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あいもかわらぬ日本の戦争映画

あいもかわらぬ日本の戦争映画
 映画「アルキメデスの大戦」をみた。
 戦後74年、あいもかわらぬ山本五十六に対する肯定映画。海軍内の和平トリオとか名将論に元ずく刷りこみ映画の範疇を出ない、創作作品である。 
創作が過ぎて真実が遠くなる
 見ていて原作は多分漫画だな。と思ったら、やはりコミックからの映画化とある。
 昭和の海軍がなぜ米軍相手に戦争したのか。その負け戦の結果が、今日のアメリカの属国を招いている事の、現代史の真実をうやむやにする映画でもある。
 原作者が大艦巨砲派と航空主兵を説く山本らの対立をゲーム感覚で、一人の天才数学者がいたらと仮定して、大和建造について観念的な批判をした映画となっている。
 また昭和期に作られた戦争映画と違って、戦後に生まれた俳優が演じるからか、軍人役の俳優が皆小粒で、全く存在感のないことが、見ていてとても気になった。
 山本五十六(舘ひろし)が一人の天才数学者を利用して大和型戦艦の建造しようとする勢力の低予算で作れるという「虚偽」を暴くというストーリーだが非現実的すぎる。
 実際、大和型戦艦2隻の建造がきまったのは、ワシントン、ロンドンの両軍縮条約廃棄に伴う、無条約時代に入って、対米戦争のために建てた海軍第3次拡充計画(通称まる三計画-1937年から建造)による。当然国会での承認を得たものだ。
 各艦の建造費は国会審議で明らかになるので、2大戦艦の建造費は、低めにしてその不足分を駆逐艦や潜水艦予算にしているが、それをヒントに少なめの建造予算額を暴いて、戦艦無用論を展開するというストーリーだ。軍艦の鉄の重量だけで、建造費を算出するという公式を作ったと言うストーリーもナンセンスである。
 史実は日本の条約破棄により軍艦の保有制限がなくなり、軍縮条約締結の時に海相加藤友三郎が指摘したように、国力の差から日本は建艦競争にはついて行けず、日本はすぐに劣勢となる事は、海軍内でも常識で、1943年以降はアメリカの軍艦、飛行機が大量就役すると見込んでいた。
 だから、短期決戦、早期講和しかない。というわけだが、日本が勝っている内の早期講和にアメリカが応ずる事はあり得ないことは、少し考えれば分かることだが、是までの日本映画は、山本の早期講和論故の真珠湾攻撃を批判したことは一度もない。
 対米戦争用の、まる三計画では大和型2隻だけが計画されたのではなく、戦前空母の集大成である、翔鶴級空母2隻の建造も入っている。
 だから山本ら航空主兵勢力が負けたわけでも何でもない。但し、この戦艦2隻と新大型空母2隻の完成が開戦に踏み切らせた事は間違いない。空母2隻は1941年夏から初秋に完成し、真珠湾攻撃に加わっている。大和は開戦直前の11月に完成、2番艦武蔵も1942年初頭に就役している。
 映画では「尾崎造船所」にもう1隻を発注しとあるが、日本の軍艦建造は重巡以上の主力艦においては、プロトタイプを横須賀か呉の工廠で作り、2番艦以降を三菱造船所と三井系の川崎重工に作らせるのが常である。尾崎造船所では、偽名が過ぎて三菱、三井がイメージできない。
戦前日本の支配構造が描かれていない
 横須賀と呉の海軍工廠と三菱、三井、要するに三菱(ロックフェラー資本系)と三井(ロスチャイルド資本系)の4造船所で主力艦を作ることは日露戦争以降(軍艦の国産化)に確定した。なお後2つの佐世保と舞鶴の工廠は、軽巡以下の水上艦艇と潜水艦の建造がもっぱらである。
 だから、まる三計画の戦艦は大和は呉、武蔵は三菱長崎で作り、空母翔鶴は横須賀、2番艦瑞鶴は川重神戸で作った。閨閥政治というか、帝国主義国家のキッチリとした「お仲間体制」の中で作られているのだ。だから映画のような、海軍内の戦艦派と空母派の抜き差しならぬ対立はなかったのである。一方日本に対抗するアメリカの大量建艦計画も公表されているから、陸海軍も良く承知していた。
 こう言う当時の支配構造を日本の戦争映画は一切描かない(描いたのは山本薩夫の「戦争と人間」くらい)。なぜ何時までも山本を名将として描く映画しか作らないのか。
 また山本ら海軍和平トリオ(山本、米内、井上成美)も戦後に作られた創作である。この事実を現代史に関心のある人は考えた方が良い。
 この3人のうち特に米内と山本は米と繋がっていた可能性が非常に強い。是は今回詳述しないが、東京裁判で海軍から死刑が出なかったこと、米内は日中戦争時、総理、海相を務めて中国爆撃を繰り返したのにも拘わらず、起訴もされなかったことで十分証明される。
海軍知能犯とアメリカの関係
 またポツダム宣言受諾時、米内海相が陸軍に全責任を押し付けることで、天皇と海軍を免責しようと米と終戦工作していることを掴んだ陸軍が描かれる事も絶対にない。
 大本営機密日誌、8月14日付けに阿南陸将の割腹前の伝言の中に「米内を斬れ」が1行書いてあるが、半藤一利や保坂正康など昭和史の調査人にしても、この件については触れたがらないし、見事に見当外れな見解しか出していない。
 事実は、この命により阿南に近い陸軍下士官が、敗戦後1年に亘り米内をつけ回すが、何処かにかくまわれ、実行にいたらずであったと、7年前、海軍研究家の戸髙一成氏から私が聞いている。
 ここまで具体に聞けたのは初めてであったが、戸髙氏も余りこの聴き取りを紹介していない。戦後の戦記物(文藝春秋社や新潮社が海軍善玉論を流布)や東宝を中心とした海軍映画では陸軍悪玉論を展開し、そして山本の航空主兵論を先見性ある名将として、国民に刷り込んできた。
 この映画でも航空主兵論を盛んに説く山本であり、開戦時の軍令部総長である永野修身(國村 隼)を山本の同志として描いている。
 山本は名将でも何でもない。航空主兵を説くのは良い。しかし航空機から軍艦を守るレーダーを含む対空兵器の開発や、艦隊防御の方策をまるで考えていない。また航空機の防御防弾、パイロットの人命重視の救助体制(コンバットレスキュー)も、一切考えていない。
 一番の問題は真珠湾攻撃はアメリカの為であったことと、短期決戦などあり得ない事を映画、出版物が全く批判しないことだ。
覇権を取る実力と本気度が違った
 アメリカは満州を始め日本の中国支配で、アジアの覇権を日本に取らせることは絶対反対であり、日本を潰す事を決意して、アメリカに刃向かわせるように挑発し続けたのだ。
 日本が対米戦を決意しても国力から、アメリカ全土の制圧など考えもしなかったのに対し、アメリカはアジア太平洋の覇権を獲得するために、日本本土占領と無条件降伏に追い込む事を一貫して考えていた。そしてその通りに太平洋の島々を抑えて日本に至った。
 対日戦に入るには日本が騙し討ちでアメリカを先制攻撃させることが、米国民を立ち上がらせることになるとして、山本の真珠湾攻撃を許した。
 真珠湾攻撃は騙し討ちと、宣伝されるが、おかしな事に戦後日本は一切、是に反論しない。ネトウヨや安倍などは押し付け憲法論を言う前に、是こそ米の騙し討ちだと反論すべきではないのか。
 野村特使が真珠湾攻撃の1時間後にハル国長官に届けに行ったのは、宣戦布告ではなく、日米交渉の打ち切り宣言である(ここも多くの日本人は誤解させられている)。
 この点について東京裁判史観でアメリカ支配を肯定する者も、また反東京裁判史観の右翼連中のいずれも、騙し討ちではないと事実関係を指摘しないのも極めておかしい。
 宣戦布告は日本時間12月8日午前にグルー大使に東京で手渡されている。この事も出版物や映画で全く触れることはない。
 だいたい真珠湾攻撃より1時間半前に、アジアのイギリス、オランダ領の資源地帯に陸軍が敵前上陸している。12月8日朝の臨時ニュース、大本営陸海軍部の開戦を伝える放送(映像)がネットで聞けるが、「帝国は本8日未明、西太平洋上において英米と戦闘状態にいれり」と述べている。ハワイが西太平洋ではないことは明らかである。
 真珠湾攻撃よりこちらが早い先制攻撃なのである。それなのに真珠湾攻撃の映像ばかりが流され、洗脳される。
大和、武蔵がまったく活躍できなかった訳
 もう一つ山本や海軍批判が足りないことがある。それは大和も武蔵も、、またそれまでの連合艦隊旗艦であった長門、陸奥を含めて、なぜこの4大戦艦が戦闘に貢献せず、無様に沈んだかである(陸奥は事故爆沈、長門は戦後原爆実験で沈没)。
 山本はミッドウエー海戦で大和、長門らの大艦隊を空母部隊より2百海里以上も離れた安全圏で後続(意味のない大名行列と海軍内でも批判が立った)。
 また大和型戦艦に対抗して作られた米戦艦、ノースカロライナ級やサウスダコタ級戦艦(1942年就役)は、ガダルカナル争奪戦やソロモン海の戦いにドンドン繰り出してきたのにも拘わらず、山本は明治末から大正前期に作られた金剛型戦艦4隻しか使わなかった(2隻がガダル争奪で撃沈される)。
 特にガダル争奪時の何度かの海戦で大和、武蔵を出していたら、本望の戦艦同士の戦いで米新戦艦を屠ることも出来ただろう。なぜならこの時期の戦いでは、日本海軍は互角の戦いをして多数の巡洋艦、駆逐艦を沈めているからだ。
 山本はアメリカに勝つ気がないから、ミッドウエーの作戦指揮も全く中途半端で、無責任にも4隻の空母を失わせた。ガダル争奪戦から始まるソロモンの海戦でも、見るべき作戦がなく搭乗員を大量戦死させ、海軍航空部隊をすり減らし、敗戦の筋道を作って死んだ。
 こんな者の何処が反戦派で、かつ名将なのか!
 4年前に海上自衛隊のOBで海軍批判の著書も多い人に、なぜ日本はエアカバーが十分ある時期に大和、長門型の戦艦を使わなかったのかと聞いたら、「余程航空攻撃が怖かったんでしょう」と言う答えだった。
 是は日本海軍艦艇の対空防御がまったくなっていない事の裏返しで、海軍首脳部が怖れていたと言うことだろう。大和、武蔵は航空支援(エアカバー)がなくなってから出撃させられ、航空攻撃によりシブヤン海と九州沖に沈んだ。
 まさに対空監視の索敵レーダーは米英に十年遅れ、対空防御に欠かせないレーダー管制射撃が出来ないから、アメリカの急降下爆撃機と雷撃機を落とせず、マリアナ海戦以降はぼろ負けである(だから特攻に行った)。
 エレクトロニクス兵器の圧倒的技術差は対潜作戦にも現れ、ろくなソナーも作れず、米英のような爆雷にかわる効果的な対潜兵器(リンボウやヘッジホッグ等の前投対潜兵器)の開発も出来ないから、潜水艦狩り役の駆逐艦が逆に沈められ、戦艦、空母も何隻も潜水艦に沈められている。一番は輸送船が片っ端から撃沈されたことが敗因だ。
信濃は完成しても活躍できなかった
 ついでに言えば横須賀で起工された大和型3番艦の信濃(6号ドックはこの為に作られた)はミッドウエー敗戦後に急遽空母に転用されることになり、1944年11月に進水するが、すぐにアメリカの偵察機(F13-B29の偵察型)に発見されたことから、横須賀から呉に回航し完成させることにした。
 しかし護衛役の駆逐艦長は、まず潜水艦に撃沈されると指摘し回航に不同意が多かった。その予測は即当たって、東京湾を出てすぐに米潜に追尾され、4発以上の魚雷をくらい潮岬沖で沈没した。
 降伏10ヶ月前の本州沿岸で、この始末。如何に日本海軍の対潜能力がアメリカに無力であったかが、この事一つでよく分かる。もう海軍には米海軍と戦える戦力はなかったのである。
 また信濃回航時に、航空機による対潜哨戒の記載がないが、実に不可解である。
 結論から言えばこの時期呉に回航が出来て、更に空母として完成できても、レイテ海戦以降であり、搭載機もほぼなく、かつベテラン空母搭乗員も激減して、機動部隊は編成叶わず、空母作戦は不可能であった。
 結果1945年7月の米海軍による呉大空襲で、他の空母や戦艦同様に大破着底で、何ら戦争に寄与することなく終わったろう。但し外洋での沈没ではないから戦死者はうんと少なくてすんだ。
 8月15日が過ぎて今年も戦争物のテレビ放送も終わるが、現代史、特にアジア大平洋戦争をキチンと理解することが、対米従属構造に気がつくことになる。
 同時に憲法前文にある、政府によって戦争の災禍が国民に及ばない様な選択を、主権者としなくてはいけないのだ。

by ichiyanagi25 | 2019-08-17 19:41

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