年9月総理に就任した鳩山の「辺野古の最低でも県外」を党内で潰した連中だから、喜納が本当に辺野古埋め立て阻止を掲げて知事選に立とうとすれば懐柔・恫喝で先ず断念工作をして、それでも駄目なら除名だろう。
 選挙2ヶ月前で翁長陣営の手の内が明らかにされたのだから、今日沖縄のみに存在する「革新陣営」と対米独立の琉球魂を持つ保守県民が一致して本当に辺野古埋め立て阻止を掲げる知事を当選させれば、決定的に辺野古埋め立ては暗礁に乗り上げ実質阻止になる。
 琉球人士の最後とも言える戦いに期待したい。
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by ichiyanagi25 | 2014-09-20 14:15

市議会委員会の審査を通じて

市議会委員会の審査を通じて
 先週の8,9両日総務委員会審査が行われた。
 議案では9月議会補正予算が出て、総務委所管では開港150年を前に今年のベルニー・小栗(この名称も問題)祭を室内から臨海公園に移して屋外で少し規模を大きくして行う為の補正が出た。
 本当に軍港開設の意義と小栗の愛国者としての活動を評価しての補正かとは疑問も残るところではあるが、それは後の委員会論議で指摘して賛成した(全会一致)。
横須賀市は衰退社会に対応できるのか
 その他の議案は大したことがないのでベルニー・小栗祭についてと報告事項や、所管事項で危機感のない市長と理事者の対応について質疑を交わした。 
 まずは車座会議とかで市長が切り出している建物再配置計画である。
 国の指示のまま10何%とか30%削減などと建物をバツバツ切ることばかり提案するから市民に動揺が広がり、不安や反対が出てくる。こう言うやり方を見ると市長以下多くの幹部職員の知恵?に本当に疑問符が付く。地方自治の思想が根底にないからこういうことになる。
 9日の委員会で「いつまでに削減案を示すようにと国から指示があったのか」(あったとしても唯々諾々と従うべきではない)と聞いたら「国からの指示は無い」と財政部長。では何でこんなに急いで提案するのか?
 そして提案の仕方である。11年後人口は37万人台と1970年代初めの人口へと逆戻りの人口減少となる。だから当然これまでに建てた物で更新(立て替え)時期がきたら再建や存続はしない物も出てくる。それならば市民の生活や活動に支障を来さない為に単に削減だけでなく統合、再配置や複合利用を考えて提案すべきだ。
 こういうと良く役人は「皆さんのご意見を聞いてから」との返事をするが、こう言う言い方は知恵のない者の無責任な発言である(当事者能力が無いとも言える)。
追浜の例をみる
 追浜地域では駅近くのエルシャンテと言う宴会場があった。20年ほど前までは追浜会館も浦郷町5丁目(昔の自動車学校前)にあり100名以上が入れる宴会場が複数あったが宴会をやる民間企業も減り、4月にエルシャンテが営業を休止したので追浜では50人規模以上のパーティが出来なくなってしまった。
 困るのは町内会や老人会などの地域コミュニティ団体である。そのおかげと思うが追浜地域における今年の敬老会案内がゼロに近くなるほどに減った。
 副市長に夏前に敬老会も開けなくなれば追浜の町は更に寂れるとして、コミュニティセンターを有料でも良いからこれらの団体のパーティに使えるように要綱を改正して欲しいと依頼した。先月公共的コミュニティ団体なら使えるようにしたと通知があったが、今年の反応を見ると何処まで浸透しているのだろうか?
 こんな事は追浜行政センター管内だけでなく全市域で「規制緩和」すればよいのだ。
 市としては削るだけでなく市民の使い勝手の良いように利用形態を変えたりして提案することだ。また博物館や美術館は「ハコモノ」であるが時の市長の「熱意」で建てたが後の市長はだいたい継子扱いにしているから、観音崎の美術館ではもめているT館などはどいて貰って、そこへ博物館に(収蔵)隠している漁船(大型の艪櫂巻き網船)などを木造小屋を作って展示したり(東日本で和船漁船を何隻も展示しているところはそう無いはずだ)、美術館に博物館展示を並列させれば今よりは入館者は増えるだろうし、市民の知識満足度も向上する。
 また市営住宅は戦後、浦賀港が太平洋地域の戦場や捕虜収容所からの復員場所となった関係で、市内各地に引き揚げ者住宅が作られ、それが戦後復興対策として市営住宅につながっている。だから横須賀市の人口当たりの市営住宅数は多いのだ。(※復員とは将兵の帰還のことで、引き揚げは民間人に対して使った。戦後は軍解体で皆民間人になったっから引き揚げ者住宅)。
 これなど今や不動産下落と車の入らないところのアパート貸家はがら空き状態なのだから市営住宅は鋭意縮減し民間移転を促進すればよい。
 そう言う市民から見て「ああこう言うことになるんだね」とするプランが示されない。要するに衰退の時代への自治体対応が出来ていない。危機感のない対応が逆に市民に不安感を与えているとこの際、指摘しておこう。
軽いネーミングにしたのは沢田市長
 11月のベルニー・小栗祭との冠(名称)はおかしいのではないかと質問した。
 小栗は今で言えば防衛大臣や財務大臣であり、軍港と造船所開設をフランス政府に発注した日本政府(幕府)の代表である。ベルニーは仏政府から技術者の一人として仕事を請け負うように命じられて横須賀に来た人だ。発注と受注の関係とまた政府要人と請負技術者の序列も無視して外国人の名を先に出すのはおかしいではないかと質問した。
 また名称を開設記念祭から今の名称にしたのは沢田市長で、その理由は「漢字が多く堅苦しいから」だと聞いて唖然とした。
 麻生氏は持ち出さないが、漢字が多いからとベルニーを先に持ってくるとは軽すぎないか。
 日本の独立を守る(植民地にされない)為に小栗は横須賀に軍港と造船所を開いたのである。その後、特に昭和の海軍は道を間違え国民を塗炭の苦しみに落とす戦争をやって、現状の米海軍ベースとなるが小栗は帝国主義の時代に植民地にされない為に、海軍が必要との判断で台場防備をやめ近代海軍建設を目指したのだ。
 その功績を明治政府に消され、更に斬首という冤罪処刑までさせられている。
 担当部長は「市長にも指摘を伝え150年を契機に名称変更も考えたい」と答弁した。
 横須賀経済不活性の一要因
 もう一つ中央駅周辺の商店街の再開発と、活性化について報告が出てきたので経済部に質問した。
 市街地再開発計画は高度経済成長期の60年代中頃に作られた法律、制度によるもので衰退社会にこの様な方式をとってうまくいくかは非常に疑問であり、この日も市としての財政支援はとても困難と財政部長は答えている。
 経済部はこの制度法律がいつ作られたかとの質問に答えられなかった。時代にマッチングしているかも検証していないで、前例踏襲主義で報告を出してきたのかと言うことになる(法律は国交省所管で都市部が手続き的にはメインになるが、商店街の経済政策は経済部が担当である)。
 また下町地域のテナント料が高すぎて、今の横須賀の実態経済では出店してもペイできないから地元資本が店を出せないでいる。不動産屋も賃料を実態に合わせて大幅に下げると横須賀の地価動態の現実が明らかになると思うからか高止まりのままで停滞させているようだ。これは市が行政指導できる問題ではないが、経済部長は私の指摘をあっさり認めた。
 しかし行政がずれている商店主にただ求められるままに活性化策として補助金を出しているだけで、不活性化の原因となっている現実に口を出さないのも、無策すぎると言えないか。
 下町地域の商店街で自分で店を出し営業している人は何割いるのかと聞けば統計は取ってないという。これでは駄目だ。今どこの商店街でも客が来るところは殆どは賃貸しで、自営は少数であり、だから商店街として纏まった策は打ち出せない。
 まあ貸し手とすれば、自営の苦労もしないで、これだけの賃貸し収入があれば良いてな調子で、町が活性化しない。しかし一枚剥がせば多くの建物が老朽化して、相当ぼろぼろなのに高いテナント料を提示し続けている。この時代にこんな事では、ジリ貧よりドカ貧となる懸念が強い。
 さいか屋の跡地利用が決まらないのが象徴的だが、あと5年で横須賀の不動産実態は隠しようが無くなるだろう。これらを含めて市議会議員も例外ではなく危機感の欠如が目立つ。アベノミクスがまだ来ないなんて思っている人はあらゆる場所で退場した方がよい。
 高度経済成長時代の活性化策は誰がやってもうまくいく(やらなくても発展する)。衰退社会での生き残りこそ各界が考えねばならないのだ。
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by ichiyanagi25 | 2014-09-16 19:20

本日の海軍航空関係見学会

本日の海軍航空関係見学会決行!
標記は小雨決行で、風もないことから予定通り開催します。
申し込まれた方は1pm汐入産交プラザ研修室へお集まり下さい。
なお定員に達した為、飛び入り参加は受け付けておりません。
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by ichiyanagi25 | 2014-09-07 10:14

この頃のメディア報道に感じたこと

この頃のメディア報道に感じたこと
 8月末のメディア報道を見て2,3気にかかるところがあり、その印象を書いてみる。 夏の景気動向だが、特にデパートやスーパーなどの売り上げ減の原因を、この夏の気候不順(長雨)をあげて消費増税の影響を消している報道に笑った。
 特にNHKが安倍人事の影響で完全に国営放送化している。今内閣改造が報じられているが批判的記事やテレビ報道は殆ど見受けられない。大本営発表を垂れ流す状況に近い。こんな報道に視聴料を払う義務はない。
 こうなれば、やはりNHK受信料不払い運動の為の活動をした方が良さそうだ。
 しかし相も変わらず地上波テレビと、全国紙の報道を鵜吞みにしている国民はまだ6割ほど居るのだろう。げに恐ろしきは情報操作だし、過半の国民は何度騙されても忘れてしまい引っかかる。だから安倍内閣の支持率が本土では5割もある。先週の琉球新報の調査では沖縄では安倍内閣の支持率は2割に過ぎない。これだから国家とメディアの「振り込め詐欺」は永遠になくならないと言うことだ。
減り続ける海水浴客
 気候変動を理由にするが確かに西日本は雨の日が多かったが、関東甲信越以北はいつもの夏だったし猛暑日もそれなりにあった。但し海に出た人は今年も大幅に人が減っていた。猿島などは渡島者の記録が残るから一目瞭然だろう。
 3年前、震災の年は放射能(実際に不評被害の類)の影響で海への人出は潮干狩りを含めてメッキリ減ったが、その影響から抜け出していないというか、夏のレジャー行動パターンが震災以降変わったようだ。マインドの変化だ。
 天候だけをとってそれを消費減の原因にするとは全く小賢しいし(ネタは政府が流している)、客観報道を意識してメディアの分析などはないという事をよく現している。
 また地球温暖化説の関連でデング病罹患も報じられているが、デング病など栄養がしっかりしていれば心配はないらないから過敏に反応することのないようにしたい(先の大戦で南方戦線では沢山の日本軍将兵がデング病、マラリア、アメーバ赤痢に倒れたが、これは補給が途絶えて栄養失調となり加えてキニーネなどの薬品もなかったためだ)。 
パンパシ水泳結果
  話はがらっと変わって本ブログでは珍しくスポーツの話。
 私が小学校の頃、日本水泳は結構強く(その頃、強かったのは米、豪に一部欧州勢で、南米や中国、韓国は国の疲弊から全く弱かった)、日米、日豪の水泳選手権が行われ結構テレビ中継されて夏の人気スポーツ番組であった。
 しかし60年代後半に入るとステートアマチュアのソ連・東欧勢が台頭し、又各国も戦後復興や経済成長を成して、かなりの国がスポーツに力を入れだし、東京オリンピックを境に水泳日本は完全に落ち目となり、特に自由形の凋落が激しく(後の3種目ではそれなりにメダルとっている)、アテネ大会で女子800m自由形で柴田亜衣が金メダルを取るまで約40年自由形はメダルはおろか決勝にすら進めない状況が続いた(彼女の金は意外中の意外であったが日本水連の強化の表れと評価すべきだろう)。
 そして今度のパンパシ第12回大会である。
 今回は1950年代以降久しぶりに水泳日本の活躍が目立ったが、パンパシ水泳はその冠の名称通り、80年代東欧諸国を筆頭に世界に君臨してきたヨーロッパ各国の勢いに危機感を持ったアメリカ、カナダ、オーストラリア、日本の4か国が、環太平洋の「水泳のレベル向上に力を結集」するため、協会を設立し、大会を開いてきた。だから当然、欧州勢や南アやブラジルなど太平洋に面していない強豪国は参加していないし、今回は中国もアジア大会に備えてか、めだたなかったが、日本の金7個、銀8個、銅4個はそれらを差し引いても凄い。メダル数から言えば戦前のオリンピック並である。
自由形が強くないと水泳はおもしろくない
 特に男子自由形の800mリレーで世界の覇者であり続けるアメリカに、0コンマ数秒まで追い上げて2位に入ったのは凄い!。これは1952年のヘルシンキオリンピック以来800m自由形リレーの2位だ。戦前のロスとベルリン五輪では日本はこの種目断然1位だったが、やっと60年前以前に戻る活躍だ。
 競泳は自由形が最も種目数が多いしメドレーリレーや個人メドレーでもフリースタイルが強くないと上位に入れない。当然水連もそれは承知で特に東京オリンピック以来強化してきたが苦節50年でようやく結果が出だしたようだ。
 オリンピックでは1964年の東京大会の男子800mリレーで銅メダル(この大会では競泳での獲得メダルはこれだけ)をとって以来だが、東京大会ではアメリカチームに断然離され、2位は統一ドイツで4位のオーストラリアのアンカー、ウインドル(1500mの覇者)の猛追を振り切ってようやくアンカー岡部幸明が3位に滑り込んだ。この時の民放アナウンサーの以下の実況「オーストラリア、ウインドルが追ってきた、日本アンカー岡部、アメリカただいま1着ゴールイン、もう1位2位はどうでも良い!」と言う放送が耳に残っている。
他の放送局が騒がない
 ところで今回のパンパシ水泳、テレ朝は独占中継していたが、他の民放はサッカーほど騒いでいなかったようだ。以下の好成績なのに騒がないのはなぜか?
 金メダル:入江陵介(男100背泳ぎ)、瀬戸大也(男100バタフライ)、小関也朱篤(男100平、男200平)、萩野公介(男400個人メドレー、男200個人メドレー)、渡部香生子(女200平)
銀メダル:
萩野公介(男200自由形、男400自由形)、入江陵介(男200背泳ぎ)、星奈津美(女200バタフライ)、渡部香生子(女100平)、日本(男子4×200フリーリレー)、金藤理絵(女200平)、日本(男子4×100メドレーリレー) 。
 銅メダル:
池端宏文(男100バタフライ)、日本(女子4×100フリーリレー)、瀬戸大也(男200個人メドレー)、小日向一輝(男200平)
 萩野が自由形個人2種目で銀をとっていることも象徴的だ。しかし全世界が参加する世界水泳や五輪になるとこれほどのメダルラッシュは疑問だが800mリレーのアメリカとの競り合いを見ると今後に期待したくなる(5チームしか出ていなかったが米豪が出ているから実力差は縮まっている)。
 五輪ではとにかく陸上と水泳が古くからメインの競技である。
 陸上は戦前から競走、跳躍、投てきとクラシカルなもので、女子競技の男子化で中距離の800m(東京大会で復活)や特に90年代からハンマー投げや棒高などが加えられているが男子の種目数は殆ど増えていない。
 陸上に比して戦後水泳の種目数増加は凄い。自由形でも400mリレー(64年東京より)50m(88年ソウルより)が加わり男女とも7種目となり競泳中最多の種目数である。
 バタフライはそれまで平泳ぎの一形態とされていたがメルボルン大会から独立した。 またメキシコ五輪から自由形以外の平、背、バタの3種目は100か200mのどちらか一つだったのがそれぞれ100,200mとなった。五輪に個人メドレーが登場したのは東京大会で400mが実施され200mは68年メキシコ五輪より加わった。
 ちなみにメドレーリレーはローマ大会より行われている。
 フリースタイルが強くなると個人5種目の他、リレー2種目とメドレーリレーや個人メドレーも強くなるので10種目でメダル候補となる。戦前これほどの種目数(16種目)があれば日本は1932年(第1回ロス)や36年(ベルリン)では男子は12,3個の金メダルを取っていたろう。
 とにかく自由形が強くなったので、これからの各種大会(まもなく仁川アジア大会がある)が楽しみでもある。
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by ichiyanagi25 | 2014-09-03 07:48