ダイオキシンヒステリーと行政パニック Ⅱ

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議論を始め行きすぎをただしたい
 日本評論社刊の「ダイオキシン」についてこれからかいつまんで報告します。この問題を冷静に考え、行き過ぎた行政対応の見直しが必要であれば是非御意見を賜りたいのです。また誤った科学認識による環境運動が広がらないように、そして今までの運動論を修正する必要があると思うのです。御意見を賜り、論議をしてから議会で取り上げたいと思います。そう言う意味で御意見お願いします。ある運動が論拠を失いかねない大問題でもありますから。
環境大本営発表
P176に次のグラフがある。これこそ「焼却炉近くの住民はダイオキシンにやられている」と世論を煽り、ひいてはダイオキシン類対策特別措置法-通称ダイオキシン法-を生んだとされる。
 このグラフは新生児の死亡率と産廃焼却量との相関グラフである。このグラフによると産廃焼却量に伴い新生児の死亡率も高いように見えるがよく見ると死亡率は1993年で切れている。94年以降は死亡率が減少したので使用しなかったと言うのである。このグラフで高値にある82年~94年は平均より少し高い死亡率を示したのでそこだけ抜き取ったと言う指摘である。
元データー(6-2図)があるが94年から96年にかけては焼却量は倍になったが死亡率は減少しているがそれは載せていない。この本はこのグラフを環境版大本営発表だったと指摘しているのである。
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 更に続く。新生児(生後4週間以内の死亡)の死亡率は全国平均で1/500だそうだ。
また乳児死亡率(生後1年以内の死)は1970年の8,7から2000年は1,79と確実に
しかも大幅に減少している。そしてグラフのトリックは埼玉県の三芳町という小さな自治体の新生児死亡率を取り上げた。統計学の常識であるが母集団の小さな所ほど一人か二人の死亡増減で死亡率は全国平均の上や下へと振れる度合いが多くなる。同町の年間出生児数は最大で350人ほどで全国平均と同じなら死数は1以下であるという。現実の死亡数は年0~4人で推移し産廃焼却炉が稼働してからも死亡ゼロの年が6回あった。(母集団が超小さい)町の乳幼児がたまたま3人が死んだ年の死亡率を全国平均と比べるとすこぶる高値になる。ここを抜き取ったと言うのだ。

図6-2を見れば焼却量とは関係なく死亡率は年と共に確実に減少している。ゴミやダイオキンではなく公衆衛生の向上と医療技術の向上により死亡率は減ったのである。本書のまとめはこうだ。所沢周辺の新生児死はダイオキシンと関係ない。このグラフにより市民マスコミばかりか環境学者も誤解してしまった。産廃銀座の次にゴミの自家焼却している市町村は新生児死亡率が高いとの情報も引き続いて出た。

ダイオキシンを浴びてもあざが出来るくらい
1976年にイタリアのセベソと言うところで農薬工場の事故があり大量のダイオキシンが町に降り注いだ。子供達は降り注ぐ白い粉の霧の中で遊び回ったというが、セベソの住民はこの事故により死の恐怖におびえ、奇形児が生まれるのではと心配した。カソリックの総本山イタリアは国法で中絶を禁止している。時の政府は激論の末セベソの3ヶ月以内の妊婦に中絶を許した。
多くの胎児が闇の葬られたし、密かに外国で堕胎した人もいると言われる。
 しかし賢明にも中絶を思いとどまった妊婦から異常児は生まれず、白い粉の霧を浴びて死んだ人もいなかった。
 この事故をきっかけに徹底したダイオキシンの研究が全世界で行われた。最初は農薬をターゲットに調査研究し、後にゴミ焼却でも発生することが分かると燃焼との関係も調べられた。70年代末にはものを燃やせばダイオキシンが出るのは研究者の常識となった。山火事でも発生するので地球規模で何億年もかけて蓄積したことも分かってきた。
 さて、では人的被害はどうだろう。全米の大学で広く使用されていたテキスト(日本での訳本1990年)にはこうある。「ダイオキシンに暴露した人は多いが、これまで確認された被害はせいぜい塩素座痩、筋肉痛、神経障害、胃腸障害で何れも一時的なものに留まる」。ダイオキシンが先天異常を起こしたり肉腫を起こしたりと言う説は実証されていないとある。テキストは引き続きこう指摘する「こういった問題を決定するのは科学ではなく政治である・・・何としても規制せよとの世論がある限り環境保護庁は現行の規制を緩めるわけには行かないだろう」。この指摘は90年代後半の日本政府や各自治体の実態をぴたりと当てている。
ソ連も政治利用はしなかった 
 また米公衆衛生誌にでた別リポートには「詐欺的な因果関係を根拠に補償を行うのは誤りであろう」とヴェトナム帰還兵のダイオキシン「被害」についてそれほどのものではないとしている。
 休憩Ⅰ-私はこれら著者とは違う研究者に聞いたところ、1970年代当時のソ連化学者も
枯れ葉剤に含まれるダイキオシンは大した健康被害を与えないとして、これをもってヴェトナム戦争糾弾はしてないそうだ。
休憩Ⅱー20年前、今は亡き鈴木福蔵さんらの南部清掃工場建設に伴う運動を手伝った。この時を契機に塩化水素(塩酸が気化した状態)対策で炭酸カルシウム入りレジ袋となったわけだが塩化水素がどのような人体被害をもたらすか家に帰り調べた所大した事がないことに驚いた。もっと問題とすべき大気汚染課題はほかにあったのである。
なぜ
 スモンでもサリドマイドでも世界の「認識」が日本に入って来るのが遅く、多くの薬害被害者を出した。スモンなどは獣医雑誌にも書かれていた「常識」が日本には伝わらず多くの被害を招いた。エイズ過をもたらした非加熱製剤もそうである。しかし厚生省や環境庁は「熱ものに懲りてなますを吹きすぎた」か、ダイオキシンでは明確な健康被害も確認してないのに早期に対応したのである、なぜか?そして自民党から共産党まで全政党あげて立法化に走ったのである。

 次回パートⅢではダイオキンヒステリーを作った政治の役割とその背景にスポットを当て、皆さんと考えたい。
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# by ichiyanagi25 | 2003-05-21 00:00

ダイオキシンヒステリーと行政パニック

 去る3月23日毎日新聞の書評欄に建築家の藤森照信さんの評が載っていました。
紹介された本のタイトルはズバリ「ダイオキシン」(日本評論社-1600円)で、副題は神話の終わりとあります。記事の見出しはウソとその上塗りだった危険情報とありました。
ベト、ドクちゃんも嘘 我が不明を恥じます
ベトナム戦争の枯れ葉剤被害者(催奇形性の問題)としてキャンペーンされたベトちゃん、ドクちゃんは枯れ葉剤に含まれていたダイオキシンのせいと言われた。ゴミ焼却場からダイオキシンが出る。これで私も舞い上がった一人です。特に追浜に焼却場を作ると言われた時代兎に角煙の出る施設だけは作らせないように奔走し、今のアイクル(日本一高額なストック施設)になったわけです。
 しかし、先ずこの書評を読んでびっくりした。どうも全て嘘の上塗りだったらしい。とこの本の著者化学者の渡辺 正氏と健康学研究の林 俊郎氏は書いているのである。
 TV朝日ニューステーションが取り上げた所沢のホウレンソウ騒ぎ、更にダイオキシン汚染地域で新生児の死亡率増加との報道。これで全国ダイオキシンヒステリーになり学校のゴミ焼きから焚き火まで全て悪と決めつけ駆逐した行政はこの様にパニックに陥った。そして産廃処理場、処分場が危ない、焼却炉近くの住民はダイオキシンにやられているとNPOが騒いだ。火付け役は宮田秀明氏と長山淳など埼玉のNPOで母乳はダイオキシン汚染されアトピーを生んでいるとまで言った-指摘。
 そして何と自民党、公明党の与党から、民主党までがこれに乗り「ダイオキシン法」を議員立法で早々に成立させてしまった。こんなに早く与野党合同で公害対策の法律が出来たのはこの日本では例がない。しかし全てこれらは化学的根拠のないキャンペーンだったとい。ダイオキシン法も科学的根拠のないまま制定され、昨年暮れまでに全国の自治体は法に対応するため巨額の税投資をしたのである。むろん本市も南部工場に数億円の対策をした。我が市議会でもダイオキシン対策を促進せよと言った議員は私を含め何人もいるが「根拠がないから止めなさい」と言った人はいない。言えば袋叩きにあい当選しなかったかもしれない。 
 書評を読んだのは丁度予算議会中で、しかもその後すぐ選挙がありこの本を読む暇が無かったが選挙後に早速この本を読んで愕然とした。
改むるに憚ることなかれ
 先週公害担当の課長と環境部長にあいこの本を示し見解を聞いた「科学的に見れば根拠が無く、これで死んだ人は誰もいないし人体に悪いものは他にある」とも。部長はみんなが騒いでいるとき「これは違うと思うはとても言えない雰囲気だった」「先生達はその急先鋒だったでしょう」とも言われた。これにより今のゴミ処理体系と4分別方式になったわけだ。しかしこれ以上のダイオキシン対策で市税が使われるとしたら大変だし、焚き火をしても警察に通報されるような現状はどうかしなければいけないと思った。この本に書かれていることが全て事実なら旧石器ねつ造事件と同程度にNPOの責任は重く、舞い上がった国会議員以下私達まで責任を感じる必要がある。
 パートⅡとして次回はこの本の内容を詳しく紹介するが、反論される方は是非メールで連絡を
下さい。反論は科学的に願います。なお近々掲示板を復活する予定です。
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# by ichiyanagi25 | 2003-05-18 00:00

制約をはねのけ皆さんとの約束を守ります

 ----会派離脱の説明-----
 5月9日臨時市議会が開かれ正副議長など議会人事が決まりました。
10日付け神奈川新聞に詳しく載っていますが議長に神保氏、副議長に松井氏が就任しました。地方議会は議院内閣制でないため閣僚ポストはありません。従って議員を何期かやると議長が最高のポストとなり、陰に陽にそれを目指すわけです。また正副議長になると行政が計画や議案などきめ細かく報告するので情報量が豊富になります。それをどう活用するかは議長になる人の資質にかかわる事は申すまでもありません。
離団の経過と理由
 私が所属していた研政21は2000年の暮れ私を含む旧社会党系議員6名と民社系5人の計11人で構成された会派です。統一のキーワードは労働団体の日本労働組合総連合会いわゆる連合の組織内または推薦議員であること。これで一緒になったのですが労働組合の組織内候補でない私には次第に窮屈さを感じるようなりました。
 決定的に違うのは与党意識、民社系の方は本来地方議会にはない「与党意識」が強く働いての議会活動と感じました。私は市議会に与野党はなく是々非々だと常々と表明していました。
 旧社会党時代は悪いものには反対という態度で横山市長の埋め立てやオペラハウスの建設など無駄な公共事業、環境破壊を起こす事業には反対してきました。その為私が初当選した91年から94年までの当時の社会ネット市民連合は7名いたのに議会人事では徹底的に干され、私達を飛び越し5名の民社クラブに主要ポストが回されるのに抗議(自民の一部も支援)したため、臨時議会は常に深夜または夜明けまで行われていました。この時期今度離団の原因となった先輩議員は、理不尽な議会人事に頼もしく反論、保守系議員をたじたじとさせるなど尊敬に値していました。
 しかし時が流れ市長選で沢田市長支持に廻り、そして会派合流してからは段々に是々非々を厳しく貫く姿勢が弱くなっていると感じていました。研政21結成前では社会民主市民連合は美術館について市民アンケートを行い民意を反映して予算案に反対しました。沢田市長は反対を受け即建設から市政100周年事業とすることにしましたが、私個人としてはは財政状況と横須賀らしさには海を活用した方がよいとの考えから基本的に反対でした。2000年の教育経済常任委員会予算審議では美術品購入を巡り私の質問で数時間審議ストップをさせたりしました。
美術館予算を巡る会派内圧力
 一昨年からは中央駅前の図書館建設(駅南開発)で市は一民間企業と不透明な形で事業を進めていると建設常任委員会で追及し、次々資料請求をして問題を明らかにしていくと市長は昨年9月この建設計画の白紙撤回を表明しました。どういうわけかこれと符合するように私に対する団長から制約が多くなりました。この件で市長助役の責任を問うため委員会に呼ぼうと言った時も『そんなことをするな』と止められました。猿島横でやっている泥棄て事業の環境問題についても陰に制約をかけられました。後に彼の知人が市の許可に関与していたからと解りました。
 また昨年12月議会でセカンドオピニオンの保証などで一般質問した際も団会議で団長から『質問しない方がよい』と言われました。私は質問権の制約として構わず質問し成果を上げましたが登壇時、会派全議員拍手一つない冷たい対応でした。
 そして極めつけは美術館予算に反対したいと2月に申し出たところ、団長は即座に『反対するなら会派を出ろ』と言ったことです。この時は私から離団表明する必要はなく、出ろと言われればそれまでとの態度をとりました。
 私は団会議で「年に一度あるかないかの意見の違いは認めてほしい」「会派として許容度をもってほしい」と理解を求めましたがごく少数の擁護論はあったもの、これからの予算決算、毎回反対するのであれば一緒にやれないと言うのが会派内の大方の意見であり、私の要望は聞き入れられずに選挙を迎えました。
政治理念に疑問符が付く人を議長には出来ない
 選挙前に『今後も美術館予算に反対なのか当選したら返事を4月30日までに持ってきて欲しい』とのことなので会派届けを出す時次のように答えました。「今回の選挙で訴えた事は(3500票の)支持を得た、選挙時反対を言って当選したら賛成はあり得ない今年の決算、来年の予算時は何れかの方式で反対を表明する」としました。
 すると選挙前とは違い会派を出ろとは言われずこの件は、決算時(12月)まで棚上げとなりました。正直アレレとの感じをもちました。会派構成は山ノ上氏が落選し選挙前から1議席減の10人となり、私を抜けさせると第2回派となり議長を出せなくなるからかなとも思いました。同時に、この会派にいたら美術館を含め民意の反映が出来ないと思い、離団時期をいつにするか一部の方たちと相談し出しました。
 4月28日の当選証書交付直後から議長ポストを巡り、新政会(10)研政21(10)自民(9)公明(7)で談合的調整が頻繁に行われるようになりました。
 新政会は第1会派となるため2年前に新政会を抜け自民入りした加藤行一議員を引き抜き10人とする奇策劇も演じました。加藤氏の寝耳に水の離団劇に自民は激怒していました。ポスト取りを巡ってはこんなことを含め何でもありの議会なのです。
 私は議長になりたい人は考えを表明し、選挙で決めるべきと思い新人議員達ともその話をしていましたが実現せず、紆余曲折の結果私に圧力をかけ続けた人が各派の話し合いで議長になるであろうことが7日午後に分りました。この様な人を議長にさせるわけにはいかないと思っておりましたので、その晩急ぎ後援会幹部と相談し、また翌8日時間のない中関係組合にも連絡し離団について了承を求めました。
 離団を効果的に行うには8日中に団長に届けねばならぬ事から8日午後4時、議長候補である内藤団長に合い「これまでの経過から貴方が議長になることは支持できない、故に離団します」と離団届けを手渡しました。しかしこれからいろいろな方向から様々な圧力をかけられるだろうと思います。
民意は我にあり・・・・効果的な活動を開始します
 今回当選してきた無所属の新人議員達は美術館に反対する人が多く、私よりも強く反対論を述べています。選挙中美術館は急ぐべきでないとの声を多く受けました。私も美術館より医療福祉の充実を訴え大きな支持を頂いたわけですから、この意見を最大限に尊重します。民意を受け同じ考えの議員達と連係し、近々美術館反対の署名活動に入りたいと思います。そして皆さまの思いを市長に伝えます。
 これからも市民の目線で是々非々を貫きます。 ご支援お願いします。
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# by ichiyanagi25 | 2003-05-12 00:00

会派を抜け無所属になりました

 昨8日午後、会派研政21の内藤団長に離団届けを出しました。理由は「美術館予算に反対するなら会派を出て欲しい」と言う人を議長に推すことは私の政治信条から出来ないからです。会派に残ることはその人を信任することに通じますので離団しました。
 政治は一寸先は闇と言われるように、その人が議長になることが分かったのが一昨日の午後二時半であり本日には議長選挙が行われるため、多くの方と相談できる時間がなく結論を出さざるを得ませんでした。その点お詫びいたします。ご理解賜りたいと思います。
 私は会派を抜け無所属になりましたので他の無所属議員の方と連係を取りながら多様な論議の保証、また議員の判断を拘束しない柔軟な議会となるよう努めます。また民意が反映される議会の実現に努め市長に対し是々非々を貫きます。今日の議会人事の結果を含め後日詳しく報告いたします。選挙時頂いた皆さまの支持を決して忘れることなく行動します。
 ご質問があれば気軽にお寄せ下さい。   メール:umihiro@bc.mbn.or.jp
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# by ichiyanagi25 | 2003-05-09 00:00

国際海の手文化都市の帆船パレードに思う

 5月3日好天、べた凪の中ペリー来航150周年記念の帆船パレードが行われました。
  帆船の航海は混雑する東京湾内ではなく房総沖の外洋に出て行わないと意味がないと一度委員会で指摘しましたが、今回案の定久里浜沖の浦賀水道航路入り口から北上するコースを取ったためサービス精神あるロシアの帆船パラダを除いてメインの日本丸など大型帆船は帆は閉じて機走(エンジンで走ること)するのみ。
 このコースを取れば、当然浦賀水道航路沿いを走るのですから、帆を張ると流される恐れがあるため帆は張らないことになります。羽を広げないクジャクの行進を見るようで何とも締まらない「帆船」パレードになりました。
 帆船は帆走するからこそ帆船なのです。帆を閉じて機走のみでは大航海時代のロマンも感じないし、何よりダイナミズムの欠片もありません。前の市長は「わしゃ泳げんから海は怖い」と言ってましたが現市長の海に対する文化度もいかがなものでしょうか。
  これだけの船を集めるのは関係者の相当の努力がいったことでしょうし、パレードを含む帆船フェスタに7千万円ほどの予算が組まれています。大切な税金を使いながら迫力のない帆船パレードにがっかりしました。
 選挙で忙殺されたのと3月議会では家賃滞納や美術館問題でのチエックに気を取られ建設常任委員会で中身をじっくり点検しなかったことが悔やまれます。海仲間は気の抜けたものを「潮ッ気が足りない」と称します。市政の潮ッ気を大事にして甘くならないよう良く点検し、しっかり意見を述べていき たいと思います。
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# by ichiyanagi25 | 2003-05-07 00:00