続編 中選挙区制が民意を反映する
1947年新憲法発布により、新憲法の下に総選挙が行われたが、前年に採用した大選挙区制を止め、1選挙区定数3人~5人の中選挙区制に戻した。そして1993年まで中選挙区制で衆院選が行われ、55年の保守合同後以降、自民党が93年7月まで政権をになった。
中選挙区制での自民党はハト派からタカ派、元軍人や右翼から保守リベラルや社民主義に近い人まで、様々な人が立候補してまさに多士済々だった。
総理になる為に派閥を作り、そのため有力派閥間で明確な反主流、非主流派が存在し、60年安保改定時のように岸内閣に対して欠席や棄権などをして、党内野党的の働きをし軍事の突出を防いだ。60年代後半より革新自治体が伸長すると、福祉、環境(公害)政策では社会党の主張や革新首長のやり方を素早く取り入れ、社会党政権実現を阻み長期政権を維持してきた。
しかし93年7月の総選挙で小沢一郎氏ら数十人が離党し新生党を立ち上げ、結果自民党が過半数割れして非自民政権が出来たことで、皮肉にも小選挙区制導入が図られるのである(小沢氏は2大政党による政権交代を可能とする為、小選挙区制を導入したが自分が政権を取る時期には妨害され、非米は葬られる現状を見れば求めたところは全く変質させられた)。
日本を操る構造
ところで英米は明治時代から秘密結社や国際金融資本を介して日本の政治家、政党に影響を持ってきたが、戦後、米国はまさに戦勝国としてアメリカに弓を引かないように官僚や政治家(野党系でも党首候補は籠絡)を養っている事実を知っておきたい。
初期占領政策では軍閥・財閥の解体、軍国主義者や協力者の公職追放、軍国主義思想の排撃を徹底的に行った。また民主的解放者を意識させる為にも治安維持法などで獄につながれていた共産党員ら思想犯の解放を実践する。このため警察・司法から死なないばかりの酷い獄中生活を送らされていた共産党員は米軍を解放軍と称えたのである(後に撤回)。
更にはニューディラーが主流を占めていたGHQ民生局は新憲法を作る一方で、労働組合を結成させ、また社会党を支援した。
これに対抗して参謀第2部にはファシスト軍人、ウイロビーがおり、吉田茂ら従米保守はウイロビーの手先となって動いた(従米総理の第1号は吉田茂である-白洲次郎はその使い走りで白洲や吉田を持ち上げるNHKドラマは全く事実と反する)。
なお民生局の代表ホイットニーとG2のウイロビーは共にマッカーサーの腹心であり、マッカーサーは前半の占領政策ではメディアや本国の意向を汲んでGSを重視して日本の民主化を推進させる(マッカーサーは共和党から大統領選に出るつもりだったのでメディアの評価を非常に気にした)。後半は冷戦の進行で48年当たりからG2の方を重視して左翼や反吉田勢力潰しに出たので戦前回帰の「逆コース」と批判された。
中選挙区制が生む国益重視の保守政治家
ところで1980年代までの保守政治家には戦争や軍部の圧力をかいくぐり、更に米支配を心良しとしない反骨の士がかなりいた。
戦後の反骨の保守政治家の系図をざっと見ると石橋湛山は吉田内閣で占領費用の負担増を強要するGHQに大臣として反対し吉田首相に更迭させられた。
51年吉田が安保条約を飲まされたサンフランシスコ講和条約は西側陣営とだけの片面講和であった。そのため常任理事国で唯一の社会主義国のソ連や東欧諸国とは講和条約が結べなかった。鳩山一郎首相はソ連との国交回復に尽力(片面講和の修正)し、1956年10月訪ソしてフルシチョフ首相と会談。日ソ共同宣言を発表しシベリア抑留者帰還を実現し、北方2島(歯舞・色丹)の返還後に平和条約を結ぶ様にした。
なおこの共同宣言で東側陣営が日本の国連加盟に賛成しその2ヶ月後全会一致により日本の国連加盟(国祭連合は意図的誤訳で連合諸国の意味)が実現した事も忘れてはならない。但し国連は連合国であるから日独は未だに敵国条項規定の中にある。鳩山首相はこの後に総辞職して石橋湛山に総理を引き継いでいる。
そして72年には田中角栄がアメリカの圧力を振り切って訪中を果たし大平外相と共に日中国交正常化へ道を開いた(これが元でキッシンジャーらロックフェラー系の恨みを買いロッキード事件を起こされたとする説が今日有力である)。
その後、田中と総理の椅子を争った福田赳夫首相は台湾派と見られていたが、何と78年に鄧小平副総理を招いて日中平和友好条約を締結している(この時、園田外相との間で尖閣棚上げ論が確認された)。
また貿易摩擦では70年代初頭のニクソン政権下での日米繊維交渉、オイルショックによる中東資源外交、80年代では自動車・半導体輸出摩擦党が起こり外務、通産省には今とは違い国益重視の官僚も多く、厳しい交渉をし、かつ面従腹背し抵抗した。
この様にアメリカに面従腹背或いは公然と対抗して国益を実践していた事を改めて評価する必要がある。但し孫崎さんの指摘通りアメリカに抗った総理はいずれも短命に終わらされ、有力政治家はスキャンダルを仕掛けられた。
自民党の小選挙区制導入は2回つぶれている
ところで、自民党は2回小選挙区制度を導入しようとした事がある。
1度目は1956年の鳩山内閣時、2度目は73年時の田中内閣時である。この時は2度ともメディア多数が小選挙区制は自民独裁化であると厳しく批判しこれを潰した。
鳩山時代は小学1年だから全く記憶はないが、73年時の田中首相の小選挙区導入論の時は私は23才でベトナム反戦と公害反対運動をしていたから良く覚えている。この時はテレビ、新聞はこぞって田中による我田引水の小選挙区制導入を批判した。全国各地で社会党、総評、共産党はもちろん公明党も小選挙区制に反対して集会やデモを繰り広げた。
ちょうどその時期、長岡の友人宅を訪ねていて昼間は彼は会社に行ったので、長岡市内を散策していると、当時TBSのイブニング・ニュース番組(ニュース・スコープ)の司会者である古屋綱正さんが市民団体主催の小選挙区制反対の講師できていて、入場を申し入れると「どうぞ」と気軽に入れてくれ、ジャーナリストの小選挙区制批判を聞いた事を記憶している。
この時はメディアと野党の活動、なにより国民の声で小選挙区制度を潰したという高揚感があった。
自民党が下野して小選挙区制導入
そして93年自民党が下野して非自民連立政権の細川内閣時に導入された小選挙区制であるが、この時は80年代後半に起きたリクルート事件や佐川急便事件など「政治と金」の問題を起こさない為に「政治腐敗の根絶」が理由に挙げられた。
94年の小選挙区制導入で特記せねばならないことがある。これまでの2回の導入失敗に懲りて小選挙区制導入論者は、全国紙やテレビ会社の社長、論説委員長らを多数参加させた選挙制度審議会で「小選挙区制」案を検討させた。その結果、マスメディアの報道は、とにかく選挙区制度を変えることが大事だとして、中選挙区支持者は守旧派と叩かれ「改革」の大合唱の下に進められたことだ(国民はマインドコントロールされた。小泉純一郎はこの時大反対をした)。
さらに中選挙区制では同一政党・会派同士の争いとなり「サービス合戦や政治腐敗を招く」との屁理屈で騙し、そして政権交代可能な制度として94年1月、衆議院の選挙区制度を小選挙区・比例代表並立制に「改革」する法案が成立した。因みにアメリカからの年次改革要望書(実質命令書)はこの年から始まっている。
なお「政治とカネ」の問題は、先月の小渕優子の供応接待の例などを見れば、選挙制度とは関係ないことは明らかである。そして小選挙区制を導入し、政権交代を可能にした小沢一郎氏は司法官僚とメディアにより西松陸山会事件を冤罪立件し、民主党の政権交代を妨害し、民主党を従米政権に変質させた。また小選挙区制によって2大政党が実現すると喧伝されたが、民主党政権が壊された後の現状を見ると、小選挙区制の建前とは真逆の少数政党乱立で一強状態を作り出ている現実を直視したい。
投票用紙には人の名を書く
日本の選挙はそもそも単記無記名方式である。
識字率も高いから一貫して候補者の名を手書きするのである。私も延べ2万人近い人に名前を書いて貰って6期の当選を重ねてきた。
要するにその人を信頼し、代表として議会に送り出す為に投票用紙に名前を書くのである。国会と違い政令市以外の地方議会は大選挙区制であるから本市の場合など2500票取れば当選できる。戦後第一回の衆院選で行われたように大選挙区制は地盤(組織)、看板(知名度)、鞄(金)がなくとも当選できる非常に民意が反映される制度なのである。 なお政令市議会と県会は1人区以外は中選挙区制である。
だから人を選ぶのが日本人の慣れ親しんだ行為なのである。選挙の基本は人の名を書く。中選挙区制では自民は複数立候補するから党より人を選んだのである。
選ばれた人が会派を作るのが本来である。だが議院内閣制の国会は過半数を制した党から総理を選び組閣する。大統領型の首長との2元代表制の地方議会とは違うから、政党政治とならざるを得ないのだが、党が勝手に選挙区を選んで落下傘候補を送りつける小選挙区制(本11区では横粂がいたが3年前に離党し東京に転じてしまった)は全く日本人の思考、感性に合わない。
そして一番の弊害は執行部の気に入らない議員には公認を与えず、また郵政選挙のように刺客さえ送り党内反対派を潰すのが小選挙区制であるから、これは全く大義なき独裁政党管理であり、これで自民党の良さであった「幅広い人材」が揃う政党ではなくなった。特に外交では政治家がアメリカ以外の国とチャンネルを持てなくなってしまった事が国益を害している。
小選挙区制度が悪いと言い出そう
アメリカの属国日本は完全に官僚とメディア(安保ムラと原発ムラ)に完全支配されて20年たつので、「小選挙区制はおかしい」という声が全く報道されない。
安保条約と地位協定を勉強すればするほど日本は独立国でなく、占領状態の継続であることが分かる。しかしメディアは90年代に反安保勢力、とりわけ社会党を批判し解党させ野党も対米従属政党を作り上げたのである。思えばその流れに私も乗ったと総括し反省している。
日本国民は洗脳を解いて、沖縄と同様にイデオロギーでなくアイデンティティとして日本民族として対米従属は止め日本国民の為の政治を取り戻すことが必要なのだ。
中選挙区制を復活させるなら一律3人区にすることだ。これなら25%~30%の得票で当選できる。保守でも様々な人が出てこれるし、何より死に票が圧倒的に少なくなるし、今回の沖縄のように選挙区の民意とは真逆に、落とした自民候補が軒並み比例復活するようなこともなくなる。
冷戦が終わり、衰退社会に入るのだから対米非従属の真の野党が必要だが、メディアも政治家もこうハッキリ言わないから、国民の為の野党が纏まらないのだ。それとアメリカ様には抵抗できない安倍総理みたいなのを突出させない為に、中選挙区で選ばれたいくつかの政党で連立政権を組み、時代やテーマに合わせて組み合わせを変えて政権運営をした方が国民の利益に繋がる。
小選挙区制比例代表という制度だからこそ、本来は相容れない安倍首相と公明が組んで当選目当てに選挙をすることになる(これは国民の利益と一致しない)。
定数3人の選挙区を150作り衆院定数450人とすれば定数は35削減となる。公明、共産でも20~40の議席を取ることは可能である。20年前までは社会党は常に100議席以上を取り(2回の例外はあるが)公明など非自民野党で改憲させない勢力を保ってきた。
メディアは中選挙区当時、自社なれ合いの55年体制と批判したが今から比べればよっぽど国民の為になっていた。
繰り返すが日本は党より人を選ぶことが国民性に合っていると言うことを認識したい。
但し従米構造に都合が良い小選挙区制を止めさせるには並大抵のことではない事は承知している。だがしかしである、あくまで日本人の為になる選挙制度で議員を選ぶことが国民の幸福に繋がることを認識したい。