2009年 02月 25日
一色な報道
23,24日は全てのテレビはアカデミー賞の外国映画賞で「おくりびと」が受賞で一色となった。まさに地球温暖化報道のように洪水のごとく、一色であった。
これで再上映館も増え、DVDも鳴り物入りで発売され、経済活性の一助になると思えば、おめでたい。
昨年秋この映画を見たが、観客もそれ程多くなく、佳作とは思うがもう一度見てみたい程の映画とも思わなかったしオスカー騒ぎでもその気は変わらない。
誰でも体験する死をテーマに家庭の崩壊やそれぞれに人生がある事を気づかせてくれる映画である。ニューハーフの子供の死を男親がとまどいを振り切り「女であろうが男であろうが俺の子に違いはない」と言うセリフは一番感動的だった。脇役の山崎努の存在感はぴかいちだったが、主人公の妻役である広末涼子のリアリティの無さにガックリした。少女時代までは良いが大人になる程、成長を感じさせない、吉永小百合の2番手的な大根役者になる予感がした。
またオスカー受賞で世界でこの映画を見る人も増えそうだが(原作本も注文殺到だそうである)、外国人が日本全国でこの様な納棺師が存在すると思ったら著しい文化の誤解を招く。齢59の私ですら、今まで横須賀で納棺師なるものを見たことはないし、子供の頃「湯灌」という言葉は聞いたがその頃既に寺で遺体を洗って着替えをさせるなんてところは見たことはない。
映画では東北の酒田(庄内地方)となっているが、原作青木新門・著『納棺夫日記』は富山の話であり山形をモデルにしたシナリオなので原作者は映画化を拒否。タイトルを「おくりびと」にかえ映画化されたと解説にある。まあ酒田から事実と違うと抗議もないようだから富山でも山形でも納棺師は存在するのだろう。
ところで日本映画の外国映画賞受賞は「宮本武蔵」 以来だそうである。しかし外国映画賞が出来た当時、日本では黒澤、小津安、木下恵介など優秀な映画監督やシナリオライターの映画が多かったのに受賞しなかったのは何故だったのだろう。
あるブログに麻生をアメリカに招いた時期に受賞させたのは、オバマ政権の裏があるのではないかという観測があった。まさかと思うが全くの的はずれとは思えない。今回の訪米で死に体麻生が、ごっそりツケを負わされた可能性は強い。マスコミが何処まで報じるかだが、麻生総理を招いたのではなく「日本の総理」を招いたのだという解説はいくつかであった。政権交代後の民主も麻生に言っておいたことは引き継げと言うメッセージなのだという。死に体麻生の納棺師をアメリカが務めたとすれば合点がいく。
創価学会政治部代表テレビ出演
昨日のテレビはおくりびとフィーバーで食傷したが、一夜明けて今朝のテレビで又驚き不快な気分になった。公明党党首が毎日系テレビのTBS朝ズバに出演しているのである。ところで80年代までは社会党は総評政治部と揶揄された。総評の力は今の連合より凄く社会党も野党第一党の存在感があったからである。今この種の比喩を用いるなら公明党が当たるだろう。公明党が創価学会政治部であることは国民あまねく知る所だが、マスコミを巧妙に支配している事は情報操作故、知る人は少ない(だから操作なのだが)。
今や地上波テレビの歌番組やバラエティ番組では創価学会系のタレントの出演が如何に多いかが指摘されている。民放ラジオでは創価学会のコマーシャルも聞く。新聞各紙には広告も載るし、毎日新聞では特に印刷面で抑えられたことは前から指摘されている所だ。発行部数が極度に落ち込んでいる毎日新聞にすれば救世主的かもしれないがメディア支配の観点からすれば見逃せない重要なことだ。
テレビ新聞で定額給付金は究極の選挙資金になるとの報道や分析はほとんど無い。定額減税でなく納税していない子供、年寄りにまで「配る」のはまさにそこに狙いがあると思うのが政治の裏読みだろう。故に7月の都議選までには全国自治体で確実に2兆円が定額給付される。
# by ichiyanagi25 | 2009-02-25 11:30