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ニュースに騙されないⅡ


ニュースに騙されないⅡ
 鳩山政権での来年度予算編成が終わり25日2010年度予算案が公表された。
 私は情報操作確認の為、アメリカ&自民党よりの読売新聞を購読している(勧誘セールスには応じず何時でも辞める契約で景品などには釣られない)。
  相も変わらずの民主攻撃であるが、小泉時代に総仕上げしたアメリカに金を貢ぐことと、市場原理主義の格差体制を如何に変更するか、それが予算に現れているか見た上での論評がない。アメリカの言いなりで格差社会にしたことを野党自民党も小泉を支持したマスコミもこの点はタブーだから絶対に触れ(られ)ない。92年からの米政府からの対日年次要求書のこともマスゴミは公式に報じていない。ただ今回の予算案批判の民主攻撃しても自民は国民に見限られているから、一斉キャンペーンも自民復調には繋がっていない。これは国民の賢明な判断だが、これから「情報操作」される可能性があるだろう。
 子供手当にしても所得制限論など手間のかかることより、所得税の累進課税(80年代最高税率70%を現在40%にしている-いずれも自民政権)を見直した方が格差解消に繋がるし、金持ちからは手当以上が取り戻せるのだが、この四半世紀金持ち及び大企業優遇税制を誘導してきたマスコミはこの根本に切り込まない。
  しかし今回の子供手当報道で2千万以上の高額所得者は所得者の0,1%(全国平均)とは恐れ入った。横須賀市では300人ほどしかいないことになる。一億総中流など遠い昔の話で、これでは消費は進まず、従来型の内需拡大策は有効なのか疑問に感じる。この点成熟社会で下層階級を多く出さないシステム作りが必要と思う。
 ガソリンの暫定税率廃止のヤメについては少しは残念だが、21世紀の人頭税とも言うべき究極の悪税、すなわち吸わないと生きてられない「大気に税金」をかける「炭素税」などに代えられるなら、暫定税率を残した方がましと思っていたから許容範囲だ。
 高速無料化も一気にやることないだろう。それよりも幾らコンクリートより人と言っても公共事業を切り捨てすぎているようにも思う。ダムや道を削るのはよいが、海や川の環境改善の為の公共事業は必要だ。が、ここを指摘する人が少なすぎだ。
 やっかみを煽る 
 鳩山総理の「献金疑惑」報道もどうかと思う。政治献金は賄賂性が一番問われるわけで、国民が損害を受けていない事にメデイァが騒ぐのは公器の役割(優先順位)から外れている。母からの「献金」は賄賂性はなく、それを国税庁に届けなかった脱税(不申告)の問題だ。
 庶民感覚とは違うと盛んに言うが、鳩山総理に庶民感覚求めてどうなるの。彼は日本では馴染みが無い階級、言わば貴族階級なのだ。「貴族」を庶民と同一に論じるのがおかしいし、降りてこいと言うのはナンセンスだ。
 10年ほど前の夏、芝浦の会議場で偶然由紀男氏の隣に並んだことがある。北川氏が三重県知事をしていた頃で「この暑いのに上着、ネクタイなどしていたらアカンよ、さあ脱ごう」と提唱して、菅直人氏やがんで亡くなった今井澄さんなど6,7人来ていた民主党国会議員は皆上着を脱ぎネクタイを外した。その時由紀男氏のYシャツ(ウグイス色だった)の光沢に驚いた印象がある。どうやら絹のシャツらしい。私の背広代でこのシャツは買えるのかと思った記憶がある。絹の靴下は貴婦人の代名詞のようだが、絹のシャツを着ている男が鳩山由紀夫なのである。持っている金の桁が三つほど違う、庶民性がないなどは当たり前で今更そんなことを求めても誰の利益にもならない。庶民性など持たずとも内閣を率いて格差是正と社会保障をしっかりやればよいのだ。
 また何故安子ママが二人の息子に惜しげもなく金を貢かは文春1月号に出ていた。艶聞の耐えない義父の一郎、その息子で夫の威一郎。ブリジストンの創業社長石橋正二郎の長女、安子は高峰秀子が昭和2,30年代に演じた「昭和の耐える女では」なかったという。亭主の不倫に、家で母としてジッと耐えるのではなく、自分も幼子をおいて新橋のダンスホールに通い若い男とチークダンスにふけって、週刊誌ダネとなったこともあったと書かれている。世間にも知られた安子の夜遊びを鳩山家は強く戒め音羽御殿に「軟禁」した。
 義父一郎らと暮らすことになった、安子は「これで私の人生は終わった」と知人につぶやいたという。御殿に軟禁されたあと、人生の目標を「二人の息子を総理にする」に切り替えたと、ノンフィクションライターは推測している。そして帝王学に関連し石橋家には保守政治家への巨額な支援をし続ける政治ファウンダー系列があると。
 正二郎は、三木武吉、河野一郎ら保守・党人派の支援を行い、保守合同や新党結成を支援した。その血が安子にも流れているという。だから腹を痛めて生んだ二人の息子に対し月1500万の支援など惜しげもないと・・・。
 私の母は昨年90でなくなったが、実は政治に強い関心があり、田川誠一さんの熱烈な信奉者であったし、初立候補時は随分私を連れ、挨拶に回ってくれた。職工だった我が家には不幸?にも蓄えがそれほどなく、1万5千円も貰ったことはないが(自分で決めた選挙だからねだりもしなかった)息子を政治家として大成させようとする母親の気持ちはスケールは違うが分かる気がする。だからマスゴミには「大衆のやっかみを煽る報道はいい加減にしたらどうか」と言いたい。
国債は借金か 
 今回の騙されないは、国債を借金と表現するのは大間違いである事を取り上げたい。これは名古屋市長になった河村氏が衆議員時代から再三述べていたことだ。彼がテレビで「国債は借金ではねえ、国民の資産でねえすか」と発言しだすと、いつもそれを止められるか、話題を変えられ話の途中で遮られていた。私は河村氏の議員ボランティア論など、考えの9割に反対だが、この指摘だけは賛成だ。
国債の発行残高が政府の負債残高となり、これをマスゴミとテレビに出る評論家はおしなべて借金と称し、ご丁寧に割り算して国民一人当たりの借金〇〇万円としている。これは自公政権の時もそうだった。今回の予算案にも国債発行(借金)は悪として44兆円にもなったとはやしたてる。これは産経から朝日もそう変わらない。
 では政府に金を貸す、その貸し主は誰なのだろうか。国債を買うのは主に年金機構や邦銀等の機関投資家であるし、個人投資家と称される我々国民も買う事が出来る。我々が国債を買う時はドルで払っているだろうか?すべて円で売り買いしているではないか。
 邦銀も国民の預金で国債を買っている。現状のように民間の投資意欲が活発でなく、かつ又貸し渋りが横行する状況では、銀行は国債を買わねば資金運用が出来ずに利ざやが入ってこない。要するに多くの国債を買っている機関投資家の原資は私達の預金や年金である事が分かる。だから国民を債務者扱いして「国民一人当たり幾らの借金」とするのは根本的かつ意図的な間違である。逆に国民は債権者(貸し主)とするのが正解なのだ。
 アメリカは大量の国債を日本や中国に押し付けているが日本は健全に国内で賄っている。ここが大違いなのだ。要するに政府は主権者たる国民から金(預金高1400兆円とも言われる)を借りているのである。 高度な経済知識を持たずともこの仕組みを理解すれば情報操作は受け付けない。
 だいたい歴史上自国建通過で国債発行している国家が破綻した例は一つもない。こんな脅しを国民に言うのは日本だけとも言われる。テレビに出ている評論家共は全て御用が付き嘘で世論誘導していることになる(「嘘でなければ知的レベルが低すぎる)が、多分本当のことを言うと干される「放送コードが」があるのだろう。ギャラの為みんなで渡れば怖くない地上波テレビだ。
 情報操作と仕掛け罠 
 国債については地球温暖化と違い河村氏のように少数はメディアで事の本音を語らせているが、国債を借金と表現する意図は何かを探った方がよいかもしれない。
 26日の読売社説では『国内だけの国債は消化は可能との指摘もあるが』としてこの論を秘かに認める表現をしているが、(国債は)いつまでも続くわけはなく安定した税収をと続けている。衣から鎧が見えた気がする。増税のマインドコントロールをこぞってやっているのかもしれない。しかし所得税の累進課税の見直しは言わないから逆進性の強い消費税率アップが目的か?。
 もう一つおかしいのは政府も「国債は国民の借金ではありません」と説明しないことだ。自公の時も今の3党連立政府も言わない。これが一番薄気味悪いが、国民が貸し主なのだから、税収が少ない時は多めに都合(国債発行)してさしつかえない。特に国民の資産をアメリカの国債を買うより自国民の為に使うことは全く問題ない。
 なお政府要人がアメリカ国債を売りたいとか買わないとやると橋龍(小泉政権時の日歯連献金)や中川昭一のように「はめられる」らしい。政敵をはめる手口は金か酒か女の3種類が古典である(金は角栄、小沢、宗男、橋龍等たくさん。女は痴漢容疑や、この頃は酔っぱらった所の手鏡覗き何て言う手もある)。最近はそれ+かっぱらい検挙(埋蔵金を指摘した元財務官僚高橋洋一の例)がある。それでも目障りだと判定されると最悪は消されるらしい(愛犬ポチ?の薬殺仇討ち理由という不可解官僚OB殺害もあった)。
 疑問に思うセンス
 地球温暖化にしても出しては悪いとされるCO2を何故取引(商売に)して良いのかと言う素朴な疑問。今年2月イタリアでの中川昭一朦朧記者会見を白川日銀総裁も財務省官僚も側についていながら誰も止めないしフォローしない、誰が見てもおかしなこと、をおかしいと思っているといろんな情報に接触する。疑問に思う感性が政治家とジャーナリストに求められる。
 朦朧会見の原因となった「ごっくん」したとかしないとかの昼食時、中川に同席していたのが読売の越前谷知子(ドラマ的な名だ)であり、もう一人は日テレの原という女性記者だったとテレビに出ない人は書いている。インターネットではしきりにこのお姉ちゃん達がワイングラスに一服盛った(メディア攻撃と野党追及の為)と書き込まれていた。なおこの女性達は同席の事実を含め反論せず、取材もされない。また白川総裁への「何故大臣を止めなかったのか」とのインタビューも見たことがない。
 この辺で止めるが報道に接する時何が国益(国民の利)かは常に考えたい。
 今日の合い言葉もニュースに騙されないである。

by ichiyanagi25 | 2009-12-26 21:25

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