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小泉総理靖国参拝に思う


小泉総理が17日靖国神社を参拝したしました。
 一月前の選挙時は靖国は争点にしないと言っていたのに圧勝を受け、すぐ参拝するのは彼らしいやり方だと思います。しかし靖国参拝こだわる小泉さんの昭和史観、戦争観は私は相容れません。
 私は先の選挙期間中の9月4日、『靖国は争点にしない』との言葉が気になり30年ぶりに靖国神社に行ってみました(30年前は靖国神社国家護持法案が再三国会に上程されていた時期)。最初に行った時から30年、この間昭和史、日米戦争に至った経過など多くの書物を読み、政治家や歴史家達と論じ合ってきましたので、今回は小泉さんの思いは靖国の何所にあるのか改めて確認に行きました。
 靖国神社には遊就館という軍事博物館があります。そこで映画を含め3時間半程見学をしました。玄関ホールには零式52型戦闘機また艦上爆撃機彗星などが展示されています。猿島に4つ砲座が残る8サンチ高角砲の本物も展示してあります。兵器マニアにはそれなりの興味を引きますが問題はその歴史観です。
 そこで日中戦争から太平洋戦争に関してどの様な展示をしているか注目してみました。 先の大戦は靖国的には当然大東亜戦争という表現になります。遊就館のパンフレットのQ&Aにはこうあります。『戦争は本当に悲しいことですが日本の独立を守り平和な国として回りのアジアの国々と共に栄えて行くには戦わなければならなかったのです』。
 そうでしょうか。日清日露の戦争の後は当時世界常識であった列強が植民地を確保すると言う思想で台湾、朝鮮を植民地にして更に中国までを支配下に納めようとして泥沼の戦いに引き込まれ、その課程で傀儡国家満州国を作ったのが史実でしょう。これを「アジアの国々と共に繁栄を考えてのことだ」としてアジアの国々を説得できるとしたらおめでたい話ですが、これが靖国の歴史観なわけです。アジアのみならず世界は靖国神社の本質をみているから総理の参拝に同意しないのです。
 さて遊就館には大東亜戦争というコーナーがあります。真珠湾攻撃で米戦艦が濛々たる煙の中で擱座する写真の解説には『ルーズベルト大統領の陰謀により日本は開戦に至った』とあります。たしかにルーズベルトがパープル、マジックで暗号を解読し真珠湾攻撃を察知していたのは事実です。また開戦直前の日米交渉やハルノートにしても日本を挑発していていることは歴史を学べばわかりますが、冷静に外交、戦争を論じればそれに乗った日本の陸海軍部と政府閣僚が余りにお粗末であったと言うことです。
 11月に親友ブッシュさんが訪日するそうですが、ぜひ総理はこのコーナーにお連れして感想を求めたらと思います。マスコミもこの突っ込みをブッシュ大統領にしてみたらどうでしょう。
 命を尊ぶ軍人精神とは
 小泉さんは戦没者(英霊)の慰霊のために靖国に行くとの趣旨の発言をしていました。また特攻隊のことを思う自らが励まされるとの発言もしていました。ここにもすごく違和感を感じます。
 話がすこしそれますが敗戦60年目の今年、芙蓉攻撃隊の存在を知りました。この部隊はフィリピン敗退の後、生きのこり搭乗員を集めて昭和20年1月に作られた夜間攻撃を主任務にした部隊です。その飛行長美濃部正少佐(海兵64期)は部下思いで立派な海軍士官でした。
 美濃部大佐の立派さは沖縄戦の前に「貴官の部隊からも特攻機を出せ」と言われたとき抗命罪覚悟で幕僚達に向かって発した以下の発言に現れています。「全機特攻そして練習機まで特攻に出すとは何事ですか。全部グラマンに撃ち落とされます。ただ無駄に若者を殺しに出すのは作戦ではない。あなた方は対空放火の弾幕をくぐった経験がおありか。もし練習機を出して効果があると言われるなら、まずあなた方が飛んでみたら如何ですか。私が零戦一機で全部たたき落として見せます」。と発言しています。意を決した剣幕と「ならば貴官が飛んでみたら」と言われるのが嫌な幕僚達は黙ってしまったそうです。そして芙蓉部隊は終戦まで一機の特攻機を出さずに正攻法の攻撃を続けました。
 この様な指揮官の存在を知りこれこそ真の軍人としての勇気だと感じました。また部下思いの中堅上級将校が100人いたら無駄に死んだ兵士はもっと少なくてすんだでしょう。戦後、美濃部少佐は「特攻をエモーショナルに語ってはいけない。あの愚かな作戦とあの作戦によって死んでいったパイロットは全く次元が違うことも理解しなくてはいけない」とインタビューに答えています。更に美濃部少佐は1997年、81才で亡くなりますがその1年前の著書では「(高級軍人達が)特攻の濁流に若者達を投じたことが許せなかった」と書かれています。
この様な立派な軍人の存在が余り知らてれいないことも問題だと思います。自民党に美濃部少佐をたたえる人が少ないのも気になります。小泉さんも全く興味がないのか知らないのか美濃部のみの字も言いませんね。
 靖国神社は国民の死を悼んでいるのか
 再び遊就館に戻りましょう。沖縄戦の紹介でひめゆり部隊の戦没少女を祭っていると有ります。その戦争犠牲者の脇には持久戦に持ち込むため首里決戦を放棄して摩文仁撤退を命じ沖縄住民10万人を道ずれにした牛島司令官と長参謀長が祭られています。さすがに自決せず米軍に囚われた八原高級参謀は祭られてないようでしたが、長参謀長はいわゆる陸軍革新派で五一五事件の前年クーデターを画策した国士を気取る陸軍参謀です。首里決戦を八原参謀に封じられて摩文仁の洞穴に入ってからは「自決はまだか」と自決するまでウイスキーを煽り作戦指揮を投げ出した言われています。また首里城にいた頃は酒はもちろん琉球王朝系の女性をはべらかしていたともいわれるから何をか況やです。問題は国民の命を守らない腐った軍人達とその犠牲になった国民を一緒に祭っていることです。この事実を知り展示を見れば沖縄の人ならず憤激の思いに駆られる人も多いでしょう。
 A級戦犯合祀者でも14人のうち松岡、広田らシビリアンはともかくとして将官達は戦陣訓を守らず自決しなかった指揮官です。特に東条元首相は多くの将兵に戦陣訓を墨守させあたら降伏を許さず多くの兵士を死に追いやった一大責任があります。生きて虜囚の辱めを受けずと命じた陸軍大将が、逮捕収監に来た米兵を待たせピストル自決をはかった時は「気が動転し」弾が心臓を外れたとのことです。何とたるんだ軍人精神でしょう。虜囚の辱めは米兵の輸血で一命を取り留め「不当」なる東京裁判を受けて存分に果たしました。
 今年NHKBSで「あの時」という昭和20年をふりかえる番組が放送されています。東条逮捕の9月には作家高見順の日記が紹介されました。曰わく「自殺し損なったそうである、なぜ阿南陸省のごとく日本刀で古式に則って自決しなかったのか」と憤慨しています。この時多くの復員兵士は高見と同じ思いであったでしょう。
 自決も出来ないで権力だけ振り回した軍人達を「昭和殉難者」として祭る靖国ですがエリートはいざというとき責任を取るべきなのです。
 情けない高級職業軍人達を合祀し一方的歴史観を押しつける神社自体問題であり、私はお参りしない自由を守りたいと思います。まあ靖国神社は現在一宗教施設ですからカルト的に何をお言うと勝手ですが、一国の総理たるものが戦争責任論を自覚せずお参りする事は許しがたい。中、韓が抗議する以前に同じ日本人として許し難いのです。
 責任を取らない高級職業軍人
 今年はまた小泉さんが感激する陸軍特攻基地、知覧にも出かけてみました。
 知覧特攻平和会館には17才から20代前半の若者で殆どしめられる特攻兵の写真と遺書が展示されています。たぶん検閲済みであろう遺書が多いのですがそれでも遺書を読むと目頭が熱くなります。しかし写真と階級をよく見ると死んだのは2階級特進での尉官クラス、要するに若者ばかり。左官は少佐がちらりほらりで陸士(士官学校)、陸大出(陸軍大学-超エリート)の高級軍人は全くと言っていい程いません。旧軍の本質見たりです。
 特攻を命令した将官や佐官クラスの軍人達は見送りの際「後から我々も行くから」と言ったのが多いそうです。しかし大西海軍大将のように「旧部下の英霊とその遺族に謝せんとす」として腹を切った高級軍人はごく僅かで、後は口をぬぐって生き延び、かつ軍人恩給を貰って講和条約後は臆面もなく彼らを英霊と祭り上げ余生を全うした卑怯かつ無責任な高級軍人が何と多いことでしょうか。
 先の大戦で殉難者として最大級の敬意を払い慰霊しなければならないのは沖縄サイパンなどで死に追いやられた民間人、満州に置き去りにされ死んだ人、空襲犠牲者や原爆犠牲者そして満足な護衛もつけられず魚雷で沈んだ船員たち、その後に徴兵で取られた兵士たち。高級職業軍人は末席でよいのです。軍隊は国民の生命と財産を守るために存在しなければなりません。靖国はそれが全く逆です。
戦争責任を問い何所が間違ったのかを把握し、今日に活かさなければ将来同じ過ちを繰り返します。もちろん小泉さんにはこの私の思いは通じないでしょうが。

by ichiyanagi25 | 2006-10-21 00:00

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